日本の宣教を問う

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 プロテスタントの日本宣教は今年で150年を迎えます。(ベッテルハイムが1846年に沖縄で宣教活動を開始していますので、正確には今年で162年のはずです) それほどの長い年月が過ぎたにもかかわらず、日本の宣教は遅々として進まず、総人口に対するクリスチャンの割合は普通の統計でも1%前後で、福音的な見地の統計によると0.2%を越えるかどうかに過ぎません。私たちのアッセンブリーの群れは、最近の情報によると、全世界で6千万人の日曜礼拝会出席者を得ていると報じられています。つい数年前には5千万人と言われていたのですから、大変な増加です。それがどれほど正確であるかどうかは別にして、とにかくそのような中にあってさえ、日本では、やっと1万人をわずかに上回るだけです。

 

 なぜ、このような事態になっているのでしょうか。世界には、日本以外にもクリスチャン人口の少ない国々があります。ただそれらの国々のほとんどは、宗教的理由や政治的政策として、禁教国あるいは準禁教国としてキリスト教の宣教を阻止もしくは制限している国々です。またそのような障害にもかかわらず、キリスト教の宣教は強力に進められ、日本よりはるかに多くの割合でクリスチャンが存在するようになっているということです。日本は明治4年に信教の自由が認められて以来、太平洋戦争の間のわずかな期間を除いては、ほとんど完全な宣教の自由が保障されて来ました。それなのにこのような現状に甘んじているのです。

 

 個人的経験から主観的に言いますと、筆者が救われ、小さいながら伝道のまね事のようなことを始めた1960年代に比べると、海外宣教の働きを終えて帰国し、長崎県佐世保市界隈で開拓伝道を始めた1990年代以降は、さらに一段と伝道が困難になっているように感じます。特に地方の伝道は閉塞状態と言ってよいほどです。これは、佐世保市の牧師会で話し合ってみたり、長崎・佐賀地域の教会を一瞥してみたりするだけでも痛切に感じます。地方伝道の閉塞状態の理由のひとつは、日本の社会構造が変わり地方に生活基盤がなくなってしまったことだと考えられます。地方には仕事がなくなってしまったのです。どんどん人口が流失し、伝道と教会形成に不利な状態を作り出しているのです。人口流失は地域の貧困をますます加速化し、残された人々の保守的傾向を強めさせ、キリスト教に対する反感をさらに露わにしています。

 

 都会伝道にしても、かなりの閉塞感があるように思われます。しっかりと成長している教会は多くはありません。たしかに数百人から千人もの日曜礼拝出席者を持つ教会もありますが、そのような教会に信徒を奪われ、青息吐息の教会も少なくありません。日本の宣教という観点からすると、いくつものポケットにばらばらに入れられていた小銭をひとつのポケットにまとめたようなもので、所持金自体が増えたわけではないのです。むしろ、入れ替え作業中にこぼれた小銭もかなりあるように聞いています。

 このエッセイは、このような日本の現状を認めたうえで、私たちに何ができるかを探るものです。

 

Ⅰ.作り上げられた反キリスト教感情 

 日本は文化的にも、個人の感情の上でも反キリスト教的です。細かい分析を待たなくても、この事実は他の国々のキリスト教信仰の受容と比較してみるだけで明らかです。まずこのことをしっかりと把握することが重要だと考えるものです。

 

 筆者は先のエッセイ「日本人とキリスト教」の中で、その事実を近代日本の歴史過程の中で明らかにしました。要約すると、日本という国はこれまで400年以上にわたって、西欧キリスト教諸国の植民地政策の手先としてのキリスト教を、強く警戒してきたということです。そのような警戒心がまだ無かった当時のカトリックの伝播の急激さ、つまり、日本人のキリスト教受容の速さには目を見張るものがありました。カトリック信徒の増加は、宣教開始後わずか50年、1600年の時点で30万人、それから15年で65万人に上るのです。

 

 ところが秀吉の晩年から徳川幕府の終焉に至るまで、カトリック・キリスト教はポルトガルとスペインの植民地政策の手先と考えられて、徹底的に弾圧され壊滅に至りました。仏教を利用した270年以上にわたるこの激しい弾圧と禁制によって、一般民衆の中には、キリスト教に対する強烈な恐れと深い疑惑が植えつけられ、まさに「触らぬ神に祟りなし」になってしまいました。それは地域社会の中からも、日本人の心理からも容易に拭い去ることができないものとして残ったのです。もちろんカトリック弾圧は、ポルトガルやスペインが当時の世界で行っていた残虐非道な植民地政策を理解するならば、むしろ正当化されるものだったと考えるべきです。日本に渡来する直前、彼らは中南米のほとんどを植民地化し、数え切れないほどの人々を殺し婦女子を強姦し、多くの財宝を奪ったたばかりか、いくつもの民族を文字通り滅亡させているのです。その「カトリック国の魔手」はすでにフィリピンを植民地化して、日本に迫ろうとしていたのです。

 

 だからといって、迫害に耐えた多くの日本人カトリック信徒の、信仰の崇高さと美しさを疑うものではありません。ちょうど今年は187人の殉教者の列福式が、3万人の人々を集めて盛大に行なわれましたが、それに伴って、日本カトリック司教協議会が出版した「列福をひかえ、ともに祈る7週間」という小冊子には、いくつもの感動的な殉教者の物語が載せられています。キリスト教に限らず、殉教者の姿には胸を打つものがたくさんあります。ただしその小冊子に記されている迫害の原因についての認識は、偏っていると言わざるを得ません。次のような一節があります。(列福式=カトリック教会が聖人に次ぐ功績者として死者を認める儀式)

 

 「当時の宣教師も、迫害の原因は、日本という国が掲げる『国是』とキリスト教が掲げる唯一絶対の神への信仰とが合わないことにあるとわかっていました。キリシタン時代為政者が考えていた『国是』とは仏教、儒教、神道を根幹とする伝統文化に基づく神国日本というものでした。この神国を形作る文化の土壌を脅かすいかなるものをも排除することが、為政者の努めであると考えられていました。こうしてキリスト教は、国是に絶対に合わない外国の宗教として排除されました。」

 

 ここにはカトリックが、好むと好まざるとにかかわらず、スペインやポルトガルの手先となっていたという、歴史的事実が隠蔽されています。カトリックに先導されるような形で到来した、スペインやポルトガルの侵略者たちの前で、日本のカトリック殉教者たちにも劣らない、純真なで英雄的な死を遂げた異教徒たちがたくさんいたのです。また、カトリックはいつも国家権力と手を結びたがってきたという事実認識も欠けています。日本は、仏教や神道を根幹とする伝統文化に基づく神国日本を建設しようとした事はありません。(よくいわれる、聖徳太子が仏教をもって国造りをしようとしたという見解は、17条憲法を間違って理解したところから来たと思われます。17条憲法は国家作りの理念ではなく、臣民の就労道徳を綴ったものです) むしろ、カトリック植民地主義国の侵略を防ぐために、仏教を利用し、神道を悪用したと言うのが正しいのです。ですから、日本のカトリック殉教者は、たとえ日本の為政者によって迫害されたとしても、その迫害の基を作ったのは、本来の純粋なキリスト教信仰を国家権力と結び付けたうえ、植民地主義の手先となって恥じなかったカトリック教会自身にあるのです。もしも、カトリックの信仰自体に日本の為政者たちが脅威を感じたとするなら、それはむしろ日本という国が長い間、公家と武家という二つの勢力の微妙なバランスの上に立ってきたという、歴史的事実にかかわるでしょう。この微妙なバランスの上に絶対神に対する絶対の信仰が加わってくると、非常に難しい問題が起こることが充分に考えられたからです。

