電器店を経営しながら伝道
――月岡世光――
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月岡世光さん

 

インタビュー


 今月は、山形県米沢市で電器店を経営しながら、幅広い伝道活動や社会福祉事業に活躍中の月岡世光(つきおかせいこう 本名・実)氏にスポットをあてて、インタビューしました。


 月岡さんは、山形大学工学部の講師もつとめた経験を持つ科学者で、その科学的探究の経験をもとに、「聖書通信協会」を設立。科学的創造論に立った十数種類ものトラクト(伝道文書)を、発行しています。
 トラクトは無制限に、無料(または自由献金)で提供され、そのわかりやすい内容はきわめて好評。発行部数は、25年間になんと4000万部にも及んでいます。
 とくに「創造か進化か」 (あなたの祖先は?)や、「なぜでしょうか?」(科学と人生)のトラクトは海外でも用いられ、今や17か国語に翻訳されて、320万部が配られています。配布先は、イスラエル、東欧諸国、中国、ソ連、東南アジアや、アメリカにも及んでいます。
 月岡さんは、聖書を中国やソ連、アラブ諸国に送る計画にも協力。またベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア向けの福音ラジオ放送にも協力し、さらには社会福祉事業においても活動するなど、幅広く活躍しています。

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月岡さん執筆のトラクト。17か国語に翻訳されている。



 ――72歳にはとても見えませんね。今までどうしてこんなに幅広い伝道活動や、社会福祉活動をすることができたのですか。

 私は、神の御子イエス・キリストを信じたときに、神の大きな愛に感動したんです。 
 「罪人(つみびと)のかしら」のような私が、キリストの十字架の贖(あがな)いによって清められ、救われたというだけで、大きな恵みでした。以来、自分の生涯と事業のすべてを、神にお捧げしました。
 すると、「神の国とその義とを、まず第一に求めなさい。そうすれば、それ (日々の必要) に加えて、これらのものはすべて与えられます」
 という、マタイ6章33節のイエス様の御言葉が現実となったんです。次から次へと事業が開かれて、祝福されました。
 ですからすべては、父なる神、救い主なるキリスト、そして常に祈りに答えて私を導いてくださる聖霊の、三位一体なる神様の豊かな恵みにほかなりません。私自身には、何一つ誇るものはないんです。
 (月岡さんは、はじめインタビューをためらっておられたが、神のご栄光の証しのためならと、引き受けてくださった。)


 ――月岡さんは、どのようにしてクリスチャンになったのですか。

 私は少年の頃から、広大無辺な夜の星空をながめることが好きでした。ながめながら、よく神秘の念に打たれたものです。
 また生物、とくに人体の構造やその働きの素晴らしさを見て、私たちも全知全能の神様によって造られたんじゃないか、また神様によって生かされているんじゃないか、と思いました。
 ところが学校では、生命のないものから微生物が生まれて(そんなことはあり得ないんですが)、それがやがてクラゲやタコのような無脊椎(せきつい)動物になり、魚のような脊椎動物になり、さらに両棲類(りょうせいるい)→爬(は)虫類→哺乳類→人間と進化してきた、と教えられたわけです。
 その進化論がもしホントウなら、なぜ今日も、進化しないままタコや魚のままでいる生物がいるのか、と私は思いました。
 また、それらの生物が私たちのご先祖様なら、仏壇に祭って祖先崇拝しなければならない。それにタコや魚を私たちが食べるのは、ご先祖様のようなものを食べることになってしまうわけですね。
 私が7歳の時だったんですが、私の家は仏教に入信しました。朝夕1時間ずつお経とお題目を唱(とな)えて、私も10年間熱心にやったんです。
 お寺に通って、仏教の大学を出たお坊さんに、いろいろ質問もしてみました。でもこのことに関して、納得できる解答は得られませんでした。
 仏教の開祖おシャカさまは、平安な境地に入るために、自我を捨て去る修行をするよう弟子たちに教えました。ところが彼の死後、弟子たちは彼を仏像にして拝むなど、おシャカさまの予想もしなかった方向に進んでしまったわけです。
 私は、20代の前半は戦場で生死の間をくぐりました。後半は、山形大学工学部の電気通信科で講師をしながら、科学の研究に没頭しました。
 私は電子工学や、物理、化学などを研究すればするほど、その法則のうちに、天地万物の創造主なる神の御手のわざを見出しました。
 じつは教職員の中には、私だけでなく、真の神を信じて聖書を学ぶ先生が多くいました。私も創世記1章1節の、
 「はじめに神が天と地とを創造された」
 の言葉や、生物が「種類にしたがって」造られた様子を学ぶにつれて、その記述が科学の基本法則ともよく一致していることを、発見したんです。


