主を呼び求める人たち
- 第二テモテ2:22-23 -
[第二テモテ2:22~23] 「22 それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。23 愚かで、無知な思弁を避けなさい。それが争いのもとであることは、あなたが知っているとおりです。」
*** 私たちは、主が喜ばれる人生を生きるために、貴重な時を過ごさなければならない。主は、私たちが祝福された人生を送れるように、時宜に応じて導いてくださる。すなわち、神の御心に従って生きるように、すべての罪を赦し、清めてくださる。また、誘惑する暗闇の勢力を打ち破る知恵と力を与えてくださる。そして、信仰をもって祈る者には、聖霊の力を現してくださる。
+ 無期懲役囚が刑務所で神にこう祈ったという。 - 「私の生涯が主の喜ばれることを成し遂げる生涯であれば、本当に幸いである。」、「私のすべての生活の態度が主の喜ばれるものであれば、本当に幸いである。」、「私は罪と過ちで汚れた人生であるため、今日も主の御心を悟り、悔い改めることを切望する。」
* 主の喜ばれる生涯を送るためには、どうすればよいのか?
1. 主を清い心で呼び求めなければならない。
(1) 自分が主とともに十字架で死んだことを信じ、認める必要がある。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ書2:20)
(2) サタンの誘惑に欺かれて、肉体のことに囚われてはならない。<第一コリント3:1-3、第二テモテ2:14-19、24-26、第二コリント11:14>
「19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」(ガラテヤ書5:19~21)
(3) 自分に聖霊が働かれるように心を開かなければならない。<第一コリント2:14-16>
- その時から、神の言葉が自分の人生に直接迫り始める。
「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。」 (使徒行伝16:14)
2. 主の御心を知り、確信しなければならない。
* 神の御心を知り、成し遂げることを望まなければならない。<第一ペテロ2:2、マタイ福音書4:4、詩篇1:1~2>
(1) 聖書の御言葉を通して啓示される神の御心を知り、確信しなければならない。
「また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」(第二テモテ3:15)
「1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」(詩篇1:1~2)
(2) 自分に対する神の御心を成し遂げることを願わなければならない。
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」(ピリピ書2:13)
「それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。」(使徒行伝13:22)
「イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(ヨハネ福音書4:34)
3. すべてのことに信仰をもって神に祈らなければならない。
(1) 強くしてくださる方によって、どんなことでもできる。
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ書4:13)
(2) 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、祈りと願いによって、神に求めなければならない。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ書4:6)
*** 神の僕たちと聖徒たちは、倫理的にも人格的にも清くならなければならない。彼らは肉欲を避け、義と信仰と愛と平和を求めなければならない。彼らは肉欲の罪に陥ってはならない。神は教理的にも倫理的にも清い者を尊く用いる。
神の僕たちは互いに争わず、柔和な心で教訓し、懲戒しなければならない。反抗する者がいても、柔和さで彼を教訓し、矯正し、懲戒しなければならない。正しい思想、正しい人格、特に柔和な性格は、神が尊く用いる僕たちと役職者が持つべき徳目であり、すべての聖徒が努めるべき信仰生活の態度である。