私のようになっていただきたい
パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」(使徒26:29)
私たちは、こう言ったらどうなるだろうか、今はこれを言うべき時だろうかと悩んでしまうこと
があります。もちろんそのように相手を慮ることも大切ですが、時にそれを越えるものを私た
ちキリスト者は与えられています。
パウロはこの時、総督フェストゥスや、アグリッパ王、千人隊長や町の主だった人たちに取
り囲まれていました。しかし、そこで彼が語りだしたのは、自己弁明というよりは、自分のユ
ダヤ人としての信仰と、その信仰が主イエスとの出会いにおいて、より正しいものに作り変
えられたこと、主イエスの復活を信じることといった信仰の言葉でした。そしてフェストゥスか
ら「頭がおかしい」と言われても、アグリッパ王から「わたしを…キリスト信者にしてしまう
つもりか」と憤慨されても、全く動じていません。むしろ、彼は「私のようになってくださるこ
とを神に祈ります」と答えます。そして「鎖につながれることは別ですが」と冗談さえ語りま
す。彼は全く穏やかに軽妙に、しかし、確信をもってキリストを信じる「私」と同じになってく
ださいと語ります。
http://www.jesus-web.org/rejoice/lect14/lect_20140821.htm