十分の一
- 創世記28:22 -
[インマヌエル 上巻.5-31]
[創世記28:22] 「私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」
[マラキ書3:10~12] 「10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる。―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。11 わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。―万軍の主は仰せられる。― 12 すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。」と万軍の主は仰せられる。」
1. 十分の一の起源と意味
- 十分の一は神の恵みから始まったものであり、信仰を持つ人々が自発的に献げた献金であった。すなわち、十分の一の意味は、聖徒たちが神の恵みを記憶し、感謝の心で献げた信仰の告白であった。
(1) 近年、十分の一を否定し廃止しようとする自由主義的思想が台頭し、十分の一の無用論を主張する者たちがいる。十分の一は律法時代の産物であるため、恵みの時代である現在には当然廃止されるべきであるという主張である。このような主張は、神の御心と矛盾する愚かな考えである。
(2) 十分の一は律法以前に制定されたもので、私たちの信仰の祖先アブラハムが自発的に献げた信仰の伝統である。(創世記14:20) ヤコブがベテルで神の臨在を体験した後、自発的に十分の一を約束した。(創世記28:22)
(3) その後、法律として制定された。「地の十分の一、すなわち地の穀物や木の果実の十分の一は、主のものであり、主への聖物である。」(レビ記27:30)
(4) その後、申命記でも十分の一が強調され(申命記12:6、17:14、26、28)、バビロン捕囚後も変わらず継続された。(歴代誌下31:5、ネヘミヤ書13:12)旧約の最後の預言者であるマラキ預言者も、十分の一について厳粛に命じている。(マラキ書3:8-12)
(5) そして新約時代においても、イエスは命じた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(マタイ福音書22:21)
2. 十分の一を捧げる理由
- すべての収入は神の物として認め、区別し、最初の捧げ物(十分の一)を捧げなければならない。「あなたの財産と収穫の最初の実で主を敬え」 (箴言3:9)。
(1) 神の恵みに報いるため(創世記14:20)
(2) 祝福の約束を実現するため(創世記28:19~22)
(3) 神のものを告白する信仰(レビ記27:30)
(4) 信仰を守るため(アブラハム、イエス)
(5) 神の厳粛な命令のため(マタイ福音書3:8~10)
(6) 神の御業に参加するため(民数記18:21~26)
(7) 善い御業のため(申命記14:28-29)
(8) 祝福を受ける通路として(申命記12:6~7、マラキ書3:8~10)
3. 十分の一の方法
(1) 感謝の心で(創世記14:20)
(2) 喜びの心で(第二コリント6:7)
(3) 真心のこもった心で(マタイ福音書22:37~38)
(4) 自発的な心で(創世記28:19-22、第二コリント9:7)
(5) 畏敬の念をもって(申命記14:23~24)
(6) 区別され、聖別された状態で(レビ記27:32)
(7) 天に宝を積む心で(マタイ福音書6:20)
(8) 従順な心で(マラキ書3:8~10)
(9) 天国の民の義務感をもって(マタイ福音書22:21)
(10) 信仰をもって(ローマ書14:23)
(11) 霊的な負債の返済として(ローマ書15:27)
(12) 伝道への参加意識をもって(第二コリント9:1~5)
4. 十分の一の種類
(1) 戦利品(創世記14:20)(贈り物)
(2) 穀物(歴代誌下31:5, 6)
(3) 油(歴代誌下31:5, 6)
(4) 牛(レビ記27:32)
(5) 羊(レビ記27:32)
(6) 蜂蜜(歴代誌下31:5, 6)
(7) 野菜、果物(歴代誌下31:5, 6)
(8) 地の穀物(レビ記27:30)
(9) 輸入されたすべての物(マラキ書3:10)
5. 十分の一の用途
(1) 祭司(レビ人)の財産(民数記18:26)
(2) レビ族の生活費(民数記18:21~24)
(3) 救済(孤児、寡婦)(申命記14:28, 29、26:12)
(4) 霊的な債務の返済(宣教費)
(5) 福音伝道の活動(神学校などを支援)
6. 十分の一の結果(祝福)
(1) 魂の繁栄(第三ヨハネ1:1~2)
(2) 祝福の与え(生業)(マラキ書3:10)
(3) 守られる(マラキ書3:11)
(4) 地の豊かさに満たされる(マラキ書3:11)
(5) 諸国からの承認(マラキ書3:12)
(6) すべてのことに祝福を与える(申命記14:29)
(7) 11の祝福を与える(申命記28:1~14)
*** 申命記28:1~14には、祝福という言葉がなんと11回も記録されている。十分の一は、私たち信徒にとって信仰の秤であり、試金石となる。
十分の一に対する不信仰を持つ者たちに対して、神は次のように警告される。「あなたがた、すなわち全国が私のものを盗んだので、あなたがたは呪いを受けたのである。」(マラキ書3:9)。そして申命記28:15~68は、不従順な者に対してくだされる恐ろしい警告である。