大きな喜び
- 使徒行伝8:4~8 -
[インマヌエル 上卷.5-29]
[使徒行伝8:4~8] 「4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。6 群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。8 それでその町に大きな喜びが起こった。」
*** 人生で最も充実した生き方をした人はどのような人であろうか。他人を喜ばせた人、特に永遠の喜びをもたらした人が、最も充実した人生を送った人であると考えられる。
多くの苦難と困難の中でも福音を広め、サマリヤの多くの人々に大きな喜びをもたらした人が、ピリポ執事であった。彼はどのような人であったのだろうか?
1. 神が喜ばれた人であった。
[使徒行伝6:3] 「兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。」
(1) 神が彼を喜ばれた理由は何か。
① 彼は聖霊に満ちていた。
- 聖霊に満ちていなければ、試練と苦難を乗り越えることができず、迫害と試練を乗り越えることもできない。
② 彼は知恵に満ちていた。
- イエスがなぜ十字架にかかり、復活されたのかを知る人であった。
③ 彼は信仰を持っていた。
- 復活されたイエスを心に受け入れ、イエスが導かれるままに生きていた。
(2) 神が私たちに望んでおられることは何か。
① 神は私たちが熱心に集まることを喜ばれる。(ヘブル書10:25)
- 熱心に集まるべきである。教会に来ること自体を神は喜ばれる。
② また、来て留まるのではなく、出て散らばることを望まれる。(マルコ福音書16:15)
- 聖霊と知恵と信仰に満ちて、散らばってイエス・キリストを伝えることを望まれる。
2. イエス・キリストの証人であった。
[本文、4~6節]
(1) ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
① イエスは既にスカルというサマリヤの町で福音宣教をされたことがあった。(ヨハネ福音書4章)
② そしてピリポ執事を通じて、サマリヤの町にイエス・キリストの福音宣教が広まった。
(2) 群衆はピリポの話を聞き、イエス・キリストを信じ、救われた。
① 神はピリポに伝道する力を与え、またしるしを行う力も与えた。
② 群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
(3) 現代においても、神は私たちがこの世でイエス・キリストの証人となることを望んでいる。
3. 多くの人たちに大きな喜びをもたらした人であった。
[本文、7~8節]
(1) 誰でもイエス・キリストを受け入れると、大きな喜びを味わうことができる。
① 復活されたイエスを信じ、受け入れる人々には、キリストの霊が臨む。(ローマ書8:9)
② 汚れた霊につかれた多くの人たちからその霊が大声で叫んで出て行き、大勢の中風の者や足のきかない者は癒やされる。
(2) 私たちの弱さと病気をイエスに委ねなければならない。
① イエスが私たちの弱さと病気を負ってくださると、すべての病気が癒やされる。(マタイ福音書8:17)
② そうすれば、私たちは健康を得て、また新しい大きな希望が生まれる。
(3) イエスが支配されるように、人生のすべてのことを委ねなければならない。
① イエスは、私たちがすべきことをすべて教え、助けてくださる。(ヨハネ福音書14:26)
② そうすれば、イエスによって天の喜びと平安が与えられる。(ヨハネ福音書17:13)
*** 苦難と迫害の中でも大胆に福音を伝えた聖徒たちがいた。私たちも彼らのように聖霊に満たされ、知恵に満たされ、信仰に満たされた人となることを願おう。私が信じるイエス、十字架で私のために死なれたイエス、再び生き返られたイエスを確信を持って伝える信仰の人となることを切に願おう。私が伝えたイエスによって、彼らが悪霊の勢力から解放され、病気と弱さから癒やされ、天の喜びを体験するのをともに神に栄光を帰すことができるように祈ろう。