イスラム教はどんな教えですか マホメットの聖書知識は不正確だった
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イスラム教は、しばしば世界の3大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)の一つに数えられる、影響力の強い宗教です。 イスラム教は、現在アラブ諸国を中心に、世界に約4億人の信者を持っています。これは、どんな教えなのでしょうか。
イスラム教の教え
イスラム教は、キリスト教の誕生より6世紀ほど後に、アラビアで生まれた宗教です。 イスラム教の「神」は、「アッラー」と呼ばれています。多くの人は、キリスト教の神は「ヤーウェ」(エホバ)で、イスラム教の神は「アッラー」だと思っています。 しかし正確にいうと、「ヤーウェ」が固有名詞であるのに対し、「アッラー」は一般名詞です。 「アッラー」は、「神」を意味する「イッラーフ」に、定冠詞「アル」をつけたアラビア語で、"the
God" (その神・至高の神)というような意味の言葉です。 つまり日本語の「神」が、英語では「ゴッド」、アラビア語では「アッラー」なのです。 イスラム教では、マホメット(ムハンマド)を「神の使徒」あるいは「預言者」と呼んで、次のような教えを説いています。 1.神は唯一絶対の神である 2.世界は神によって創造された 3.偶像を造ったり、拝んだりしてはならない 4.人間は罪人である 5.神は慈悲、恩寵、力に満ちたかたである 6.神の前には、民族を越えて万人が平等である 7.人は終末の日に、最後の審判を受けるために復活する。そして神は、万人を正しく裁かれる しかしすぐ気づくように、これらの教えはいずれも、キリスト教が説く教えとほとんど変わりありません。キリスト教でも、これらの教えはすべて持っています。 では、キリスト教にあってイスラム教にないものは何かというと、「罪の贖(あがな)い」「罪からの救い」また「救い主」(キリスト)の教えです。 イスラム教は、唯一にして創造者なる神と、神の慈悲、恩寵、力、また審判を説きますが、その神に絶対帰依することを説くのみで、罪と滅びから私たちを救うために来られた「救い主」は、説きません。 ですから多少乱暴な言い方を許していただくと、キリスト教から「罪の贖い」と「救い主キリスト」の教えを取り去ると、イスラム教に近いものになる、と言ってしまえなくもありません。 イスラム教は、部分的にはキリスト教に似た教義を持っていますが、やはり似て非なる宗教です。
創始者マホメットは一神教の環境に育った
イスラム教の創始者は、A.D.6世紀にアラビアのメッカに生まれた、マホメットです。 彼は、誕生以前に父を失い、7歳ごろには母も失い、祖父・祖母に養われたといわれます。そして25歳ごろ、年長で富裕な未亡人ハジージャと結婚しました。 彼が育った環境は、どんなだったでしょうか。 彼が育ったアラビア半島には、当時、数多くのユダヤ教徒や、キリスト教徒も住んでいました。 とくにユダヤ教徒は、マホメットの生涯と関係が深いので、ここで少し「ユダヤ教」について述べておきましょう。 ユダヤ教は、ユダヤ人の宗教であり、旧約聖書を教典とする教えです。 同じ『聖書』を信じるということでは、ユダヤ教もキリスト教も同じなのですが、イエス・キリストが現れてキリスト教が起こったとき、大多数のユダヤ人はキリストを信じませんでした。 キリストを信じたユダヤ人は、むしろ少数派で、キリストの福音はユダヤ人よりも、まず異邦人に先に広まっていったのです。 その後、キリストを信じなかったユダヤ人は、旧約聖書のみを信じ続け、「ユダヤ教徒」と呼ばれるようになりました。 また、旧約聖書と、キリストの弟子たちの記した新約聖書の両方を信じた人々は、「キリスト教徒」になりました。 ただし一言加えるなら、新約聖書には、キリスト再来の日にはユダヤ教徒も全員キリスト教徒になるであろう、との予言があります(ロマ11:25-27)
。 キリスト教徒は、その日を心から待ち望んでいます。 さて、マホメットが育った地域には、これらユダヤ教徒が多く進出していて、経済的にも大きな力を持っていました。 そのためアラビアの人々はしばしば、ユダヤ教の唯一神教の教えを耳にすることがありました。 また当時アラビアには、ユダヤ教ともキリスト教とも異なる、先祖伝来の「漠然とした一神教」も存在していました。 これはおそらく、アブラハムの子イシマエル(B.C.20世紀)
