約束ちなさい

- 使徒1:3~5 -

シャローム宣教会

 

[使徒1:3~53] イエスはしみをけた四十日らにれてのことを数多くのかな証拠をもって自分きていることを使徒たちにされた4 らといっしょにいるときイエスはらにこうじられた。「エルサレムをれないでわたしからいた約束ちなさい5 ヨハネはでバプテスマをけたがもうもなくあなたがたは聖霊のバプテスマをけるからです。」

 

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ルカの福音書最後にはすでにイエスの昇天されていますそこではわれていない部分使徒されていますたとえばイエスがよみがえられてから昇天されるまでなぜ40日間必要とされたのかまた約束である聖霊のバプテスマけることがイスラエルの復興(回復)関係があるのか、「聖霊のバプテスマけることがのご計画でどのような意味位置づけをもっているのかといったたな事柄提起されているのです

 

+ 「使徒序文何節までかということはによってなりますがここでは111までとしたいといますそしてその序文のキーワードは4にあるちなさいとしたいといますそれは昇天までの40日間においてイエスが使徒(弟子たち)えようとした重要です

 

1. イエスの昇天までの四十日間顕現意味

 

[使徒1:353] 本文

= ここにはイエスが復活されてから昇天されるまでなぜ四十日必要としたかがされていますそれは一言でいうならば使徒たちがこれからしいきをしていくための十分えのためでした

 

(1) そのつはイエスがきておられるということを確証させるためです

 

+ イエスはからよみがえられたいろいろな場所弟子たちにわれています

復活されたそのれたたちに(マタイ28:9)

マグダラのマリヤに(マルコ16:9ヨハネ20:1417)

エマオの途上にあった二人弟子たち(ルカ24:1331)

シモン・ペテロに(ルカ24:34)

復活された夕方エルサレムにいた弟子たちに(ルカ24:36ヨハネ20:19)

それから8日後トマスもめた弟子たちに(ヨハネ20:26)

ガリラヤのある11弟子たちに(マタイ28:1617)

テべリヤ湖畔7弟子たちに(ヨハネ21:14)

五百人以上兄弟たちにしかも同時(コリント第一15:6)

- しかもイエスの顕現数多くのかな証拠をもってなされましたその証拠のひとつにイエスが弟子たちとともにべたりんだりしたことがえられます(使徒10:41)

 

(2) その第二弟子たちがエルサレムかられずに約束たせるためです

 

+ ちなさいということばの原語ペリメノー」περιμένωこの箇所でしか使われていません。「メノー」μένωとどまるという意味ヨハネの福音書ではきわめて重要なキーワードですそれに接頭語としてのペリ」περιがついています。「~えて」「必要以上という意味強意していますつまりここでのペリメノー」περιμένωこれまでにはない特別意味においてということを意味していますそれはのご計画しい段階えるためにからの賦与される重要命令としてのちなさいだからです

 

2. 聖霊のバプテスマとイスラエルの復興関係

 

+ イエスがもうもなくあなたがたは聖霊のバプテスマをけるわれたいっしょにまっていた弟子たちはそれはイスラエルの復興(回復)るのだとイエスにこそイスラエルのために再興してくださるのですか熱心ねましたこの質問してかなものではなくみことばの根拠(約束)づく質問だったのです

 

+ この40日間イエスはただ自分きていることだけでなくのことを再度繰してっていますそのについておそらくイエスはモーセの律法預言書詩篇いてあること(旧約聖書)全部成就するということをしてったとえられます約束してくださったものとは聖霊のことであり旧約ではしいわれていますたとえばエゼキエル1119にはわたしはらにつのえるわたしはあなたがたのうちにしいえるとありますしかしこのしいえられるには、「わたしはあなたがたを々ののうちからあなたがたがらされていた々からあなたがたをイスラエルのをあなたがたにえる(11:17)同時預言されているのですつまりしいえられることイスラエルの回復はワンセットなのです