 

 少々横道にずれましたので、本題に戻りましょう。明治時代に至って信教の自由が保障され、プロテスタント・キリスト教の宣教も公に認められるようになりましたが、日本政府は徹底してキリスト教を嫌い、和魂洋才を国是として、西欧キリスト教に代わる日本人の精神的支柱として国家神道を打ち立てました。明治政府がキリスト教を嫌ったのも、やはり西欧諸国の植民地政策、侵略競争にありました。比較的日本に近いアジア諸国を取り上げて見るだけでも、植民地政策の脅威は明らかです。イギリスはすでにパキスタン、インド、バングラディッシュ、ビルマ、マレーシアなどを植民地とし、しばらく無理難題を押し付けていた中国に対しては、ついに、アヘン戦争を勃発させて事実上の植民地にしたうえ、香港を手中におさめていました。当時すでに力を失っていたとはいえ、ポルトガルは、イギリスが香港を奪った直後、マカオを奪っていました。

 

 フランスはベトナム、カンボジア、ラオスなど、インドシナ地域を植民地化し、オランダはインドネシアを取って過酷な植民地政策を推し進めていました。そしてこれらの国々は、いたるところで覇権を争って政略と地域的紛争をくり返しながら、日本をも植民地にしようと、下心をもって接触を図ってきていたわけです。イギリスは生麦事件とそれに続く薩英戦争で実際に日本を脅かしていました。少し毛色の違ったキリスト教国のロシアは、不凍港を求めて南下政策を推し進め、開国直前の1861年には、一時的であったとしても対馬を占領していました。それ以前からカラフトや千島に侵入し、北海道からの侵略を虎視眈々と狙っていたのです。実際に1875年、日本はロシアとの交渉でカラフトを失っています。このころ、日本が植民地化されなかったのはさまざまな要因があったとはいえ、植民地とする意図を持っていなかったアメリカが最初に日本と接触し、いわば、「つばつけた」の形で、他の西欧諸国の無茶な介入を許さなかったことが最も大きな理由だったと考えられます。

 

 しかし、そのアメリカでさえ、世界中で植民地政策を進めていたのです。少し後のことですが、スペインへのレジスタンス運動を盛んにしていたフィリピンは、スペインを破ったアメリカによる植民地化を嫌い、明治政府に助けを求めてきた事実もあるのです。反米レジスタンスの英雄アギナルド将軍の要請に対し、伊藤博文は船一杯の武器を提供しています。(これはフィリピンに到着しなかったと記憶していますが)アメリカはすでに、現在のテキサスやカリフォルニアを含む、中南部の広大な土地をメキシコから略奪しようと血眼になり、それに成功していました。ハワイはこのアメリカの植民地化を嫌い、日本の皇室とハワイ王家の婚姻関係を願い出たほどです。1998年になると、ドイツは中国山東省で殺された二人の宣教師のための報復として、まず青島を制圧し、膠州湾沿岸を事実上の植民地にしました。宣教師の死が植民地化の口実とされたのです。このようなことを具体的に取り上げだすと、それこそ切がありません。世界中の強国が植民地政策を展開していた時期なのです。

 

 ですから、日本人指導者のキリスト教国の植民地主義に対する恐れと疑念は正当であり、明治政府がキリスト教禁制を継続したいと願っていたのは明らかです。西欧諸国の強い要望により、キリスト教禁制は廃止せざるを得なくなりましたが、キリスト教に対する根深い警戒心は、日本国家の指導者たちの中にも一般民衆の中にも色濃く残り、平田篤胤たちの思想を取り入れた国家神道の設立と強化となったのです。神道には、もともと系統立てるほどの神学があったわけではありません。それでこのとき参考にされたのがキリスト教の神学でした。明治政府は「擬似キリスト教」でキリスト教を阻止しようとしたわけです。それは、徳川時代にキリスト教禁制の組織力として用いられてきた、仏教さえ排除しようとしたほど強い運動でした。いわゆる廃仏毀釈です。皇国のために死んだ兵士たちを祭るために、明治初期から全国各地で建てられた招魂社(後に護国神社)などにも、その精神的高揚が良く現れています。そのような精神土壌の中で、プロテスタント宣教が行われてきたのです。

 

 明治以降のキリスト教宣教には、カトリック・プロテスタントを問わず、日本人の強い反キリスト教感情を和らげるものもありましたが、むしろその感情を逆なでし、キリスト教に対する悪感情をさらに強固にさせるものも少なくありませんでした。和らげたのは献身的な宣教師たちの姿と愛の業です。特に教育や社会福祉、あるいは医療の分野でのキリスト教の大きな貢献は、多くの日本人が認めるところです。しかし宣教という見地から見ると、明治以降のプロテスタント宣教は、長い間に培われてきた日本人の反キリスト教感情を和らげるのに成功したとは言いがたく、かえって増大させてきたとさえ考えられます。それは主に、白人宣教師たちの民族的優越感と文化的押しつけによるものと言えるでしょう。

 

 日本人には思いもよらないことですが、ヨーロッパの人々にとって、日本はインドの一部だったのです。現在はインドという国がありますが、ヨーロッパの白人たちにとってインドとは、ヨーロッパと地中海沿岸を除くすべての地域であって、現在のインドに止まるものではありませんでした。(東インド会社という世界最初の株式会社がイギリスにありましたが、現代のインドだけで活動したのではありません。また、おなじ名前の会社はスカンジナビアの国々にもありました)) ですからアメリカでさえ当初は「西側のインド」であり、そこに住んでいた原住民は、アメリカのインド人、すなわちアメリカン・インディアンだったのです。(日本語ではたぶん、「土人」という差別用語あるいは卑語が、インド人に近い言葉でしょう)

 

