ヨハネの死

 

http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou9.html


 バブテスマのヨハネはその後間もなくガラリヤの領主ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の子)が弟の妻と強引に結婚したことを非難したため、アンティパスによって逮捕され、投獄されたのち処刑されました 「ユダヤ古代誌」によるとアンティパスは人々に対するヨハネの絶大な影響力が何らかの騒乱を引き起こすのではないかと警戒して彼を投獄したと伝えています。


 

 
<ヨハネとサロメ>

 ヘロデ・アンティパスが自分の弟
の妻ヘロディアの色香に迷い、ヘロ
ディアを誘惑して強引に結婚した
ことをヨハネが糾弾し、弾劾したこ
とに対して、アンティパスははヨハ
ネを憎み、執拗にヨハネを怖れ続け
、牢獄に押し込めましたが、さすが
にためらうものがあり、手を下すこ
とが出来ないでいました。
 ヘロデの誕生日の祝宴の席で、ヘ
ロディアの娘サロメが舞を踊り、居
並ぶ客人の大喝采を博しました。
 ヘロデは娘サロメに「欲しいもの
があれば何でも言うが良い、お前が
願うならこの国の半分でもやろう」
と言うとサロメは席を外して母親
のへロディアに相談したところ、ヘ
ロディアは「洗礼者ヨハネの首を」
と言いました。
 そこでサロメは大急ぎで王のとこ
ろに行き「今すぐ洗礼者ヨハネの首
を頂きとうございます」と願いまし
た。
 王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を
はね、盆にのせて持って来てサロメ
に渡しました。
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 イギリスの作家オスカー・ワイル
ドの作った「サロメ」はマルコ伝福
音書6章14~29を題材にした一幕
の戯曲です

  
(画像をクリックすると拡大します) sarome2.jpg 出 現 ギュスターヴ・モロー 1876年 (パリ、ルーヴル美術館)
舞うサロメの前に突如出現する ヨハネの首 王妃のメッセンジャーに過ぎな かったサロメは、モローによって "男性を破滅に導く宿命の女"へ 変貌し、その新しい女性像は世紀 末芸術において大流行しました。