- 「復活」って何ですか?
- 復活が事実だという証拠は何ですか?
- 復活は弟子達の思いこみだったのでは?
- 弟子達がキリストの遺体を盗み出したのでは?
- キリストの遺体を他の誰かが隠したのでは?
- でも遺体を盗むこと自体は可能だったのでしょう?
- では、遺体を運び出したのではないという証拠は?
- キリストは実は仮死状態だったとか … ?
- 墓の中に残っていた亜麻布というのは何ですか?
- クリスチャンはどうしてそんなに復活にこだわるの?
- イエスの弟子たち、ないしはその周辺の人々(イエス側)
- ユダヤ人指導者、ないしはその一派(反イエス側)
- 中立派。たとえばローマ兵といった誰かのいたずら。
Q.「復活」って何ですか?
Ans.ほとんど大部分の人にとって不思議でならないのは、聖書がイエスの復活を実際あったとして記していることと、現代でもなおクリスチャンがそれを本気で信じていることでしょう。
自然科学の対象となるのは、繰り返し可能な事柄ですから、実験することによって調べられ、真実かどうかを明確に証明できますが、歴史上の出来事はそれとは違うので、証言や証拠を検討するのが真否を確かめる正しい道です。
そこで以下幾つかの項目にわたって、こうした証拠を取り上げたいと思います。ただその前に復活と仮死状態からの蘇生とを区別しておきましょう。
仮死状態から蘇生してきた人は、通常、衰弱しきっています。しかし聖書に記録されている復活後のイエスの活動を見てみると、十字架という残酷極まりない極刑後に意識を取り戻したという推量を許さないほどの、精力的なものです。復活の日にまず、マグダラのマリヤに(ヨハネ20:14)、エマオ途上の二人の弟子達に(ルカ24:13)、その夕方にエルサレムの弟子達が集まっていた所に現れ(ヨハネ20:19)、8日後にトマスを含む弟子達に(ヨハネ20:26)、その後、直線距離でも130km以上離れたテベリヤ湖畔で漁をしていたペテロ達に(ヨハネ21:1)などに現れ
「イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた」(使徒1:3)。
十字架刑後の仮死状態から覚めた人に、そのようなことができるでしょうか。
また、蘇生者はやがてはまた必ず死ぬべき元の体に生き返ったに過ぎません。しかし、弟子達は次のように証言しています。「こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒1:9-11)。このように、以上の2点において、イエスのそれは蘇生ではなく復活だったと聖書は証言しています。
Q.キリストの復活が事実だという証拠は何ですか?
Ans.前回ではまず復活と蘇生とを区別し、キリストのそれは蘇生とは異なっていたという事を見ました。そこで今回は復活の証言を調べてみましょう。まず、聖書記者です。
4つの福音書がそれぞれ、十字架のあとの日曜日の朝に復活が起こったと報告しています。ここで注目すべき点は、この4人の証言が大筋においては一致しながら、細かい点になると必ずしも完全に一致していない事です。“ホラ、やはり怪しい”と思うのは実はシロウト考えで、捜査・裁判のプロになると、数人の証言が細かい点まで判で押したようにピタリと一致するときにこそ“クサイ”と直感するそうです。そこに作為が働いている(つまり、口裏を合わせた)可能性が高いからです。この点で聖書の証言は合格するといえます。
Q.キリストの復活は弟子達の思いこみだったのでは?
Ans.弟子達がそれぞれ個人としては正直であり、復活が事実あったと信じていた点ではいいとしても、それが一種の集団幻覚でなかったという保証があるのかという疑問が起こるかも知れません。
それに対する有力な証拠は「空虚な墓」です。イエスを葬った墓は確認されていましたし、そこは埋葬後に封印されてローマ兵によって厳重な番をされていました(マタイ27:66)。ところが、日曜日の朝その封印は破られ、以後墓は空になっていたというのです。これは誰かが盗んだと考えるのが、普通の盗みの場合ならば自然です。そうすると、「犯人」は次の3グループのうちのどれかに属することになります。
Q.弟子達がキリストの遺体を盗み出したのでは?Ans.もし復活が起きたのではなく、誰かがイエスの遺体を盗んだのだとすれば、第一の候補者はイエス側の内の誰かです。これは常識的には一番ありそうで、ユダヤ教側では一貫して、そう主張しています(マタイ28:13)。
しかし、キリスト教の歴史は迫害の歴史と言われるほど過酷でしたが、その最大の殉教者であった使徒達がどうして自分達がウソと分かっていることに、真剣に命を投げ出していくことができたというのでしょうか?
「人間は利益のためにウソをホントだと言い張ることはある。だがウソとわかっていながらそのウソに命をかけるということは不可能である。」(千代崎秀雄「聖書おもしろ事典」p.170)。こうしてみると、遺体がなかったのは弟子たち若しくはそのグループの誰かのせいではありえないことになります。Q.キリストの遺体を他の誰かが隠したのでは?
Ans.前回はユダヤ教側が主張している、弟子達がイエスの遺体を盗んだということを調べ、その可能性が全く無いという事を見ました。今回はだれかほかのひとが、遺体を盗んだ可能性があるかどうかを見たいと思います。
しかし、このうち反イエス側の誰か、つまりユダヤ人指導者ないしはその一派は全く問題になりません。なぜなら、イエスの弟子達が「キリストは復活された!」と主張した際に、イエスの死体を持ち出せばそれでことはなんの造作も無く、一件落着するからです。それをしなかったのは、死体盗みに関しては反イエス派は完全に無罪という事になります。
また、中立派のローマ兵のいたずらということもありえません。なぜなら、いたずらの動機は単に人を驚かせる事にありますから、盗んでいたとしたら、早晩遺体を持ち出してきてアット驚かせたに違いないからです。
Q.でも遺体を盗むこと自体は可能だったのでしょう?