 ――そうしたことが「聖書通信協会」の設立に結びついていったのですね。

 ええ、わずかな資金しか持っていませんでしたが、そののち技術と信用で、月岡デンキ店を始めました。それがやがて軌道にのって、伝道資金も得られるようになりました。
 それで事業と伝道を一体化して、「聖書通信協会」をつくりました。20年前のことです。
 重量鉄骨の3階建てと、2階建ての2棟を建設したときは、店の中心に聖書を埋めたんです。そして店を、神のご栄光と人々の霊的救いに役立つようにと、主である神にお捧げしました。
 全面総ガラスの店の2階は、「聖書通信協会」(B.C.A.=Bible Correspondence Association) の看板にしました。その部屋の正面最上段に、
   Christ is the head of our shop.
   (キリストはこの店のかしらである)
 と書き、その下には、
 「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」
 さらにその下に、聖書を一貫する教え「愛」、またその右に「謙遜」と書きました。


 ――電器店の経営と、伝道とを一体化したわけですね。

 ええ、毎朝9時に本支店の社員13名がそこに集合すると、全員で礼拝を捧げさせていただきます。
 教会と同じく、賛美と祈りと聖書の学び、それにハレルヤ三唱の15分間をまず聖別(せいべつ)し、それから仕事に入るんです。
 イエス・キリストを主と仰ぎ、電器店の純益の中から、聖書通信協会の事業を進めています。創造主に導かれていますから、この事業もいまや日本全国だけでなく、全世界に向かって毎年大きな伸長を続けています。

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月岡さん経営の電器店



 ――ビジネスと伝道の両立ということで、苦労はなかったのですか。

 最近、全国的な大型電器店がいくつも米沢市にに出店したんですが、おかげさまでうちの店は、ナショナル系列では米沢をはじめ周辺都市の中で、毎年一番の実績をあげています。これも神の豊かな祝福と、優秀で親切な社員のゆえであると思っています。
 昨年の中頃から、事業は40なかばの息子と娘にバトンを逐次渡し始めて、店の活性化をはかっているところです。聖書に、
 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も救われます」
 とありますが、この聖言(みことば)は真実です。今では私たち8人家族が救われているのはもとより、嫁に行った娘宅や、私の弟一家、またその娘たちの嫁ぎ先も、全員神の家族になって救われ、仕合(しあ)わせ(幸せ)になっています。
 「仕合わせ」とは文字通り、お互いに"仕え合う"ことで幸せになれるんだ、と思うんです。その心は「愛と謙遜」です。
 店では社員が、家庭的で互いに仕え合う心で接しています。お客さまにも親切に仕えるので、評判がいいんです。
 イエス様は最後の晩餐(ばんさん)の時、神の子なる御身でありながら、弟子たちの足を洗い、愛と謙遜を教えられたわけですが、私たちもイエス様にならう者になりたいと心がけています。
 事業や伝道奉仕が共に祝福され、導かれているのは、この神に祈り、ゆだねていくことによるのだと確信し、感謝と喜びの毎日を精一杯すごさせていただいています。
 これは私だけでなく、全員のものです。トラクトの発送も、私個人の名ではなく聖書通信協会として、全員で「天に積む宝」として捧げさせていただいています。
 今の世は、個人的にもまた全体的にも、終末が近づいていますから、「虫も錆(さび)もつかない永遠の天国に宝を積む」のが、一番賢明だと思うんです。
 家内(梓 あずさ)と私は同年で、戦前から、戦中、戦後の苦難の時代を通ってきました。ですから、ぜいたくはしません。質素な生活に甘んじてこそ、福音伝道にささげる喜びが、清くて大きなものになると思います。社員には、
 「社長、クラウンにでも乗ってくださいよ」
 と言われるんですが、社員に営業用の新車を与え、その下取り用の中古車を、自分の車にしています。


