定めの罪と悔い改め
- ヨハネ福音書8:1~11 -
[インマヌエル 上巻.5-17]
[ヨハネ福音書8:2~7] 「2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」 6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
*** 律法に定められた通り、石打ちで殺される危機に瀕した女が、イエスに連れて来られ、赦しと救いを受けた。その時、イエスは女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われた。
1. イエスに連れて来た女(ヨハネ福音書8:2~3)
⑴ 「朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。」
⑵ 「民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。」
⑶ 「律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから」
2. 告発する理由を得ようとした試み(ヨハネ福音書8:4~6)
⑴ 「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。」
⑵ 「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。。」
⑶ 「それは、イエスを告発する理由を得るためであった。」
<告発の条件>
① 「石打ちにしてはならない」と答える場合;
- モーセの律法を破る結果となる。(申命記22:23~24)
「23 ある人と婚約中の処女の女がおり、他の男が町で彼女を見かけて、これといっしょに寝た場合は、24 あなたがたは、そのふたりをその町の門のところに連れ出し、石で彼らを打たなければならない。彼らは死ななければならない。これはその女が町の中におりながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」(申命記22:23~24)
② 「石打ちにしなさい」と答える場合;
- 愛しなさいと教えた自分の教えを自ら破ることになり、またローマの法を破る結果となる。
* 当時、エルサレムはローマの植民地であり、死刑に相当する重罪はローマの法廷でしか扱えなかった。)
<律法への理解>
「それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。」(ローマ書7:7)
3. 試す者たちを退けるイエスの力(ヨハネ福音書8:7~9)
⑴ 「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
⑵ 「もう一度身をかがめて、地面に書かれた。」
⑶ 「彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、」
⑷ 「イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。」
4. 罪人を悔い改めさせる福音(ヨハネ福音書8:10~11)
⑴ 「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
⑵ 「彼女は言った。だれもいません。」
⑶ 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
<悔い改めさせる福音>
① 「さあ、来たれ。論じ合おう。と主は仰せられる。たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」(イザヤ書1:18)
② 「この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」」(マタイ福音書4:17)
③ 「10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」 12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」 (マタイ福音書9:10~12)
④ 「23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」 (ローマ書3:23~24)
*** 神の御子イエスは罪人を裁くために来られたのではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来られた。イエスは姦淫の現場で捕らえられた女をも裁かなかった。イエス・キリストの福音は、罪人を罪と永遠の滅びから救う御言葉である。誰でもイエスに近づき、彼を信じるなら、罪の赦しと義と認められる恵みを受けるでしょう。