狛犬(こまいぬ)とは、


獅子に似た日本で、想像上の生物とされる。として神社寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。

飛鳥時代日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している。


起源

古代インドで、の両脇に守護獣としてライオンの像を置いたのが狛犬の起源とされる。また、古代エジプトメソポタミアでの神域を守るライオンの像もその源流とされる。明治神宮では、起源は古代オリエント・インドに遡るライオンを象った像で、古代オリエント諸国では、聖なるもの、神や王位の守護神として、ライオンを用いる流行があり、その好例がスフィンクスであるとしている[1]

伝来

日本には、中国の時代の獅子が、仏教とともに朝鮮半島を経て伝わったとされている。明治神宮では、伝来の時期は示していないが、日本人が異様な形の生き物を犬と勘違いし、朝鮮から伝来したため、高麗犬と呼ばれるようになったとの説を紹介している[1]。「こまいぬ」の語義には諸説あり、魔除けに用いたところから「拒魔(こま)犬」と呼ばれるようになったとする説などがある[要出典]奈良県法隆寺五重塔初重の壁面塑造に彫られている像のように、はじめは仏や仏塔入口の両脇に置かれ、獅子または大型の犬のような左右共通の姿であった。

角を持つという狛犬の由来についてはさまざまな説があり、『延喜式』巻第46「左右衛門府式」に「凡そ大儀の日[2]に(左衛門府は)兕(じ)像を会昌門左に居(す)ゑ、事畢(おは)りて本府(左衛門府)へ返収せよ。右府(右衛門府)は(会昌門の)右に居えよ」と記され[3]、この「兕(じ)」は獣医学者の吉村卓三によれば、正体は判然としないが水牛に似た一角獣で鎧の材料になるほどの硬皮を持ち角は酒盃に用いたというが、この「兕」が狛犬であるという説もその一つである。

変遷

平安時代に入ると、『うつほ物語』に記述されているように「大いなる白銀(しろがね)の狛犬四つ」に香炉を取り付け、宮中の御帳(御帳台)の四隅に置いて使われており、『枕草子』や『栄花物語』などにも調度品として「獅子」と「狛犬」の組み合わせが登場し、こちらは御簾(みす)や几帳(きちょう)を押さえるための重し(鎮子)として使われていたことが記されている。

獅子と狛犬の配置については、『禁秘抄』と『類聚雑要抄』に共通して獅子を左、狛犬を右に置くとの記述があり[4]、『類聚雑要抄』ではさらにそれぞれの特徴を「獅子は色黄にして口を開き、胡摩犬(狛犬)は色白く口を開かず、角あり」と描いている。獅子または狛犬は中国や韓国にも同様の物があるが、阿(あ)・吽(うん)の形は日本で多く見られる特徴であり、仁王像と同様、日本における仏教観を反映したものと考えられている。

一般的に、獅子・狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、古くは角を持っていた。鎌倉時代後期以降になると様式が簡略化されたものが出現しはじめ、昭和時代以降に作られた物は左右ともに角が無い物が多く、口の開き方以外に外見上の差異がなくなっている。これらは本来「獅子」と呼ぶべきものであるが、今日では両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多い。

近世から現代にかけて、各地の寺社に膨大な数が造られており、形態にもさまざまなものがある。獅子・狛犬の有無も神社によりさまざまで、たとえば京都府京都市内の神社では狛犬がいるところが約半数である。現在、各地の寺社境内で見かける狛犬には石製のものが多く、ほかにも金属製や陶製のものがある。前述のように宮中の御帳台などで調度品として使用されるものは金属製であったと思われるが、一方で神仏の守護の役割を果たす獅子像、狛犬像については屋内に置かれたものは木製が多く、屋外に置かれるようになって石が使用されるようになった。現存する木製の獅子・狛犬例には、奈良県薬師寺鎮守休ヶ岡八幡宮や、滋賀県大宝神社、京都府高山寺広島県厳島神社などのものがある(いずれも重要文化財)。石製の古い例では奈良県東大寺南大門に置かれている一対の像があるが、これらはの様式が新たに日本に伝えられ、「唐獅子(からじし)」と呼ばれる種類のもので、阿吽形ではなく、両方が獅子の姿をしている。


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