に発する一神教で、教義ははっきりしたものではありませんでしたが、その神を信じる一群の人々が存在していました。 マホメットは、このような環境に育ち、一神教を信じるようになったのです。 そして様々な試練と危機的な経験を通して、唯一絶対の神への信仰を強め、また自分が神の使徒であるとの強烈な意識をも、持つようになりました。 そして、当時の社会にあった道徳的腐敗と不正に対して立ち上がり、政治的・宗教的指導者として、強大な力を持つに至ったのです。 いずれにしても、マホメットが信じた神は、ユダヤ教およびキリスト教で説く神と、本質的には同じ神でした。 実際彼は、ユダヤ人を「啓典(聖書)の民」と呼び、全能の神からの書を授けられた人々と考えていました。 彼のいう「神」は、聖書の神であり、唯一にして世界の創造者、また慈悲に富み、怒るにおそい永遠の神であったのです。 またマホメットは、初期の頃には、ユダヤ教徒やキリスト教徒を、信仰の上では自分と「兄弟」であると考えていました。 彼自身は、それらの唯一神教と自分の宗教との間に、まったく異質感を持っていなかったのです。
マホメットの聖書知識は不正確だった
ですから、もし彼が、早期から聖書の充分な知識を持ち、またキリストの福音にふれていたならば、もっと違う伝道をしたかもしれません。 しかし彼の聖書知識は、かなり後期に至るまで不正確で、しばしば曲解に基づく知識が見受けられました。 たとえばマホメットは、イエスの母マリヤを「アロンの姉」と呼んでいます。これはマリヤを、預言者モーセの兄アロンの姉であった「ミリアム」と混同したものです(『コーラン』第19章28節)。 「マリヤ」と「ミリアム」は同じ名であるため、勘違いをしたのでしょう。 また、アブラハムの父は「テラ」であるのに「アザル」としてみたり(同第6章74節)
、イスラエルの民がシナイ山のふもとで子牛の黄金像を造り悪行をなしたときの主人公は「アロン」であるのに、「サマリヤ人」であると誤解したりしています(同第20章85節)
。 こうした間違いは、丹念に調べれば、まだまだ見つけることができるでしょう。 しかし、これら細かなことはまだ良いとしても、彼にとって最も重大な誤りは、聖書の「三位一体」の教えを曲解したことでした。 「三位一体」とは、天地の創造主なる父なる神・救い主キリスト・聖霊(神およびキリストより出る霊)の3者が、互いに区別されながらも、存在や本質において一つで、一体のおかたである、という教えです。 つまり、唯一の神の内に三つの「位格」があり、三位の神が矛盾することなくおひとりの神となっておられる、というのが「三位一体」の教えです。 「三位一体」という言葉自体は、聖書には出てきませんが、その真理は聖書の随所に見られます(マタ28:19,ヨハ10:30,1:1-2,1:18等) 。 ちょうど白色光が、赤・青・緑の3原色からなるように(光の3原色)、唯一の神は三位からなり、かつ一体のかたであるのです。 しかしマホメットはこの真理を、「神・マリヤ・イエスの三者」と誤解していたようです。 『コーラン』日本語訳の翻訳者として知られる関西大学の藤本勝次教授は、こう述べています。 「マホメットはどうやら、正統派キリスト教の三位一体論を、神とマリヤとイエスの三者と誤解していたようである」(中公新書『マホメット』136ページ) 。 マホメットは、三位一体論を批判してこう言いました。 「啓典の民(イスラエル)
よ。・・・神について真理でないことを一言も言ってはならない。メシヤこと、マリヤの子イエスはただの神の使徒である・・・。けっして『三者』などと言ってはならない。・・・神は唯一なる神。神に子どもがあってよいものか」(『コーラン』第4章171節)
。 「『まことに神は三者のうちのお一人』などと言う人々は、すでに背信者である。唯一なる神のほかに、いかなる神もない。・・・マリヤの子イエスは、ただの使徒にすぎない。・・・また彼の母は、誠実な女であったにすぎない。両人とも食べ物を食べていたのである」(第5章73、75節)
。 この批判の底を流れているものは、次のような考えです。 イエスはただの神の使徒であり、預言者であって、「神の子」でも「子なる神」でもない。同様にマリヤは、誠実な人間の女であったにすぎない。 イエスもマリヤも、神ではない。なぜなら、「両人とも食べ物を食べていた」のであるから・・・。 このようにマホメットは、キリスト教の三位一体論を、神・マリヤ・イエスの三者と思い込み、「三神論」あるいは「三神一位論」と誤解していたようです。 彼は間違った知識に基づいて、キリスト教を批判したのです。 しかし三位一体論は、決して「三神論」ではありません。それは、唯一の神の奥深い神秘に関するものであり、きわめて聖書的な真理なのです。
