信じる者が受ける祝福
- ローマ書8:35-39 -
[インマヌエル 上巻.5-24]
[ローマ書8:35-39] 「35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
*** 神の愛は、神の独り子(イエス・キリスト)を通してこの世に現れた。したがって、イエス・キリストを信じる者は滅びることなく、永遠の命と祝福を受ける。
では、神の愛によって救われた私たちが受けた祝福とは何であろうか?
1. その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与られる。
⑴ 「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ福音書1:12)
⑵ 「私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」(第一ヨハネ3:1)
⑶ 「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。」(ガラテヤ書3:26)
⑷ 「あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」(ガラテヤ書4:6)
⑸ 「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ書1:5)
2. 誰でもキリストの中にいれば、新しい被造物となる。
⑴ 「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(エペソ書4:24)
⑵ 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5:17)
⑶ 「新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」(コロサイ書3:10)
⑷ 「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ福音書4:14)
3. 誰でも主の御名を呼ぶ者は救われる。
⑴ 「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」」(ルカ福音書19:10)
⑵ 「主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』」(使徒行伝2:21)<ローマ書10:13>
⑶ 「ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った」(使徒行伝16:31)
⑷ 「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ書10:9)
4. すべての行いにおいて聖なる者となる。
⑴ 「あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。」(ヨハネ福音書17:19)
⑵ 「このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」(ヘブル書10:10)
⑶ 「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」(第一ペテロ1:15)
⑷ 「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ書4:13)
5. 父なる神の家に信じる者が住む場所を備えておられる。
⑴ 「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」(ヨハネ福音書14:2)
⑵ 「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」(コロサイ書1:13)
⑶ 「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。」(第二コリント5:1)
⑷ 「聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、」(使徒行伝7:55)
*** 聖徒たちが得た救いは、やがて栄光に至る救いである。それはイエス・キリストとともに天国を相続する救いである。イエスが苦難を通して栄光を得られたように、イエスを信じる聖徒たちは、この世に生きる間、多くの苦難を経験しなければならないが、やがて栄光の復活の体を得て、栄光の天国で祝福された永遠の命を享受するであろう。それはすべての被造物も待ち望んでいるものである。その栄光は、現在私たちが受けている苦難とは比べものにならない栄光である。したがって、聖徒たちは希望の中でその栄光を耐え忍び、待ち望むべきである。