 福沢諭吉が言ったという「天は人の上に人を造らず」という言葉も、もともとはアメリカ大統領だったジェファーソンが起草した、独立宣言の中にあった人権宣言にあたるものですが、その人権宣言の人権が及ぶのはいわゆるWASP(ホワイト・アングローサクソン・プロテスタント)を初めとする、ヨーロッパ北部からの移民の子孫たちだけで、おなじ白人でもヨーロッパ南部の人々は含まれなかったのです。当然、黒人はこの中に含まれていません。奴隷解放が行われた後も差別は歴然として残り、黒人が公民権を得たのは人権宣言が起草されて190年もたった、1964年のことです。アメリカ・インディアンは騙され、土地を奪われ、殺され、狭い居住地に追い込まれて、現在はほんのわずかの人々が生き残っているだけです。中南米諸国の人々もアジアの人々も、有色人種はこの人権宣言には含まれていなかったのです。

 

 かつて多くの子供たちに愛された「ちびくろサンボ」という絵本は、人種差別であると槍玉に挙げられ、今はもう書店でも図書館でも見ることはできなくなったと思いますが、あの絵本に表現されていたような、天真爛漫な(?)宣教師たちの人種差別がいたるところにあったのです。(実際に図書館に行って調べて見たところ、20年ほど前に復権したとのことで、置いてありました) 多くの場合、宣教師たちの善意は疑いもなく正真のものでしたが、正真であるがゆえに、宣教師自身が気づいていない優越感に裏打ちされた宣教は、多くの場所で拒絶されたのです。

 

 西欧人の人種的優越感をさらに助長したのが文化的優越感でした。近代宣教の二大勢力であったイギリスとアメリカの宣教師たちは、自分たちの福音宣教の使命感と共に、文化的使命感というべきものを持っていました。それは自分たちの文化こそキリスト教文化であるという確信と、このキリスト教文化をすべての国に広めて行かなければならないという信念でした。ですから、彼らは宣教地の文化を非キリスト教文化として蔑み、宣教的熱心さで排斥したのです。彼らにとって大切だったのは、宣教地の文化を理解しようとすることではなく、ましてや受け容れることでもなく、批判し攻撃し取り除き、キリスト教文化だと思い込んでいた自分たちの文化を、無理やりに押しつけて行くことでした。

 

 まだ国家としても民族としてもまとまっておらず、さまざまな部族が渾然とした中に生きたまま、自分たちの文化や生活様式に対する理解も愛着もアイデンテティもあまり持っていなかった人々、あるいはそのようなものの芽生えがあったとしても、大した価値も認めていなかった人々ならば、西欧「キリスト教文化」の優越さを認めて取り入れ、自分たちの生活様式や文化を容易に捨てることもできたことでしょう。ところが開国当時の日本人は、たとえ未発達とはいえかなり強固な国家観を持ち、自分たちの文化にたいしては深い理解と強い愛着をもって、その価値を高く評価していたのです。そのため、欧米の宣教師たちの文化に対する無配慮の攻撃に強い懸念を抱くと共に、西欧宣教師の善意の背後に潜む優越感と差別意識を嗅ぎとって、激しく嫌悪したのです。その懸念と嫌悪は、徳川時代を通して日本人の潜在意識に浸透していた、キリスト教に対する恐れと不信感を呼び覚まし、その恐れと不信感を正当なものであると納得させてしまったのです。

 

 最近でこそ少なくなりましたが、一昔前までは、「文化などというものをいちいち論じる必要はない。あるのは唯一キリスト教文化だ」などと言ってはばからない宣教師がたくさんいたものです。そのじつ、彼らのキリスト教文化なるものは、まったく聖書からかけ離れた勝手気ままな一人よがりの主張、自分たちの文化そのものの、あるときにははなはだ非聖書的な文化の擁護に過ぎない場合が多かったものです。筆者もそのような宣教師たちと随分議論したものです。最近は少なくなったと言いましたが、本当のところ、先週もその類の宣教師と激論を交わしてきたばかりです。このような宣教師の背後には、アウグスチヌス以来の神の国の思想があったことも知らなければなりません。すなわち、国家とひとつとなって支配者の立場にいたキリスト教は、軍事力をもってでも世界をキリスト教化し、キリスト教文化を作り上げることによって神の国を建設し、キリストの再臨に備えると考えたのです。あの十字軍の時代の考え方と同じです。

 

 このようにして、明治時代からの宣教師たちの大部分は、民族的優越感をもって、自分たちの国と文化に都合が良いように解釈されたキリスト教を宣伝しただけではなく、宣教地の文化を非キリスト教文化、異教文化として排斥し、自分たちの文化を一方的に押し付け続けてきたのです。宣教地の文化を敵に回し、これを滅ぼすことこそ自分たちの使命であるかのように振舞ってきたのです。このような宣教師の態度に変化が見え始めたのは、宣教論の中で文化的相対性が言われるようになった、つい最近の出来事です。日本では、戦後の親切なアメリカ人を見て、キリスト教に対する態度も随分変わり始めました。しかしその後になってさえ、宣教地の人々と文化に対する欧米人宣教師たちの、善意に満ちていながら高圧的で非寛容な態度は変わらないまま続いたのです。日本に民主主義をもたらした戦後の善良で親切な欧米人と、民主主義の尖兵のようなことを言いながら横柄で高飛車な宣教師という、二つのイメージがひしゃげて重なったのです。

 

 個人的には優しく親切な西欧宣教師の、日本文化に対する高飛車で無礼な態度、無理解な一方的な押し付けや批判、あるいは敵対的言動はあらゆる方面に及びましたが、日本人はその背後に、彼らの日本人に対する優越感や人種差別を見て取っているのです。日本人を同等の人間としてみているならば、その文化に対してもそのように無理解で高飛車な態度は取らないと感じるからです。この点に関しては、日本人のみならず、多くのアジア人、アフリカ人、あるいはラテン・アメリカ人の間でも、すなわち「すべてのインド人」の間でも共通の認識といえるでしょう。ただし、日本人もまた、一方では西欧に対する劣等感にさいなまれながら、ほかのアジア諸国の人々を差別し続けてきたことも、忘れてはならないでしょう。

 

 しばらく前のことになりますが、「余は如何にして基督信徒とならざりし乎」というタイトルの本が出版されました。もちろん内村鑑三の有名な著書のパロディですが、内容は、クリスチャンになり損ねた多くの著名人の体験を綴ったもので、彼らがキリスト教、あるいはキリスト教宣教師につまずいた理由が記されていました。その中で最も多かったのが、宣教師たちの非妥協的態度、白黒、善悪、嘘と真実をはっきり分けて考える考え方にはついて行けなかったということでした。日本人は昔から和を重んじる生活をしてきました。それは、小さな島国で他国からの侵略も無く、先祖代々から稲作という非常に定着性の高い生業をもち、生まれた土地に一生閉じ込められたような生活を重ねてきた日本人にとって、最善の生き方だったと言えます。

 