マホメットは自分を預言者と認めさせようと聖書の言葉を引用した
マホメットは、自分がまだユダヤ教とキリスト教の違いもよくわからなかった頃には、両宗教に対して親和策をとりました。しかしどのように努力しようと、彼らはマホメットを、決して「神からの預言者」と認めようとしませんでした。 そこでマホメットは、まずユダヤ教徒を批判するようになりました。ついでキリスト教徒も批判するようになりました。 さらには聖書の言葉を引用して、自分が神の預言者であると人々に認めさせようと、図りました。 たとえばマホメットは、聖書の次の言葉を自分に当てはめました。 「主(神)はわたし(モーセ)に言われた、 『・・・わたしは、彼らの同胞のうちから、おまえ(モーセ)のようなひとりの預言者を彼らのために起こして、わたしの言葉をその口に授けよう」(申命18:17-18)
。 マホメットは、この言葉について次のように述べました。 「神が預言者たちと契約を結びたもうた時のこと。『わし(神)がおまえたちに与えるものは、啓典と知恵である。そのあとで、おまえたちの持っているものを確証する、一人の使徒が現れるであろう」(『コーラン』第3章81節)
。 マホメットは、この「使徒」=「預言者」とは自分のことである、と主張したのです。彼は、自分の出現は聖書で予告されている、としました。 しかし、聖書の言葉をよく読むと、「モーセのような預言者」の現れるのは「彼ら(イスラエル民族)
の同胞のうちから」となっていますから、アラビア人のマホメットであるはずがないのです。 予告された預言者とは、言うまでもなくイエス・キリストのことです。キリストは、モーセのような解放者としての性格をもった大預言者であり、救済者であり、さらには私たちの王なのです(ヨハ5:46、使徒3:22)。 またマホメットは、聖書の次の言葉も、自分が「予言された預言者」であると主張するために、利用しました。 「わたし(イエス)は父(神)にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせてくださるであろう」(ヨハ14:16)。 この「助け主」とは、文脈上、聖霊のことです。なぜならこの句の後に、すぐ続いて「それは真理の御霊(聖霊)である」(ヨハ14:17)とあります。 ところがマホメットは、イエスの後に来ると約束された「助け主」とは自分のことである、と主張しました。 「助け主」という語は、新約聖書の原語ギリシャ語でパラクレイトスといいます。これは同じギリシャ語ペリクリトスに発音が似ています。 ペリクリトスは「ほめ讃えられる人」という意味で、じつは「マホメット」という名も、「ほめ讃えられる人」の意味なのです。 そこで、来たるべき「助け主」(パラクレイトス)を、ペリクリトス(ほめ讃えられる人)と読み違えたか聞き違えたとすると、イエスは、「ほめ讃えられる人」=マホメットの到来を予言した、と解されてしまうわけです。 そしてどうも、誰かが間違えてマホメットにこのことを教えたか、あるいはマホメットに好意を持つ者が、故意にそのような解釈を教えたようです。マホメットは、イエスのこの言葉を利用して、次のように語りました。
「マリヤの子イエスが、『おお、イスラエルの子らよ、まことに私は、あなたがたのところへ使わされた神の使徒である。 私より前に下された律法を確証し、また私よりあとでアフマド(「最もほめ讃えられる人」の意でマホメットのこと)という名の使徒が来ることを告げる者である』と言って・・・」(『コーラン』第61章6 節) 。 このようにマホメット(アラビア語でムハンマド)
は、聖書の意味をねじ曲げて、自分はイエスによっても到来が予言された神の使徒であると、主張するようになりました。 こうしたことは、マホメットが聖書の文章の前後関係もよく読んでいたなら、起こることはなかったでしょう。 しかし彼の聖書知識は断片的で、しかも聖書自体を読んで得たものではありませんでした。 彼は聖書について多少知っている人々から、聞いたり、または誰かから又聞きして、聖書知識を得ました。 そのため彼の知識は、きわめて不正確で、誤解や曲解の入り込む余地が多くありました。 彼はその知識の上に、自分勝手な聖書解釈をほどこしたのです。
マホメットは神の使徒か
