日本のキリスト教

史料によって、確実に日本にキリスト教が伝わったことがわかるのは、イエズス会フランシスコ・ザビエルによる布教である。戦国時代のさなか、1549年のことであり、当初はほぼザビエルたちイエズス会の宣教師のみで布教が開始された、とされている。ザビエルたちは初め鹿児島に入り、そこから布教を開始した。その後、フランシスコ会なども来日し、布教を行った。これらはカトリックがほとんどで、当時はまだ新興の教えであったプロテスタントはほとんどいなかったと思われる。

 

当初、勢力拡大に明け暮れていた各地の戦国大名たちは、最新の知識や技術を持った彼らヨーロッパ人たちを基本的に歓迎しており、キリスト教も比較的スムーズに広まっていった。大名の中には、新しい思想であるキリスト教に惹かれて入信した者もおり、彼らはキリシタン大名と呼ばれた。しかし、サン=フェリペ号事件などいくつかの事件をきっかけに、権力者から忌避されるようになり、やがて天下統一を果たした豊臣秀吉によって禁止されることとなった。

 

その後、江戸時代が訪れるとキリスト教は一時的に解禁されたが、すぐに禁止された上に、江戸幕府鎖国政策が敷いたため、宣教師ばかりか一般の外国人も入国できなくなり、日本国内のキリスト教は衰退した。当時の日本人キリスト教徒は、棄教するか隠れキリシタンとなった。この隠れキリシタンたちは、密かに信仰を伝えていくこととなった。江戸幕府はヨーロッパ諸国の中で、プロテスタント国家のオランダとだけ、オランダ商館を通じて貿易を継続した。オランダは幕府のキリスト教禁教政策を尊重したため、幕末まで日本にキリスト教が広がることはなかった。

 

明治政府も当初はキリスト教禁教政策を引き継いだが、1873年、いくつかの制限がつきながらも布教が公に認められることとなった。1889年に発布された大日本帝国憲法において、信教の自由が明文化された。第二次世界大戦後、日本ではほぼ完全な形での信仰の自由が保証された。

 

明治時代以来、キリスト教は日本の文化に様々な影響を与えている。しかしキリスト教の信者そのものは、カトリック・プロテスタント・正教会の全てを合わせても、日本人全体の1%前後と言われている。文化庁の宗教年鑑では、信者数の割合で約1%となっている[2]。また、アメリカ合衆国CIAの調査によると、日本のキリスト教徒の割合は2%ほどと推定されている[3]。いずれにしてもこの割合は、近隣のアジア各国と比較しても際立った低さである。日本のキリスト教団体の多くは、ヨーロッパアメリカはもちろん、韓国と比べても小規模である(特にプロテスタント教会)。

 

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99#.E3.82.AD.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88.E6.95.99