 ――世界各地の伝道を、様々な面でバックアップされているそうですね。

 香港の伝道に9人乗りの車がぜひ必要だ、と聞いたときは、トヨタのタウンエースの新車を送りました。伝道者たちが、香港の中国への返還前に全力投球で励んでいる姿を見て、何よりうれしいですよ。
 2年前は南フィリピンに、昨年春は北インドに、教会堂を建てさせていただく恵みを与えられ、感謝でした。基礎造りから次第に完成していく写真が現地から送られてきて、その会堂で2~300人の人々が賛美している写真も送られてくる。
 自分の家を建てるより嬉しいですね。アジアでは、日本の円は何十倍も価値がありますから、やる気になれば誰にでもできることなんです。フィリピンの会堂は47万円、インドの会堂は150万円で完成しました。
 聖書の中心地――聖都エルサレムの「エルサレム中央聖書研究所」でも、たくさんの事務処理のために、IBM(米国製)コンピューター2台とプリンター2台が必要になりました。
 それで、家内と私の老齢年金をささげてプレゼントしたんですが、そのコンピューターに「世光号」「梓号」と名づけてくれました。それらがエルサレムで、私たちの代わりに活躍してくれているわけです。
 また、大勢のスタッフや訪問客の食事の後始末のために、ドイツ製の食器洗い機を、炊事場と食堂に備えさせていただきました。それらも私たちの代わりに、召使いになって働いてくれています。

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フィリピンのこの教会堂は47万円でできた。



 ――たとえ老齢や病気等で何も出来なくても、また外国語が話せない人でも、主に祈って自分をささげれば、主は大いに用いてくださるんですね。

 以上のことは、「主の証(あか)し」としてお役にたてば、と思ってお話ししました。最初は迷ったんです。「あれをした。これをした」などと人に自慢していては、天に宝が積めなくなってしまいますからね(笑い)。
 すべては神様の豊かなお導きと、恵みなんです。これらはどれも、神様がなさったことの証しですから、役立ててください。
 外国語の話せない私が書いたトラクトが、なぜ17か国語にも翻訳され、喜ばれながら配布されているのかと時々聞かれるんですが、トラクトさえ私自身が書いたものとは言えないんです。
 どのトラクトも、祈りに祈って、聖霊のお導きで書かせていただいたものばかりです。私は文才もないし、自分が書いたものとしてはよく出来すぎています。
 トラクトの中のイラスト (挿絵) も、どなたか名も告げない人が、印刷所で描いて帰ったというものが多いんです。私は主の御使いかとも思って、感謝しています。


 ――海外宣教は、どのようないきさつでお始めになったのですか。

 今から15年ほど前の夜中の2時頃でした。私は目をさまして、祈りたい思いに導かれたんです。
 床に正座して、静まって手を合わせていると、霊感を受けて、
 「全世界に出ていき、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」
 との御声が、全身に響くように聞こえてきました。それで、
 「えっ、全世界にですか。私はいま日本全国でトラクトが用いられて、感謝しています。とても全世界になんて、私に出来ないと思いますが」
 とお答えしました。しかしすぐに反省して、
 「人にはできないが、神にはできる。神は何でもできるからである」(マコ10:27)
 という御言葉を思い出しました。さらに、バプテスマのヨハネの父ザカリヤのように主の御声を疑ってはいけない、聖母マリヤのように感謝して主に従わなければならない、と思って、
 「主よ、私にはできそうにないのですが、主がこんな私に全世界伝道をさせてくださるのなら、こんなにうれしいことはありません。感謝します」
 とお答えして、平安に満たされました。
 それで寝たのですが、また3時半と5時頃、同じことが繰り返されました。聖書によればサムエルの時も、ペテロの時も、同じことが3回繰り返されたとありますので、これは主の召命と感謝しておりました。
 するとその1時間後――夜明けの6時頃に、アメリカのジョー・トスさんという伝道者から、米沢の田中信生・牧師に電話が入りました。そして、
 「月岡さんのトラクト『なぜでしょうか』(WHY?)を、アメリカで巡回伝道に用いたい。ぜひ著作権と、軌道に乗るまでの印刷費用を、サポートしてほしい」
 と言ってきたのです。それで朝10時頃、田中先生が来て、私にその話をしました。
 全世界を創造し統べたもう主イエス様の召命に、私は驚きました。私は感謝して、そのご要望に、即刻お応えしました。
 ジョー・トスさんは、米国教育委員会の指導主事をしておられます。
 そして奥様や同労者たちと共に、讃美楽団をつくって、休日にはバスで多くの教会に巡回伝道をしているんです。その集会で配るのに「WHY?」のトラクトは最適だから、ということでした。
 「米国内で、日本人執筆のトラクトが翻訳発行されたのは初めてだ」
 とアメリカの新聞に出たそうです。
 これに続いて、主は次々と世界の多くの国々で「聖書通信協会」(BCA)を用いて下さり、今日に至っています。
 マタイ24章に記されたこの世の終わりと、主のご再臨の時は、もう間近でしょう。今こそ、
 「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」
 の最後のチャンスです。その日、
 「私は走るべき行程を走りつくしました」 (Ⅱテモ4:7)
 と、主の御前で申し上げることができるように、私も頑張っています。      


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