このようなマホメットが、「神の使徒」、あるいは「預言者」といえるでしょうか。 マホメットの宗教がどのようなものかを物語る有名な出来事として、「悪魔の啓示」と呼ばれるものがあります。 歴史家によるとマホメットは、あるとき偶像を認める啓示を語りました。しかし、ほどなくして、それを取り消したのです。 そしてこのことは、悪魔サタンが、彼の心に間違ったものを忍び込ませたからだ、と説明されました。これが「悪魔の啓示」と呼ばれる出来事です(『コーラン』第22章51節参照)
。 このことに限らず、彼の語った啓示は、必ずしも首尾一貫していませんでした。 たとえばイスラム教徒は、最初エルサレムの方向を向いて礼拝していましたが、ユダヤ人との争いが激化したとき、その方向をメッカに変えました。これについては、 「あれは元来・・・方便だったのだ」(第22章138節)
と説明されました。 また、マホメットによるイスラム教の創始時代は、キリスト教とはきわめて対照的でした。 たとえば、人々が食糧不足に陥ったとき、これを解決するために彼がとった方法は、「富者からの略奪」でした。歴史家デュラントは書いています。 「メッカの200世帯の移住は、メディナに食糧不足をもたらした。マホメットはこの問題を、飢えた人々がするのと同じようにして解決した。すなわち、得られるところから食糧を略奪したのである」(『世界の歴史』)
。 一方、自分たちを迫害する者に対して彼がとった態度は、「仕返し」でした。 たとえば、アスマという女詩人が自分の詩の中でマホメットを攻撃すると、一イスラム教徒が彼女の部屋に忍びこみ、彼女を殺しました。翌朝マホメットは、彼に次のように言いました。 「おまえは彼女を殺したのか」。 「はい、そうです。そのことで私は罰せられなければなりませんか」。 「いや、そんなことは大したことではない」。 また、こんな話も伝えられています。アシュラフという人は、マホメットがユダヤ人を迫害し始めたのを見て、イスラム教を捨て、公然とイスラム教を批判しました。 そのときマホメットは、「だれがこの男に仕返しをするか」と人々に尋ねました。 するとその日の夜には、アシュラフの切断された頭が、マホメットの足もとに届けられました(デュラント『世界の歴史』)。 読者は、昨年イランのイスラム最高指導者ホメイニ師が、『悪魔の詩』の作者サルマン・ラシディを「殺せ」と命令し、世界の反感を買った事件を覚えているでしょう。 ラシディ死刑判決の理由は、彼の本がマホメットを侮辱するものだから、とのことでした。 こうした死刑判決は、日本人や欧米人には、到底理解しかねることです。 しかし、こうしたことはなにもホメイニ師に始まったことではなく、マホメット以来の伝統なのです。 「愛」を強調したキリスト教の宣教とは対照的に、イスラム教はこのように、「アッラーを信じるか、死か」と人々に決断を迫り、宣教をなしたのです。 マホメットは、晩年になると、不思議な不安や恐怖に襲われたようです。 59歳以後は、しばしば真夜中にこっそり家を抜け出し、墓地で死者にゆるしを乞うたり、彼らのために声を出して祈ったり、彼らが死んでいることに喜びを述べたりしました。 63歳になると、彼は熱病によって、はげしく体力を消耗するようになりました。そして長い苦悶のあと、A.D.632年に、ついに世を去りました。 マホメットの宗教は、ある意味ではキリスト教の「異端」(正統派でないもの) に似ています。 現代でも、「ものみの塔」(エホバの証人)
、「モルモン教」(末日聖徒イエスキリスト教会)
、「統一教会」などの異端が存在しますが、これらの特徴は、いずれも聖書を用いながら聖書の真の教えから逸脱している、ということです。 それは聖書以外に「聖書以上に重視される教典」を設け、人間的な教えを付加しているからです。 同じようにイスラム教も、聖書(旧約聖書)
を受け入れながら、それ以上に重視される教典『コーラン』を持ち、それによって聖書の本当の教えを否定しています。 それは神の啓示を、人間的な知恵でねじ曲げ、別のものにしてしまったのです。コーランは、不正確な知識しか持っていなかったマホメットの語録に過ぎません。 しかし『聖書』こそ、私たちに与えられた、神からのまことの啓示の書です。新・旧約聖書の啓示は、つねに首尾一貫しています。そこには、間違いや矛盾は一切ありません。 また、イエス・キリストは、私たちのための真の救い主です。キリストこそ、旧約聖書に予言された救い主であり、贖い主であり、神の子にして私たちの王、偉大な教師であり、私たちの主であられるかたなのです。
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