聖書は神のことばなので聖書に間違いはなく、正確です。聖書のおよそ25%は預言で、今までその預言の半分は実際に既に成就しています。聖書は預言を通して、神のことばであることを証明しています。人間は未来に何が起こるかを明確に当てることが出来ません。神のみそれが可能なのです。
聖書の一語一句を神自らが書いたのではなく、神は人間に、その個人の心境や経験を書き記すことを許しまた。しかしその導きは聖霊なる神ご自身によってであるため、その内容に矛盾はありません。預言の中にある心境や起こる事柄は、筆者の経験をはるかに越えています。2ペテロ1:20-21に記されているように、聖書を字義どおりに読むことは、そこに書かれている意味を解釈するということです。自分勝手に解釈してはいけません。
聖書にはたびたび比喩的な表現や、たとえ話しが登場します。たとえばイエスはヨハネ10章で自分を「門」と言っていますが、イエスは実際には本当の門ではないし、ヨハネ15章では自分を「木」だと言っていますがそれも実際に木であるわけではありません。それは誰がどう見てもわかることで、難しい解釈ではありません。そこで語られている意味こそが重要なのであり、その教えは字義どおりに解釈するべきです。他の聖書箇所と比べて、その意味を理解することも大事です。
下記はイエスが成就した多くの預言の一部です。
1) イエスの復活 = 詩篇16:10 ⇒ マタイ28:5-9
2) 侮辱を受ける = 詩篇22:6-8 ⇒ ルカ23:11、35-39
3) 刺し貫かれる = 詩篇22:16 ⇒ ヨハネによる福音書19:18 / 20:19-20
4) くじ引きで服を分ける = 詩篇22:18 ⇒ ヨハネによる福音書19:23-24
5) 折られなかった骨 = 詩篇34:20 ⇒ ヨハネによる福音書19:31-36
6) 友人からの裏切り = 詩篇41:9 ⇒ ヨハネによる福音書13:18-21
7) 酢を飲む = 詩篇69:21 ⇒ ヨハネによる福音書19:29-30
8) 隅の親石 = 詩篇118:22-23 / イザヤ 28:16 ⇒ マタイ21:42-43 / 使徒 4:11 / エフェソ 2:20
9) 処女からの誕生 = イザヤ 7:14 ⇒ マタイ1:18-25
10) 殴られ打たれる = イザヤ50:6 ⇒ マタイ26:67 / 27:26-31
11) 福音が告げ知らされる = イザヤ52:13-53:12 ⇒ マタイ / マルコ / ルカ / ヨハネによる福音書
12) ベツレヘムで生まれる = ミカ5:2 ⇒ マタイ2:1
13) 銀貨30枚によって売られる = ゼカリヤ11:12-13 ⇒ マタイ26:15 / マタイ27:3-10
14) 弟子たちに去られる = ゼカリヤ13:7 ⇒ マタイ26:31、56