 みんなで仲良く生きるためには、常に妥協し、白黒の判断をつけず、善悪の境を曖昧にし、嘘も方便として真実と同じくらい大切にして来たのです。

 もちろん、この和にも欠点はあります。常に周囲の人々の顔色を伺っているような生き方、自分の考えをはっきりと言うことができない「煮え切らない」態度、「見ざる聞きかざる言わざる」の世界。さらに地域社会や共同体の中では付和雷同が普通になり、強いものが黒と言えば白い物も黒くなることなどは、和を重んじる生き方の欠点といえるでしょう。そしてここに、個人主義をよしとした宣教師たちが入ってきたのです。集団の益よりも個人の権利を主張し、真実のためには平気で「和」を破壊する彼らの態度は、常に集団を先に考えて、「和」という人間関係を最優先にする日本人には合わないものでした。

 

 もちろん、昨今の日本人はかなり変化し、表面的には非常に個人主義になってきたようで、アメリカ化したなどといわれます。しかし、この個人主義はむしろ利己主義というべきもので、個人主義とは似て非なるものです。利己主義ならば欧米宣教師の多くも利己主義を捨てきらない、「キリストの不肖の弟子」だったといえます。しかし日本人が利己主義を捨てて生きると集団主義になり、宣教師たちが利己主義を捨てると人間一人ひとりの権利を認める、個人主義になるのです。個人主義は一人ひとりの権利を認めます。また、自分の権利に目覚めていない人に対しては、権利に目覚めさせようとします。宣教師たちは、宗教の選択は個人の自由であり、基本的人権に属することであると考えます。ですから、家族や地域社会が個人の自由の行使を妨げるときには家族と戦い、地域社会を捨ててでも信仰を守り通すように教え、それができてこそ本物のキリスト教徒であると教えたのです。ところが日本の社会は、そのような信仰は利己主義であり、日本人の心のよりどころである「集団の和」に反すると考えているのです。

 

 また多くの宣教師たちは、キリスト教以外の宗教はすべて偶像教であり罪であると一方的に教えこみ、宗教が文化や社会の中で果たしてきた役割を、認めるどころか気づくことさえありませんでした。日曜日に仕事をして礼拝会に出てこないのは罪、先祖のお墓参りをするのは罪、仏壇を持つのは罪、葬式などの仏事に参加するのは罪、宗教的背景を持つ地域社会の行事に参加することは罪、氏神の祭りに使われるかもしれない寄付金を出すのも罪、未信者との結婚も罪、したがって未信者の見立てによる見合い結婚も罪と高圧的に断じ、個人主義的感覚でさまざまな日本的しきたりに挑戦してきたのです。立派なクリスチャンは、この世と妥協せず、たとえ親から縁を切られ、親族から追い出され、地域社会から村八分にあっても信仰を守り通すものと教えられたのです。シャデラク・メシャク・アベデネゴやダニエルの姿勢が本当のクリスチャンの態度だと励まされたのです。

 

 その結果、異教文化の中では生きていけないクリスチャンを作り出していたわけです。異教文化の中で周囲の人々と平和に過ごしていた、アブラハムやイサクやヤコブ、さらにはヨセフやモーセの生き方は無視されてきました。シャデラクやメシャクやアベデネゴたちが、あのような事件に巻き込まれるにいたるまでの、社会における信用の積み重ねも考察されることはありませんでした。異教の中に生きてきて異教の王に仕え続けたナアマン将軍の例も、無視されてきました。バビロンやペルシャの支配の下で、律法に定められた神殿礼拝ができなくなったユダヤ人は、会堂という制度を発展させて神殿礼拝に変えたという「妥協」の成果に、考えをおよぼす宣教師はいませんでした。宣教師たちは異教文化を敵とみなして、宣教の接触点として捕らえることに失敗したのです。

 日本では、一人のクリスチャンが誕生すると、たちまち、異教社会の日常で軋轢を生み出してきました。絶対に妥協しないように洗脳されたクリスチャンは、必死になって教えられた信仰的生き方を守ろうとしました。家族との休日や大切な働きを犠牲にして礼拝会に出席しました。お墓参りには行きませんでした。仏壇には手を合わせず、花も飾りませんでした。法事にも参列しませんでした。地域の寄付金はおさめませんでした。このようにして勝利したクリスチャンは、教会の中で勝利の証をします。そしてさらに、これに続くものが起こるようにと励まします。ところがこのようなクリスチャンが一人誕生するごとに、「決してクリスチャンにはならないぞ」と決心し、自分の身内のものには「絶対にクリスチャンにならせないぞ」と決意する者を、何十人あるいは何百人も作り出し、地域社会に強烈な反キリスト教感情を育ててきたのです。そのような人々は、あのカトリック弾圧で植えつけられたキリスト教に対する恐れが、単なる杞憂ではなく現実であったと思い知り、キリスト教を空恐ろしいものと考え、触らぬ神にたたりなしと身を引いてしまうのです。

 

 「勝利したクリスチャン」の社会生活は、多くの場合、その高い倫理的生き方のために、ある程度の尊敬を受けることになりました。しかし、その非妥協的態度は常に煙たがられ、違和感をもって受け容れられることになります。つまり、我慢してもらうことになるのです。「クリスチャンは立派だけれど。自分はあのようになりたくないし、自分の周囲にも、できればいてもらいたくない」という存在になるのです。時にはそのような寛容の範囲を超えるために、それまでの社会生活を継続できなくなるクリスチャンも出てきます。物にたとえるならば、病気のために体内に入れられた人造臓器のようです。それ自体は良いものですが、体はそれをよそ者と認識して受け容れないのです。それで、信仰のために、仕事も変え、親も捨て、親戚も忘れて生きるクリスチャンが出現するわけです。これでは教会の中では模範になる証人かもしれませんが、本当の意味の証人、すなわち救いを必要としている人々にキリストを証する証人にはなれません。

 

 こうしてキリスト教は一方では学校を建て、病院を開き、孤児院を設け、幼稚園を始め、社会に貢献して広く受け容れられながら、他方では日本の生活習慣を敵にして馴染まないばかりか、あれこれとうるさく批判し攻撃し続ける非常にはた迷惑な存在となり、反社会的宗教であると見られているのです。そればかりか、多くの日本人にはクリスチャンになるべき理由が見つからないのです。日本という国は、キリスト教なしにずっとうまくやってきました。大概のキリスト教国より善良であり、ほとんどのキリスト教国より豊かです。どこのキリスト教国よりも安全で、犯罪も少なく、社会福祉もそれなりに整っています。これからも、キリスト教なしにやっていけると思っています。誰かが個人的な悩みや問題を抱え、キリスト教に救いを求めるのは、それはそれで良いでしょう。でも、できれば、自分の家族や職場、あるいは地域社会にそのような人が出ないように願っています。周囲に馴染まない人間ができ、なによりも大切な「和」が乱されるからです。

 

