主にあって誇れ
- コリント第一 1:27-31 -
シャローム宣教会
27. しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。28. また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。29. これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。30. しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。31. まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。(コリント第一 1:27-31)
序言.
神様にお選びいただき、救われる者は神様に栄光をささげる。そして、口を開いてくれるイエス様に感謝する。また会う人たちに救い主であるイエス様を誇れる。
[ルカ福音 17:11-19] 11. そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。12. ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、13. 声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。14. イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。15. そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、16. イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。17. そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。18. 神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」 19. それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
神様は、誰一人でも神様の前で自分を自慢できないようにし、救い主であるイエス様を誇らせるために何を行ったのか。
1。神の御心をかなえる者を選んだ。
⑴ この世の愚かな者を選ばれた。◎ 知恵ある者をはずかしめるために、
+ 愚か(Fool)とは、一般的に愚かで鈍い態度や行動をいう。
- 新約聖書のパウロ書簡では、外見は流暢で知恵があり、論理的で説得力があるように見える「世の中の知恵」と反対の「十字架の道」を説明する時、この単語を使った。
世の中の知恵から見て、「十字架の道」(福音)は愚かなものとして(コリントⅠ1:18;2:14)見えるが、使徒パウロは神の前で真に賢く生きたい人は世の中で「愚かな者」になれと教訓する(コリントⅠ3:18)。なぜなら、神様の愚かな方が人より知恵があり、神様の弱い方が人より強いからだ(コリントⅠ1:25)。
① 無学な、普通の人たちをお呼びになり、弟子にした。
[マルコ 1:16-17] 16. ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。17. イエスは彼らに言われた。わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。
② 彼らの賢明な言葉は多くの人々を驚かせた。
[使徒行伝 4:13] 彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
⑵ この世の弱い者を選ばれた。◎ 強い者をはずかしめるために、
① あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
[マタイ 9:35] それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
② 病気を直された者たちはイエス様に従った。十二弟子たちに権威をお与えになった。
[マルコ 6:7] また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。
⑶ この世の取るに足りない者や見下されている者、無に等しいものを選ばれた。◎ 有るものをない者のようにするために、
① 主は、取税人や罪人たちの友達になった。
[マルコ 2:15] イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
② 神は、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされた。
[ヤコブ 2:5] ... 愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。
2. そして、良い贈り物と完全な賜物をくださった。.
⑴ 恵みのゆえに、信仰によって救われた。
[エペソ 2:8] あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
⑵ すべての良い贈り物と完全な賜物をくださった。
[ヤコブ 1:17] すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
⑶ 富と財宝を与えた。
[伝道書 5:19] 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
3. それで、主にあって誇れるようにした。
+ コリント第一 1:30-31, 本文
[エレミヤ 9:23-24] 23. 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。24. 誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。― 主の御告げ。―