聖書の正典
1.語意.
日本で普通に「聖書」と譯されてきたのは〈英〉The Bibleの譯語としてであろう.この英語は本來〈ギ〉タ․ビブリア(ta bibla)に由來する語で,〈ギ〉タ․ビブリアは「書物」を意味する〈ギ〉ビブロス(biblos)の指小辭である〈ギ〉ビブリオン(biblion,小冊子)の複數形に定冠詞(タ)が付いたものである.だから正確には「例の小冊子類」,つまりキリスト敎界で周知の小冊子ライブラリーを表した.
それに對して,「正典」は〈英〉The Canonの譯語として第2次大戰後定着した觀がある.戰前は「正經典」「經典」「聖經」などと譯されていた.〈英〉The Canonは〈ギ〉カノーン(kanon)から生れた.この語は新約聖書では「基準」(ガラテヤ6:16),「領域」(Ⅱコリント10:15,16),「限度」(10:13)と譯されている.これは〈ヘ〉カーネ(qaneh,葦)から輸入されたことばで(Ⅰ列王14:15,Ⅱ列王18:21,ヨブ40:21等),派生的に「さお」(エゼキエル40:3,5)や「てんびん」(イザヤ46:6)を意味する場合もあった.キリスト敎敎理用語としては,キリスト敎の信仰と禮拜生活の基準となるものを表し,アレキサンドリアの*アタナシオス主敎(296年頃―373年)以來,敎會的文庫本のうち信仰と生活の基準となる正典書を指す用語として用いられてきた.
「聖書,タ․ビブリア」の中には,今日のキリスト敎徒が平素の信仰と禮拜の生活上缺かせないものとして正典聖書とともに贊美歌․聖歌の類や祈禱書․式文を愛用しているように,基準となる正典書のほかにも幾つかの書物が含まれてきた.その最も代表的なものが*外典であって,通常,〈英〉The Bibleあるいは〈英〉The Biblical Literatureは外典を含めて用いられる.新共同譯が『聖書 舊約聖書續篇(外典)つき』を出版したために物議をかもしたが,これは,日本のキリスト敎界の術語に嚴密さと正確さが求められる契機となった,と言うべきであろう.
2.キリスト敎正典.
キリスト敎の正典は舊約聖書と呼ばれる39卷と新約聖書と呼ばれる27卷とを合せた66卷で,これ以上でもこれ以下でもない.キリスト敎はエルサレムからユダヤ人を相手に始まったが(ルカ24:47,ヨハネ4:22,使徒1:8),その當時すでにまとまっていたユダヤ敎正典ヘブル語聖書に基づいてイエスこそメシヤ(キリスト)であるとユダヤ敎徒を說得した(使徒17:2,3).その意味でヘブル語正典はキリスト敎發足の當初からキリスト敎の正典であった(ルカ24:2527,4447,ヨハネ5:39,ローマ1:24,16:25,26,Ⅰコリント15:35,Ⅱテモテ3:15).
キリスト敎が異邦世界に廣がるにつれ,メシヤであるイエスは神の子でもあられるという敎理を,特に異邦人の使徒*パウロが宣敎した(使徒9:20).ちなみに,ユダヤ敎ではメシヤは「人の中の人」であって(ユスティノス『トリュフォンとの對話』49章),決して神性を帶びる超自然的な存在とは考えられていなかった.また原始キリスト敎史を描く使徒の働きの中で,前述の9章20節はナザレのイエスを初めて「神の子」と主張したとする記事である.つまりパウロは,神の子キリスト論とその贖罪論をもってキリスト敎を人類世界の福音として提示することに成功した最初の神學者であった.そこで,異邦人(世界)のキリスト敎の正典として最初の地步を固めたのは,パウロ書簡集であった.Ⅱペテロ3:16「ほかのすべての手紙」という言い回しは,當時すでにパウロ書簡集が收集され完結していたことを前提している.
.....................
...................