Ans.これまでの検討で、誰かがイエスの体を盗んだということがありえないことを見ましたが、実は単なる推論からではなく、実際上それが不可能だったことを暗示する聖書の記述があるのです。
ピラトは埋葬後、厳重な墓の警備を要求するパリサイ人達に「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」と言いました(マタイ27:65)。
この番人と訳されている単語(カストディアン)は、良く訓練された兵士16人からなる、無敵を誇るローマ軍の方陣を構成する1単位でした。この方陣を破って押し入ることは不可能に近く、キリストの納められていた墓はこのように厳重に警備されていたのです。戦闘機械のように訓練されていた彼らが、「居眠り」(マタイ28:13)していて警備を破られたりすれば、軍規により死刑でした。ですから、遺体を盗み出すなど、不可能だったのです。Q.では、遺体を運び出したのではないという証拠は?
Ans.マタイ伝27:66にはローマ官憲によってキリストの墓に番人が置かれたのみならず、「封印」の施されたことが記録されています。この封印は墓泥棒を防ぐためであり、粘土の上に公印が押されたものでした。ナザレで発見された大理石の破片にはギリシア語で
「カイザルの詔勅:...墓を破壊もしくは納められているものを移し替え、または封印を外した者は直ちに裁判に付し...有罪の場合は死刑に処すべきである」と書かれていました。この大理石破片はキリストの十字架以後の時代の物であることが確認されていますが、墓に関する犯罪はローマ法上、従来は罰金刑だったのになぜ死刑という極刑に変えられたのかという疑問に答え得るものは・・・・・・そうです、キリストの復活です。つまり、墓の中に納めたはずの遺体がなかったという事件が実際に起きて、大変な騒ぎが発生したことがきっかけとなって、その後そのようなことが起きないように法律が改められたのではないかと推量されるのです。
Q.それなら、キリストは実は仮死状態だったとか … ?
Ans.マタイ27:60とマルコ16:4には墓の入り口に転がしてあった石は「非常に大きかった」と記されています。どのくらい大きかったのかについて、ベーザという新約聖書の一つの古代写本には「男20人でも動かすことができない程だった」と書かれています。
昔のイスラエルのお墓は洞窟が多くその入り口には円形の切り石を転がして蓋にするのが普通でした。男20人でも動かせない大きさの石といいますと、少なくとも1.5~2トンの重さのものだそうです。道理で早朝に墓に急いでいたマリヤたちが「誰が石を動かしてくれるでしょうか」(マルコ16:3)と思いめぐらしていたわけです。
これらの事からわかるのは、ある人達が言うようにキリストは気絶していて、後で意識が戻って中から石を動かして出て来、警備兵の隙を見て逃げたのだなどという事はありえないという事です。Q.墓の中に残っていた亜麻布というのは何ですか?
Ans.聖書をよく読むと厳密な意味では、墓は空っぽではありませんでした。実は驚くべき物があったのです。マリヤが墓から帰ってきてイエスの体がなくなっている事を告げたとき、ペテロとヨハネがすぐさま墓に走って行きました。墓に入った二人の弟子達を最初に驚かせ、復活を確信させたものは墓が空だった事ではなく、空っぽの亜麻布でした(ヨハネ20:7)。二人は「これを見て信じた」と記録されています(同8)。
ユダヤでは遺体を包帯でしっかりくるむのを習慣としていましたが、それが形を崩されずにそのままにあって、ただキリストの体だけがなくなっていた事を目撃して、二人は瞬間的に復活を信じたのです。キリストはこの後でトマスに、ご自分の手の釘の痕に指をふれさせたように、肉体的に確かに甦ったのです。復活は私たちの理解を越える歴史的事実です。Q.クリスチャンはどうしてそんなに復活にこだわるのですか?
Ans.これまで各種の証拠を調べて、復活の歴史的事実性を見てきましたが、調べれば調べるほど明らかになるのがキリストの復活なのです。この検証を終える前に、どうしてクリスチャンが復活をそんなに重要視するのかを見てみたいと思います。イエスは言われました:
「私が天から下ってきたのは、自分の心のままを行うためではなく、私を遣わされた方のみこころを行うためである。私を遣わされた方のみこころは、私に与えて下さった者を、私が一人も失わずに、終わりの日によみがえらせることである。私の父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、私はその人々を終わりの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ6:38-40)。こう言われた方ご自身が、罪びとである私達が本来受けるべき罰を、十字架上で身代わりになって受けて下さり、三日後に復活されたのです。このことを通して私達に与えられる永遠の生命は単なる口約束ではなく、信ずべき事実であることを、キリストは御自分の復活によって証明されました。
主が復活したという知らせを聞いた弟子の一人トマスは、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」と言いました(ヨハネ20:25)。後で復活のキリストにお会いしたとき、その脇腹に指を差し入れたトマスは「わが主、わが神」とその信仰を告白しましたが、その時イエスは彼に言われました、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
あなたもこの復活されたイエス・キリストを救い主として信じる人になりませんか。