モーセ五經
1. 舊約聖書最初の五經.
すなわち,創世記,出エジプト記,レビ記,民數記,申命記の總稱.傳統的にモーセの作と傳えられているためにこのように呼ばれる.「五書」(〈ギ〉ペンタテューコス)という名稱は聖書にはない.多分紀元2世紀頃から用いられるようになったと思われる.ヘブル語正典では「律法」(〈ヘ〉トーラー)と呼ばれる.律法は,ヘブル語正典の中でも最も重要な部分を占め,ユダヤ人會堂では「アローン․ハ․コーデシュ」と呼ばれる櫃(ひつ)に納められており,每安息日には嚴かな儀式をもって取り出され,朗讀週課に從って朗讀される.
2. その內容は,
天地創造の時代から,モーセの死に至るまでの非常に長い期間にわたるものである.天地創造の時について聖書には明確な言及がないので,その期間がどのぐらいであるかを明確にすることはできない.
五書の槪觀は次のように分けることができる.
(1)原初の時代 創世111章.
(2)族長の時代 創世1250章.
(3)イスラエルの贖い 出エジプト118章.
(4)神との*契約 出エジプト1940章.
(5)聖い生活をするための規定 レビ127章.
a.*禮拜の手段 110章.
b.禮拜者 1127章.
(6)民の人口調査と組織化 民數110:10.
(7)荒野の行進 民數10:1136章.
(8)モーセの決別說敎 申命134章.
a.回顧と,從順の勸め 申命1:14:43.
b.律法とその意義 申命4:4429:1.
c.最後の勸めとモーセの死 申命29:234章.
創世111章には,天地創造から始まり,人間の墮落,洪水によるさばき,人類の新しい始まりが記されている.そこには,キリスト敎神學の基礎となる神論,創造論,人間論,罪の起源,終末論の土臺となるものがすべて記されている.同1250章には,*アブラハム,*イサク,*ヤコブ,*ヨセフなどの族長の歷史,すなわち,彼らが選ばれ,神と*契約を結び,後にエジプトへ下るようになった歷史が記されている.出エジプト118章には,エジプトに下ったイスラエル一族が增え廣がり,やがて奴隷になり苦役に服するようになったイスラエルの民を,モーセによって救い出す壯大なドラマが記されている.同1940章には,神が民に*律法を與え,*契約を結び,*幕屋を建設することが記されている.レビ記には,神の民となったイスラエルが聖なる神にならって聖い生活を送るための樣々な祭儀規定が記されている.民數記には,荒野におけるイスラエルの民の人口調査と組織化,荒野における試練,失敗,誘惑などと行進が記されている.申命記には,約束の地を前にしてその生涯を終えるモーセが民に語った三つの決別說敎が記錄されている.「律法に聞き從うこと」,これが約束の地において祝福を得る唯一の道である.そして律法を守らなかった場合の罰則條項も詳細に記されている.モーセの死をもって申命記は終る.
3. 五書(律法)は,
それ以後のイスラエルの歷史書,聖文書,預言書の思想の土臺となっている.すなわち,それ以後展開されるイスラエルの興亡の歷史は,神との契約を守るか否かによってその命運が決定されており,聖文書に記された文學も,神とイスラエルの契約が根幹となっている.預言者たちのメッセージの根本にあるのは,律法を遵守することへの勸めと,それを破った民に對する審判である.しかし同時に預言者たちは,神が計畵しておられる救い―イスラエルの回復,メシヤの來臨,終末における神の國の到來など―についても多くを語っている.それはまた,墮落によって失われたものの回復でもある.
