わかる組織神学 堕落論
アダムとエバの堕落、また人類の堕落はなぜ起こったか。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/075wakaru.htm
アダムとエバ デューラー画
人は、自由意志を持つ者として創造された。それゆえ神を愛することも、神を離れることも、人の自由であった。人は、善だけを行ない続ける可能性とともに、悪を行なって堕落する可能性も有していた。
一 人は自由意志を与えられた
もし、私たちに出来ることが一つしかないとすれば、私たちは自由とは言えない。自由とは、幾つかある道の中から、自分の進む道を自主的に選択できることである。
神はご自身、「自由意志」を持っておられる。神は主体的・自主的決断のできるかたである。この自由意志により、神は永遠に善を選び取り、悪を排除しておられる。だからこそ、自由意志には価値がある。
さて、神のかたちに似せて人が造られたとき、神は人にも「自由意志」をお与えになった。人は主体的・自主的決断をする存在者となった。
「自由意志」こそ、ロボットや操り人形と、主体的行動者としての人間とを区別する本質的要因である。
もし、人が善しか行なえないようにプログラムされていたら、人は自由ではなかった。それは操り人形に過ぎない。
しかし、人は自由意志を与えられたので、善だけを行ない続ける可能性とともに、悪を行なって堕落する可能性も有していた。
アダムとエバは、自動車のギヤで言えばニュートラルの状態に置かれた。前進か後退かは、彼らの自由意志による。
だから、自由意志を与えられた人間は、神と同様に主体的に善を選び取り、悪を退ける決断をしなければならなかった。その決断なしに、自由意志の価値は実証されない。
人にとって善とは、宇宙の絶対者である神のご命令を守ることである。また悪とは、神のご命令に背くことである。
神は、アダムとエバを造ってエデンの園に置かれたとき、彼らに幾つかのご命令をお与えになった。それはまず、
「生めよ。増えよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」(創世一・二八)
であった。また、エデンの園の中央に生え出た二本の木――「命の木」と「善悪を知る木」に関しても、次のようなご命令をお与えになった。
「あなたは園のどの木からでも、心のままに取って食べてよろしい。しかし、善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世二・一六~一七口語訳)。
アダムとエバは「園のどの木からでも心のままに取って食べて」良かったから、たとえ「命の木」から実を取って食べても良かった。
ただ、「善悪を知る木からは取って食べてはならない」という一つの禁止命令が与えられたのである。
これは、彼らの自由意志で守らねばならなかった。もし守らないなら、それは彼らの堕落を意味した........................................
..........................................................