Ⅱ.キリスト教を拒絶する土壌での宣教

 日本の宣教は、このように、キリスト教を拒絶する土壌での宣教であることを理解するのが、非常に大切です。私たちはあまりにも自分の国の精神土壌を無視した、あるいは理解していない伝道をくり返してきたのではないかと考えさせられます。比較的短く困難な宣教の歴史しか持っていないわたしたちが、長い宣教の歴史を持つ国々や、勢いよく宣教が進んでいる地域の働きに目を見張り、その教会の活発さに心を奪われるのは自然の成り行きです。しかしよく考えて見ましょう。長い歴史の中で、いわゆる「キリスト教文化」が深く根ざした土地での宣教の成功、あるいはキリスト教を受け容れる精神土壌の中での教会の成長の例を取り上げて、私たちの国に持ってくること自体が、どこかおかしいのではないでしょうか。

 

 アメリカの教会の成長例、韓国の宣教の成功例、南米の教会の奇跡の例、みんなすばらしいものです。ところが、それらはキリスト教を受け容れる素地のある土地、キリスト教に対する拒絶反応をあまり持っていない地域での話です。それらがどのように素晴らしくても、日本にそのまま適用することはできないのです。わずかな人数の信徒が、信仰をもって心を合わせて祈りだすと、次の週の祈り会は倍の人数になって、その次はさらに倍になって、その次はさらに倍になってなどという話は、クリスチャン人口が多く、クリスチャン信仰に違和感を持たず、聖書にも、キリストにも、キリスト教にも、教会にも拒絶反応を持たず、唯一絶対の神を理解できる人々がたくさんいる地域で、はじめて可能なのです。

 韓国の教会が主催するラブソナタのセミナーで、感動的な話を聞きました。アメリカ東部の町の牧師がハワイで休暇を取っているとき、パブに入って飲み物を飲んでいると、売春婦と見受けられる若い女性が、「今日は私の誕生日だけど、生まれてから20年、一度も誕生日のお祝いなんてしてもらったことがないわ」と話しているのを聞きました。彼女が店を出て行ってから、牧師は、「今晩誕生祝をしますので」と店を借り切り、飾り付けをしてもらい、店の人に頼んであの若い女性を呼んできて、彼女のためにパーティを開いたそうです。パブに出かけた牧師、身も知らずの売春婦の悲しみを理解した牧師。パーティを開いた牧師。そしてそれをきっかけに救われた売春婦とその友人たち。そして、そのパブからはじまった伝道の働き。みな感動的です。

 

 とはいえ、日本の伝道のためにはこのような話は何の役にも立ちません。たとえ信じている神様は同じでも、日本ではこのようなことは起こらないからです。神様が奇跡を起して、一度二度やってくださるかもしれません。しかし、それで終わりです。継続的な恒常的な働きにはなり得ないのです。神様は文化の中で、人の心に応じてお働きになるからです。アメリカの神も韓国の神も日本の神も同じ神であると言うのは事実です。しかしそれをもって、日本でもアメリカや韓国で起こっているのと同じことが起こると考えるのは、まったくの誤りです。神は人間の心に自由をお与えになりました。伝道は福音を受け容れるものの自由意志を尊重して行うものです。神はその自由をむやみに「侵害」して働くことはなさらないのです。伝道は洗脳ではないのです。

 

 ところが私たちはいったい何をしてきたのでしょう。アメリカの大教会の牧師を招き、南米の成功した牧師を招き、韓国の超大型教会の牧師を招き、シンガポールの成功した伝道者を招き、カナダのリバイバル運動の指導者を招き、オーストラリアの成長する教会を訪れ、アフリカの爆発的成長の教会を訪ね、東に飛び、西に駆け、一所懸命、彼らの成功から学ぼうとしてきたのです。アメリカの牧会方法と教会管理を学び、シンガポールの伝道方法を学ぶのは、もういい加減に終わりにしなければなりません。それらは素晴らしいものです。非常に成功し、良い結果をもたらしたことでしょう。でも、日本に持ってくるのは間違っています。アルカリ性の土壌でよく育った作物の育て方を、強烈な酸性土壌で試しても始まらないのです。熱帯地方で見事に育った果物の苗を、そのまま寒冷地に持ってきて育てようとしても、うまく行かないのです。日本は、植民地主義の手先であったキリスト教を恐れ、徹底的に排斥しようとする文化を培ってきたのです。そのような事実にまったく気づかない日本人でも、その影響の中に育っているのです。

 

 宣教師をしていたとき、筆者は、貧しいフィリピン山岳奥地の人々の食生活を少しでも改善しようと、日本から色々な果物の枝を持って行き、挿し木や接木をして育てたことがあります。山岳地は高冷なため、日本とよく似た気候が期待できるからです。しかし、葡萄も梨も林檎もキウイも桃もまったくだめでした。(せっかく、T先生に熊本県の農事試験場まで連れて行っていただいて、接木用の枝をたくさん貰い受けたのですが) 温州みかんだけは芽継ぎで成功し、いま、市場に出回っています。特定の気候と土壌で開発された果物を、異なった土地に持ち込むことは簡単ではなのです。ケネデイ方式も、キャンパス・クルセードの四つの法則も、セル方式も、それぞれの土地で素晴らしいものでした。日本に持ってきて成功した例も、単発的には無くはないでしょう。しかし、異なった土地で開発されたものだったために、広くまた永続的な働きにはならないのです。

 

 日本という国は、400年間以上にわたって反キリスト教感情の中にいたのです。それは西欧キリスト教国の情け容赦ない植民地政策を背景として、人為的につくられたものが尾を引いているのです。西洋諸国はそのような反キリスト教感情を持っていません。隣の韓国も、長いあいだ中国と日本とロシアの脅威に晒されて生きてきましたが、キリスト教国の脅威を感ずることは無かったのです。むしろ、日本の統治から解放させたのも朝鮮戦争を終わらせたのも、キリスト教国の助けによるものだったために、基本的に、キリスト教に対して良いイメージを持っています。スペインやポルトガルに植民地とされた国々や地域は、大まかに言って、日本人が日本人としての自覚、アイデンティフィケーションを持っていたほどには、自分たちの文化や国家に対する固い意識を持っていませんでした。

 

 それから2~300年後になって、プロテスタント諸国が植民地政策に躍起になっていたときも、植民地化された多くの国々は、わずかな例外はあったとしても、全体としてはまだ日本ほどの国家意識をもっておらず、自分たちの文化に対する強烈な誇りも持っていませんでした。そのために、国家的な、あるいは文化的な反キリスト教意識は、キリスト教に対して拒絶反応を起こすほどまで強く、形成されることはなかったのです。それで彼らの多くは、残虐な侵略国・宗主国の文化に疑問を抱くことなくこれを受け容れ、宗教を取り入れたのです。筆者は多くのフィリピン人たちに、「あなたたちはどうして侵略国のスペインを嫌悪していながら、彼らの宗教を受け容れているのですかと」と、幾度も尋ねてみたことがあります。みな一様に、「どうしてだろう。言われてみれば不思議だねぇ・・・」と、首をかしげるだけでした。彼らは侵略者スペインを憎みましたが、スペインの文化と宗教を拒絶するほどの国家意識も文化に対する愛着も、しがみつき続けるほどの宗教も持っていなかったのです。そのためにたやすく侵略され、カトリック教化されてしまったのです。(ただし、カトリック国の多くがそうであるように、フィリピンのカトリックも本来のカトリックではなく、土地の宗教と入り混じった混合宗教です)同様のことは、中南米諸国についても言うことができます。

