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カルト宗教の問題
カルト宗教の問題が取り沙汰されて久しいですが、今尚、カルトは侮れない存在です。あなたやあなたの大切なご家族がカルト宗教の魔の手に引っかからないとは限りません。用心するに越した事はありません。
なぜカルトに騙されるのでしょうか。さっきほど、誰でも騙される可能性はあると言いましたが、その理由について少し紹介しようと思います。
まず第一に、騙される人の特徴として、自分で情報を組み立てる能力が乏しい点が上げられます。色んな情報を聞いて総合判断できないのです。
第二に、騙される人の特徴として、自分に都合のいい情報しか受け付けない点が上げられます。先入観・固定観念・思い込み・自己防衛・自己陶酔などに縛られているのです。
上の二つの特徴は、実は、全ての人が多かれ少なかれ持っているものです。問題はその事実を知っているかそうでないかで大きな差が出てくるという事です。知っている人は、騙されないように注意深く情報を収集して分析します。しかし、知らない人は他人任せになってしまいます。考えるという事は非常に疲れることなので、脳は出来るだけサボりたがるのです。他人任せの人は、完全にサボり癖がついた脳の所有者とも言えます。こういう人は楽をしたいので、自分にとって心地よい事を言ってくれる宗教、そして実感できるご利益を求めます。
聖書でもこの傾向を警戒して、パウロも次のように語っています。
「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(第二テモテ4:3-4)
情報化社会を生きている私たちは、情報の津波に押し流されかねない状況にあります。しかし有益な情報は受動的に受け取るものではなく、能動的に掴み取っていくものなのです。知ろうとしなければ本当に必要な情報は集まってきません。情報を遮断して騙されるようにし向けているのは自分自身であることに気付く必要があります。カルトは騙されたい人に心地よい悪意に満ちた癒しを提供しているにすぎません。その癒しの裏にある「悪意」というものに気付く人は騙されないのです。
話をカルトに限定しているのでわかりづらいかもしれませんので、理解を助けるために政治の例をとって考えて見ましょう。政治は私たちの日常生活に著しい影響を与えます。日本は一応、議会制民主主義国家なので、選挙をして当選した議員を国会に送って政治に影響力を行使します。国の行く末や国家の運営など、とても大切な事が選出された議員たちよって決められて行きます。ですから国の事は勿論、自分の生活を真面目に考える人であれば、日頃から国の在り方や理想の国家運営等々を考えて、自分の考えを代弁してくれる議員を選ぼうと選挙に非常に関心を持ち、議員を十分に吟味して投票するはずです。比例代表では自分の理想を実現してくれそうな政党を選ぶはずです。ところが実際に選挙に行っている人がどれだけいますか。選挙はせずに文句だけ言う。典型的な愚民と言われて仕方ないでしょう。面倒臭い、投票しても無駄、色んな理由はあるでしょうが、こういう人たちは自分で考える事を放棄しているのです。自ら進んで政権与党に騙して下さいと言っているようなものです。議員を宗教家に、政党を宗教団体に置き換えれば、カルトに騙される人がどういう人たちなのかがわかるのではないでしょうか。政治家が国民の他人任せな性質を利用して歯の浮くような美辞麗句や実現不能な政策を出来るとうそぶいて人気を取るポピュリズム型衆愚政治を行うように、カルトの教祖もまた歯の浮くような言葉で褒めちぎり、証明できない霊の世界を巧みに利用して出来もしない奇跡を出来ると言って信者をその気にさせて騙すのです。政治家が結局は国民を無視して消費税増税などを強行するように、カルトの教祖も私腹を肥やすために献金を強要したりします。しかし、その時になって騙されたと言っても遅いのです。
情報は自分で取捨選択して組み立てて行くものです。組み立てるためには考えなければなりません。この作業が煩わしいとか面倒臭いと言う人は、騙され続け、ついには騙されている事自体に気づかず、それを喜ぶようになります。これを奴隷の幸福と言います。ストレスに疲れ果てている現代人にカルトの甘い誘惑が忍び寄っています。有名タレントが自称占い師に騙されたニュースがよくテレビで報道されていますが、彼らだって最初はほんの興味本位で占いをしたにすぎないのです。世間をお騒がせしたカルトじゃなくても、占いという形でカルトは身近なところで犠牲者を探し求めています。あなたがその標的になるやもしれません。
カルトには悲しいかなキリスト教の仮面を被った団体も多く存在します。それどころか正統派の教団に属していながら牧師が暴走してカルト化する事例も多数報告されています。騙されないためには、的確な情報を得る事が必要です。例えばキリスト教であるならば、自分でまず聖書を読んで見る事です。そしていきなり教会を訪ねずに、ネットなどで教会が正統派か異端やカルトでないかを調べるなど、能動的な情報収集努力が必要です。