 

+ また原語ルーアッハ、「ともされますそれは聖霊象徴ですエゼキエル37にはれた(からびた)がありますが四方からいてくるとそのれたるのですこれはイスラエル全家回復預言していますなぜならこれらのはイスラエルの全家であるべているからです(37:11)そしてわたしのをあなたがたのうちにれるとあなたがたは・・・このときあなたがたはであるわたしがこれをこれをげたことをろう(エゼキエル37:14)べています

 

+ 弟子たちはこのかかわりをかめるためにイエスに熱心ねていることをらなければなりませんして誤解しているわけではないのですここでのねたという原語エペロータオーπερωτάω熱心ねるという意味ですネストレ27ではエロータオー」ερωτάω改訂されていますが、「ねるという意味ですいずれにしても時制未完了このことが重要です未完了時制継続的してという意味合いがあります弟子たちはそろってイエスになんども熱心しいえられることイスラエルの回復とのかかわりについて納得するまでねているのです

 

+ イエスはそれにしてどのようにえたのでしょうかイエスはわれました。「それはがご自分権威をもっておめになっています(使徒1:7)。「それはとはイスラエルの回復(再興)のことですそのことはしてどうでもよいことではなくまた反故にされたことでもなく確実御父がご自身権威をもってめておられることだとイエスはわれたのですしかしその実現については御父独占事項でありイエス自身らないしだれもることはできないのだとわれたのですということはエゼキエルによって預言された約束実現先送りされることを意味しています

つまりのご計画はこれまで啓示されてきた路線とはなっているのです旧約預言者たちがってたことは先延ばしとなりそれまでとはなるしい路線になっているのです旧約預言者たちにもらされていなかった事柄がはじめてここでされているのですですから8冒頭にはしかし(アッラλλά )という意味接続詞使われていますこれは啓示しい路線意味しますイスラエルの回復しいえられる約束先延ばしとなっただけでありそれはたならば実現するのですこのことをめることはとても重要ですなぜならそこにはされているからです置換神学弊害によってこのされてしまったことは残念なことですがやその間違いがらかになってています

 

+ では一体約束された聖霊のバプテスマはのためにえられるのでしょうかそれはわたしの証人(あるいは証言者)」、つまりイエス・キリストの証人となるためだとイエスはわれました5聖霊のバプテスマをけるということを8では聖霊があなたがたのまれるときあなたがたはけます(ります)えられていますその賦与目的証人(マルテュス」μάρτυς)となることです。「マルテュス殉教者という意味がありますけるほどに証言する賦与それが聖霊のバプテスマ意味であり弟子たちにえられたしい使命なのです

 

3. まれて昇天されたイエス

 

[使徒1:911] 9 こうってからイエスはらがているげられまれてえなくなられた10 イエスがってかれるとき弟子たちはつめていたするとがふたりらのそばにっていた11 そしてこうった。「ガリラヤのたちなぜ見上げてっているのですかあなたがたをれてげられたこのイエスはってかれるのをあなたがたがたときと有様またおいでになります。」

 

+ イエスの昇天しているルカの福音書24:51ではげて祝福しながららかられてかれたとあるだけですが使徒きではまれてえなくなられたとありますここにある(ネフェレー」νεφελη)栄光われです

 

旧約時代ではモーセがシナイの山頂において律法えられています荒野における幕屋における臨在によってわれましたソロモンが神殿奉献したときにもやはりわれ祭司たちはその臨在圧倒されてっていることができませんでした臨在のしるしです

 

+ 新約ではイエスの変貌がわきこり弟子たちをおおいましたするとそのからこれはわたしのするわたしのんだうことをきなさい。」というがしました(ルカ9:3435)復活されたであるイエスはまれて昇天されたことによってその栄光わされましたそして同様イエスがびこの地上ってられるにもってることが約束されているのです(使徒1:11マタイ24:30, 26:64黙示14:16)

 

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