 

 もちろん、ヒンズー教の強かったインドや、仏教の強かった東南アジアの国々では、独自の宗教と文化に絡んで、キリスト教に対してかなりの抵抗を見せていましたが、日本ほどのものではありませんでした。キリスト教の宣教に激しく敵対したもうひとつの勢力は回教です。回教の地域や国々でも、古くは十字軍に始まる西欧キリスト教諸国の敵対的侵略主義を経験していない所では、キリスト教に対する態度は敵対的ではありませんでした。むしろ、おなじ神を信じるものとしての共通点があり、福音に対してもかなりの受容性を見せていたことが多いのです。ですから、今でも回教を国教としている国々でさえ、日本よりはるかに高い率のクリスチャンたちがいると伝えられているのです。

 

 しっかりした内容を持っている宗教と、それに絡んだ独自の共通文化を持っている地域では、福音派であるかどうかを問わず、ペンテコステ派を含めたすべてのキリスト教が伸び悩んでいるということは、マクギャバラン(1世代前の著名な宣教学者)の時代からすでに言われていましたが、それは今も変わらず真実でしょう。しかし、一方ではグロ-バライゼーションの波によって、それらの宗教を背景にした文化地域でも、西洋の福音がかなりの勢いで入り込んでいることも事実のようです。とくに、アニミズムとシンクレティズムの傾向の強い地域では、悪霊に対して戦いを挑むペンテコステ派やネオペンテコステ派の人々が勢いを持っています。しかし、日本の精神土壌は、そのような国々とはかなり異なって、いまだに、キリスト教全般に対して強烈な抵抗を見せているのです。

 

 日本人が日本人としての自覚と誇りを持つとき、多くの場合国粋的になり、反キリスト教的になるのを避けることはできません。ここ数百年の日本の敵はキリスト教国だったからです。戦後少しのあいだ、民主主義とヒューマニズムのアメリカの教えに誘導されて、キリスト教に対してもかなり良いイメージが作られたかのように思える時期もあったのですが、ベトナム戦争、イラク戦争、さらにはグローバル化の中での歯止めのない資本主義経済の弊害を撒き散らし、国家的自己中心を平気で押し付けて止まないアメリカに、日本人の多くは幻滅を感じ、その精神的支柱といわれるキリスト教に失望しているのです。

 

 日本は、経済問題では、長いあいだアメリカに無理難題を押し付けられてきました。とくに近年では、何かといえば身勝手な「301条」を押し付けて来るアメリカの経済外交に、煮え湯を飲まされてきたと感じる人が増えています。(特にタイプを打つことの多い筆者などは、マイクロソフト社のワードが非常に「のろま」なのに、いつも腹立たしい思いをしています。もしも当時の通産省がアメリカの301条に降伏せずに、民間と協力していた「トロン」を完成し、マイクロソフト社と対抗していたら、よほど使い勝手がいいワープロが出回っていただろうと、変換ミスをくり返すたびに腹を立てています) 戦後のアメリカが日本にしてくれたことの功績は、非常に高く評価されなければなりませんが、人間というものは、自分が受けた恩はあまり理解せず、理解してもすぐに忘れてしまうものです。日本人もまったく同じです。現在の日本の繁栄(?)と安定をもたらしたのは、日本人の勤勉さのように言われますが、これは我田引水の自己賞賛以外の何ものでもありません。日本人の勤勉さは事実でしょう。しかし、勤勉さだけであれだけ荒廃した国家を回復させることはできません。

 

 たとえば、マッカーサーがフィリピンで実行しようとしていた二つのことを、代わりに日本で実行していなかったならば、現在の日本はありえませんでした。日本の有識者のほとんどが、なぜかこのことに口をつぐんでいるのですが、その二つのことは、農地解放と財閥解体です。この二つだけでも・・・・学校給食も、DDTの散布も、フルブライトの留学支援も忘れて・・・・・日本人はアメリカを大恩人(?)として崇めなければならないでしょう。敗戦後、大陸からの数百万人に及ぶ引揚者の大部分は、100隻以上の船を出しくれたアメリカ軍によって、日本まで運んでもらいました。極度の物資不足に陥っていた日本政府は、何もすることができませんでした。たとえできたとしても・・・・・、たぶん、やらなかったでしょう。残留孤児、餓死者、行方不明者を合わせると、数十万人に及ぶ日本人が、ここでまた大変悲惨な目に遭ったに違いありません。

 

 こういう筆者も、瀕死の幼児としてこの船で運ばれて、博多に上陸しました。敵国だったアメリカの親切がなかったら、確実に死んでいたことでしょう。ところが、筆者がこのことでアメリカに感謝をしたという記憶がありません。理屈では感謝しなければと思うのですが、気持ちが伴いません。逆に、35年ほど前にアメリカ人の歴史教師から聞いた、どこまで真実かわからない話を思い出しては、腹を立てているのです。はなはだ勝手ですが、これが気持ちというものです。このアメリカ人教師によると、日本が卑怯な真珠湾攻撃をするように仕向けたのは、ルーズベルト大統領を始めとするアメリカの策略だったというのです。

 

 ルーズベルト大統領は、すでに始まっていたヨーロッパでの戦争には参戦しないと公約して大統領に当選したけれども、ヨーロッパ側からの強い要請が重なり、参戦の機会を探っていた。それで、日本に無理難題を押し付け卑怯な先制攻撃をしかけさせれば、アメリカ国民は激しく怒り、日本との交戦に賛成するに違いない。日本と戦争になれば、連合国対三国同盟を結んでいた国々との戦争として、ヨーロッパ戦線にも加わる大義ができるというものです。ルーズベルトは日本海軍の通信を傍受させることによって、真珠湾攻撃の日時まで正確に把握していながら、あえてなにもせず、卑怯な奇襲攻撃を受けたと言ってアメリカ国民の怒りを扇動したのだというのです。日本はアメリカによって、戦争に引きずり込まれたことになります。

 

 現在ではこのような見方が、日本のメディアでもしばしば取り上げられ、どうやら通説になっているようです。それで、敗戦後の民主主義の手本としてのアメリカ、優しく親切なヒューマニズムの精神に溢れたアメリカを見て、それがキリスト教精神だと誤解してキリスト教に美しいイメージを被せていた多くの日本人は、このような暴露話を聞いて幻滅しているのです。「キリスト教国アメリカ」の黒い腹を見たような気分です。アメリカに対する無邪気な憧れは、ベトナム戦争のころから崩れ始め、湾岸戦争やイラクの紛争によってさらに破壊されましたが、いまや、アメリカの身勝手に多くの日本人は嫌悪さえ抱いています。

 