4. 五書の著者問題は,
過去2世紀の間,舊約學者の主要關心事の一つであった.特に19世紀中頃,ヴェルハウゼンなどによって唱道された文書資料說によれば,五書はJEDPの四つの主要文書によって成り立つ.それぞれの文書が成立したのは,J―前850年頃,E―前750年頃,D―前621年,P―前500―前450年頃とし,最終的にこれらの文書が今日の形に編集されたのは前400年頃であるとする.この說に從えばモーセの著作說は否定される.今世紀に入ってH・OンケルとH・Oレスマンは,[+]樣式史的硏究を押し進め,五書の中には小さな文學單元の古い物語傳承が數多くあり,それらは文書資料說が主張するよりずっと古い時代から,人々の樣々な狀況に生活の座を持って傳えられてきたものである,と主張した.そしてそれらはより大きな說話群としてまとめられながら,後に各資料文書へと編集されるに至ったと考える.G・tォン․ラートはさらに口傳の傳承過程に注目し,傳承史的硏究を押し進めた.例えば,五書は本來相互に獨立したテーマが合體生成したものと主張する.これらの傳承は,擔い手の諸部族が別個にパレスチナに移住し,宗敎連合を行い,一つの統一民族となった後になって初めて,複雜な過程を經て,他の數多くの傳承と結び合されながら,一つにまとめられていったと見なした.この說によれば,イスラエル民族には五書に記された共通の歷史はないことになる.また傳承史學派は傳承の多くを原因譚によって說明しすぎるきらいがある.彼らは文書資料說の主張を多くの點で修正はしたが,文書化の時代という點においては,文書資料說の立場を根本的に支持している.しかしヴェルハウゼンの文書資料說は,當時一世を風靡した*ヘーゲルの哲學に基づく進化論的歷史觀によるものであり,原始宗敎的なものから高度に發達した祭儀を伴った*一神敎へという圖式に從って組み立てられているのである.ヘーゲルの哲學が今日あまり顧みられないだけでなく,*イスラエルの宗敎は最初から一神敎であったと指摘する學者も多い.また四文書が存在したという客觀的證據は何もない.H・nーンのことばを借りれば,舊約聖書批評學は今日矛盾し合う混亂の狀態を示している.
他方,19世紀の中頃より中近東において發掘された膨大な出土品は,五書に記されている出來事が當時の時代背景を正確に反映していることを例證した.ヌジ文書やマリ文書に見られる法律や習慣,ウガリットやエブラで發掘された文書など,枚擧にいとまがないほどである.考古學が破壞的批評學に對して聖書の史實性の認容の面において,權威の回復において果した役割は非常に大きなものがある.しかし考古學は,五書に記されている文化や時代の歷史性を裏付けるが,五書の內容の詳細を確證してはくれない.大切なことは,聖書を誤りなき神のことばと信じる聖書觀である.
ユダヤ人の傳承は五書を*モーセが記したとしているが,聖書自體の內的證言も,五書の多くの部分をモーセが記したものとしている.(1)五書自體の證言(出エジプト17:14,24:48等),(2)他の舊約聖書の證言(ヨシュア8:31,32,Ⅰ列王2:3,Ⅱ列王14:6,Ⅱ歷代34:14等),(3)新約聖書の證言(マタイ19:8,ルカ24:27,使徒3:22,ローマ10:5等).モーセが創世記の出來事に關する情報をどのようにして得たかについてはわかっていない.古代オリエントの記錄文書は前4千年期にまでさかのぼることができるから,族長たちがある種の文書を子孫に繼承していったことは十分考えられるし,また口傳傳承がこれらの文書を補ったことも考えられる.またある部分は*啓示によってモーセに傳達されたのかもしれない.モーセはパロの宮廷で當時の最高の敎育を受けていたから,エジプト語やアッカド語にも通じていたし,古代オリエントの古典,法律,兵法などの學びをしていたと思われる.また,イスラエルの民の指導者として,エジプト脫出からカナン國境に至るまでの40年間の行進と放浪の期間は,神の*啓示と*靈感を受けたモーセが五書の執筆に從事するのにふさわしい時であったかもしれない.このように,傳承と聖書の內的證言とともにモーセ自身の經歷は,五書の著者をモーセとするに十分な理由を與えてくれる.しかしこのことは,現在私たちが手にしている五書全部がモーセ自身の作によるということを意味しない.聖靈の指導の下に,後代のわずかな加筆,改訂,編集の手が加わっていることは十分あり得ることである.しかし,それらの加筆,改訂,編集をも含めて本質的に五書はモーセの作であると言うことができる.