最後に一言付け加えておきます。異端やカルトが自ら異端やカルトであるとはいいません。必ず正統派であるとうそぶきます。騙されてはなりません。騙されてからでは遅いのですから。
なぜカルトに騙されるのでしょうか。さっきほど、誰でも騙される可能性はあると言いましたが、その理由について少し紹介しようと思います。
まず第一に、騙される人の特徴として、自分で情報を組み立てる能力が乏しい点が上げられます。色んな情報を聞いて総合判断できないのです。
第二に、騙される人の特徴として、自分に都合のいい情報しか受け付けない点が上げられます。先入観・固定観念・思い込み・自己防衛・自己陶酔などに縛られているのです。
上の二つの特徴は、実は、全ての人が多かれ少なかれ持っているものです。問題はその事実を知っているかそうでないかで大きな差が出てくるという事です。知っている人は、騙されないように注意深く情報を収集して分析します。しかし、知らない人は他人任せになってしまいます。考えるという事は非常に疲れることなので、脳は出来るだけサボりたがるのです。他人任せの人は、完全にサボり癖がついた脳の所有者とも言えます。こういう人は楽をしたいので、自分にとって心地よい事を言ってくれる宗教、そして実感できるご利益を求めます。
聖書でもこの傾向を警戒して、パウロも次のように語っています。
「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(第二テモテ4:3-4)
情報化社会を生きている私たちは、情報の津波に押し流されかねない状況にあります。しかし有益な情報は受動的に受け取るものではなく、能動的に掴み取っていくものなのです。知ろうとしなければ本当に必要な情報は集まってきません。情報を遮断して騙されるようにし向けているのは自分自身であることに気付く必要があります。カルトは騙されたい人に心地よい悪意に満ちた癒しを提供しているにすぎません。その癒しの裏にある「悪意」というものに気付く人は騙されないのです。
話をカルトに限定しているのでわかりづらいかもしれませんので、理解を助けるために政治の例をとって考えて見ましょう。政治は私たちの日常生活に著しい影響を与えます。日本は一応、議会制民主主義国家なので、選挙をして当選した議員を国会に送って政治に影響力を行使します。国の行く末や国家の運営など、とても大切な事が選出された議員たちよって決められて行きます。ですから国の事は勿論、自分の生活を真面目に考える人であれば、日頃から国の在り方や理想の国家運営等々を考えて、自分の考えを代弁してくれる議員を選ぼうと選挙に非常に関心を持ち、議員を十分に吟味して投票するはずです。比例代表では自分の理想を実現してくれそうな政党を選ぶはずです。ところが実際に選挙に行っている人がどれだけいますか。選挙はせずに文句だけ言う。典型的な愚民と言われて仕方ないでしょう。面倒臭い、投票しても無駄、色んな理由はあるでしょうが、こういう人たちは自分で考える事を放棄しているのです。自ら進んで政権与党に騙して下さいと言っているようなものです。議員を宗教家に、政党を宗教団体に置き換えれば、カルトに騙される人がどういう人たちなのかがわかるのではないでしょうか。政治家が国民の他人任せな性質を利用して歯の浮くような美辞麗句や実現不能な政策を出来るとうそぶいて人気を取るポピュリズム型衆愚政治を行うように、カルトの教祖もまた歯の浮くような言葉で褒めちぎり、証明できない霊の世界を巧みに利用して出来もしない奇跡を出来ると言って信者をその気にさせて騙すのです。政治家が結局は国民を無視して消費税増税などを強行するように、カルトの教祖も私腹を肥やすために献金を強要したりします。しかし、その時になって騙されたと言っても遅いのです。
情報は自分で取捨選択して組み立てて行くものです。組み立てるためには考えなければなりません。この作業が煩わしいとか面倒臭いと言う人は、騙され続け、ついには騙されている事自体に気づかず、それを喜ぶようになります。これを奴隷の幸福と言います。ストレスに疲れ果てている現代人にカルトの甘い誘惑が忍び寄っています。有名タレントが自称占い師に騙されたニュースがよくテレビで報道されていますが、彼らだって最初はほんの興味本位で占いをしたにすぎないのです。世間をお騒がせしたカルトじゃなくても、占いという形でカルトは身近なところで犠牲者を探し求めています。あなたがその標的になるやもしれません。
カルトには悲しいかなキリスト教の仮面を被った団体も多く存在します。それどころか正統派の教団に属していながら牧師が暴走してカルト化する事例も多数報告されています。騙されないためには、的確な情報を得る事が必要です。例えばキリスト教であるならば、自分でまず聖書を読んで見る事です。そしていきなり教会を訪ねずに、ネットなどで教会が正統派か異端やカルトでないかを調べるなど、能動的な情報収集努力が必要です。
最後に一言付け加えておきます。異端やカルトが自ら異端やカルトであるとはいいません。必ず正統派であるとうそぶきます。騙されてはなりません。騙されてからでは遅いのですから。