 しかし、いまだに北方四島を不法に占領し続けているロシアとはちがって、アメリカは戦後8年で早々と奄美諸島を返還し、沖縄も戦後27年で返還しました。ところが問題は、日本人はそのようなことは理解せず、あるいはさっさと忘れてしまって、広島と長崎の原爆、無差別攻撃の犯罪は絶対に忘れないなどとがんばっていることです。人間は受けた恩も与えた害も忘れます。日本人も例外ではありません。日本軍(関東軍)の三光での所業、731部隊の細菌兵器工場とそこで行なわれた人体実権について知っている人はわずかです。重慶の無差別爆撃を知っている人はほとんどいません。フィリピンで行なわれた、「バターン死の行進」など、よほどの人でなければ知りません。シンガポールでの虐殺はシンガポールに旅行したときに、シンガポール人に教えられて恥ずかしい思いをするのが関の山です。

 

 日本人のプラグマティズムは、明治の始めと同じように今も健在で、自分たちに都合の良いものは、芸術にしても娯楽にしても、科学知識や技術にしてもどんどんアメリカから輸入します。日本では自分の学びを進めることができないと思う人たちはどんどんアメリカに移住し、いわゆる頭脳の流失が続いています。今年のノーベル賞受賞者の中に、日本人が4人もいると、日本のメディアははしゃいでいますが、その内の2人は正式には日本人ではありません。すでにずいぶん前に前にアメリカ国籍を取って、「アメリカ国民」となっているのです。アメリカのメディアははっきりと彼らをアメリカ人として報道しています。日本とアメリカとの「国民」の定義の違いが現れていて面白いのですが、とにかくそのようななかでも、和魂洋才の精神が生きているのです。そして多くの日本人は和魂洋才でよいと感じています。

 

 「日本は西欧キリスト教諸国のような残虐非道な植民地政策を進めなかった。植民地政策を進めたことは進めたが、西欧キリスト教諸国が進めたような、自国の利益だけを目指した非人道的な植民地政策とは異なっていた。目指したのは、途中で挫折したとはいえ、アジア諸国の共なる発展、大東亜共栄圏である。また日本はキリスト教なしに、経済的にも科学的にも立派にやってきた。国の治安も、どこのキリスト教国にも負けない。日本の文化はすべての良いものを受け容れ融和させる『和』の文化である。アジアの国々の多様な文化も、多くの神々も共に認めて融和を図る文化である。『絶対』などというものを何ひとつ認めない、相対の世界観である。絶対を認めるとき、人間は非寛容になり、和を認められなくなる。日本の精神、日本の神道に現されたおおらかな『和』の精神こそ、今、世界が必要としているものである」と、たとえ理路整然と述べられなくても、多くの日本人は感じているのです。そこに、仏壇はだめ、お葬式はだめ、お墓参りもだめ、焼香はだめ、未信者との結婚はだめ、日曜日の運動会はだめ、町内会の寄付はだめ、氏神様の祭りはだめ、盆踊りはだめ、お雛様はだめ、忘年会はだめ、お花見もだめという、非寛容、非妥協のキリスト教宣教が進められているのです。キリスト教は、日本の社会生活を乱す宗教となっているのです。

 

Ⅲ.日本の土壌を変える試み

 日本の土壌は、キリスト教の根を腐らせ枯らしてしまうということは、多くの人々によって言われてきました。そこで西欧宣教師をはじめ、西欧キリスト教を学んできた多くの牧師や伝道者たちは、まずキリスト教の根を腐らせ枯らせてしまう日本の土壌、すなわち日本の文化を敵視し、これを変えなければならないと考えてきました。端的に言って、彼らは日本の文化が西欧的になれば、あるいはアメリカナイズされればキリスト教の根は強く張り、枝葉を伸ばし、実を結ぶと思ったのです。

 

 多くの宣教師たちは、単に自分たちの文化こそより優れたものであるとか、自分たちの文化はキリスト教文化であるという身勝手な思い込みを持っていただけではなく、日本の文化を、福音宣教を妨げている元凶あるいは悪魔の砦と見たのです。それだけではなく日本の牧師たちの多くも、実は、もともと西欧的な福音に応じてクリスチャンになることができた人たちで、ある意味で西欧人たちよりも強い西欧志向を持っていたのです。西欧のものはほとんどなんでも優れていると思えた、少数派の日本人だったわけです。したがって彼らは、「日本の文化は福音の敵だ、悪魔の砦だ」という宣教師たちに、容易に共感できたのです。彼らは欧米宣教師たちにも増して、日本文化の敵対者となりました。キリスト教書店に行くと、その類の書籍が並んできます。

 

 彼らが真っ先に気づいたことは、日本社会の中に織り込まれている日本の宗教文化です。2000年、あるいはそれ以上の長期間にわたって、日本人の精神に影響を与えてきた神道的な感覚と習慣、1400年ほどに及ぶ仏教の影響、そして底なしのドブ沼のようなアニミズムの感覚。これらすべてのものを一刀両断、偶像礼拝の罪と断じて切り捨てたのです。しかし彼らは日本人の感覚を忘れかけた日本人でした。あるいは逆に、そのような感覚にどっぷりとつかっていたために、クリスチャンになってからはかえって、その臭いを嗅いだだけで吐き気をもよおすほど嫌いになっていた日本人でした。いずれにしても、日本の文化と日本人の感覚を冷静に学び理解しようとする態度をもてない人々でした。

 

 ですから彼らは西欧宣教師たちと一緒になって、神道や仏教とそれらの行事を偶像礼拝として排斥しただけではなく、それらの異教的背景を持った日常生活の習慣や行事にいたるまで罪として敵視したのです。その結果、彼らは「和」を重んじて、見なかったことにし、聞かなかったことにし、言いたいことも言わないで、ひたすら我を引っ込めて、耐え難きを耐え忍び難きを忍びつつ生きてきた大多数の日本人には、調和を乱すものとして厄介者扱いにされてしまいました。日本人に大切なのは善か悪かではありません。真実か虚偽かでもありません。白か黒かではないのです。そのようなものすべてをやさしく覆う「和」なのです。日本人の社会生活を支配しているのは、この「和」の精神です。

 

 もちろんすでに述べたように、この和の精神が常に美しく作用しているわけではありません。犯罪者の集団の中では犯罪に反対することが「和」を乱す最大の悪であるように、「和」は良くも悪くも作用するのです。そしてその「和」が、伝統的な日本の文化を形成してきたのです。多くの宣教師や伝道者にとって、親族や家族に関わる仏教行事、あるいは地域共同体に関わる神道行事は「宗教」であり、偶像崇拝です。しかし、大多数の日本人にとっては仏教行事であっても神道行事であっても、神も仏もどうでもいいのです。むしろそれらは、共同体の絆を強める、つまり、「和」を補強し、確認させる行事なのです。たとえば、仏壇を焼け位牌を処分せよと教える牧師や宣教師たちは、それを偶像礼拝の対象として見ていますが、日本人はだれも仏壇を偶像として見ていませんし、位牌を偶像として見てもいません。つまり礼拝の対象とも崇拝の対象とも観ていないのです。それらは「家」と「イエ」を結ぶ要であり、先祖を大切にする象徴であり、共同体社会の精神に欠かせないものなのです。(家=血縁や婚姻などによって横につながる同世代の親族関係。イエ=先祖から子孫にいたる時代をこえた縦のつながり)

 

 多くの日本人にとって仏壇を否定することは、仏教を否定することではありません。位牌を捨てても仏教を捨てることだとは思っていません。事実、仏教なんてどうでもいいと思っている人たちもたくさんいるのです。彼らにとって仏壇を否定することは、仏壇にまつわって形成されている日本の社会の「和」を否定し、破壊することであり、位牌を捨てることは、比較的近い先祖との繋がり、すなわち「イエ」を否定することなのです。鎮守の祭りだろうと氏神さまの祭りだろうと、本質は仏壇と同じです。祭られている神は何だってかまわないのです。大切なのは、それによって培われる地域社会の一体感、「和」なのです。ですからその祭りから、「神」がはずされ、「よさこい祭り」でも「雪祭り」でも「さくらんぼ祭り」でもいいのです。西欧的な、神の前に生きる一人の人間としての自分を認めることができない日本人は、そのような「和」の中にあって、初めて自分の存在を確認できるのです。つまりそれによって、自分がどこの馬の骨ともわからない寄る辺のない人間ではなく、家族も親戚も家系ももち、地域社会の中で認められて生きているものであると、確認することができるのです。適当な日本語がないために嫌いなカタカナ文字をまた使いますが、自分に「アイデンティフィケーション」を持つことができる、すなわち、自分が誰であるかということを知ることができるわけです。(アイデンティフィケーションは、「自己定位」といわれていると教えてくださった方がいます。なるほどですが、「定位」がわからないとわからない。わからないことに違いはありません) このようなアイデンティフィケーションをもてない人々は、容易に犯罪に走ったり自らの命を絶ったりするのです。

 

 実際のところ現代の都市化した日本では、そこに住む大多数の人々が地方の古い感覚を横において生活をしています。地縁血縁の和などを捨ててしまったような毎日です。ところが、日本的和の感覚は新しい形で、しかもたぶん悪化した形で残っています。昔の和の手本だった「お家」は職場に残り、異なったものを排斥する「和」はいじめを生み出し、見ざる聞かざる言わざるの「和」はいじめを助長しています。会社でも学校でも地域でも付和雷同が横行し、ボス社会が出来上がっています。ですから、田舎の和の人間関係も都会の変形した和の人間関係もいやになって、欧米的個人主義を取り入れて生きる人も少なくありません。そして、そのような人々に、欧米個人主義に味付けされたキリスト教が受け容れられているのも確かです。

 

 それで短絡的な人は、日本から田舎的な共同体文化がなくなり、欧米の個人主義になれば伝道が進展すると考えます。個人の確立ができ、周囲の人々の意見に左右されずに自分の意見をしっかり持ち、自分の意思に従って行動できる人が増えてきたら伝道が可能になるというわけです。でも、ほんものの個人主義は、神に似せて造られた一個の人格としての自分を認めることから始まります。それなしに持てる個人主義は、単なるヒューマニズムの延長に過ぎません。あるいはただの自己中心を個人主義と勘違いしているだけです。したがって、日本に個人主義をなじませ、それによってキリスト教を定着させようとするのは順序が逆です。キリストの教えが根付かなければ、ほんものの個人主義は育たないのです。キリストの教えの根付いていないところに育つのは、個人主義に似た利己主義、自己中心という雑草です。

 

 神の姿に似せて造られた人間、神のみ前に一人の人格を持った存在として生きる、個人の大切さに気づかずに、無神論と進化論に根ざした人本主義がまかり通る、現在の日本の中で個人主義が強調されると、せいぜい、個人主義と利己主義を取り違えた人々が増加するだけなのです。ですから、たとえばそのような都会感覚でクリスチャンになった人々がひとたび田舎にもどると、クリスチャンを辞めてしまうことが珍しくありません。都会でのように、「付け焼刃」の個人主義で簡単に生き続けられるほど、田舎の共同体感覚は弱くも甘くもないのです。それで彼らは「個人主義」を擁護する戦いを放棄し、昔ながらの古い地縁血縁の世界に逆戻りするのです。そのとき、「個人主義的キリスト教」も一緒に捨ててしまうわけです。同じようなことが海外で、たとえば、アメリカでクリスチャンになって帰国した人々の間にも、見ることができます。

 

 日本に福音を根付かせるためには、本当に、共同社会の和を強調する日本文化を壊し、個人主義を取り入れるようにしなければならないのでしょうか。確かに地方で伝道をしていると、地域共同体の和のために、キリスト教信仰をあきらめなければならなくなるという事態に遭遇します。それは珍しいことではなく、むしろしばしば起こることです。しかし個人主義的にならなければ、日本は福音化されないと考えるのは、歴史的事実を無視するものです。現在の西欧的な個人主義は、せいぜいフランス革命まで遡ることができるだけです。個人主義がキリスト教の先行条件ではなく、キリスト教的考え方が、現代個人主義を育成してきたのです。ですから、福音は個人主義的文化だろうと、共同体的文化だろうと、全体主義的文化だろうと、そこに定着することができるのです。ただ、現在私たちにもたらされているキリスト教が、個人主義的であり、日本文化に馴染まないという事実は残ります。必要なのは日本の共同体的文化、共同体的価値観を変えるのではなく、福音から、現代西欧文化としての個人主義を切り離し、福音だけを語ればいいのです。西欧の土壌で芽生え育った木を移植するのではなく、種そのものを植えれば良いのです。福音の種は、どのような土壌でも育つのです。

 

 神道や仏教の背景をもった社会習慣や行事は、地方に行けば行くほど強固に守られています。そして神道色が強く、仏教臭が強いほど、反キリスト教の度合いも強まります。徳川幕府が250年にわたって反キリスト教政策を推し進めたとき、利用したのが仏教だったのですから当然です。明治から、すくなくても、1945年の敗戦に至るまでの日本政府の反キリスト教政策は、神道を強固にすることによって行われてきたのですから、当たり前です。明治政府は、先進諸国の仲間入りをするために「建前」として信教の自由を憲法で謳いましたが、「本音」は、神道を高揚して和魂洋才の国家造りだったのです。これは、ただちに国家神道に発展し、いまも靖国問題などに名残が色濃く残っているのです。徳川幕府も、明治以来の日本政府も、仏教を正しい宗教だと判断したわけでも、神道こそ真実の宗教だと信じたわけでもありません。彼らは実利主義に立って、それらを利用したに過ぎません。仏教的精神土壌を作り上げることによってキリスト教を排斥し、神道的社会構造と通念を形成することによって、キリスト教の侵入をとどめようとしたのです。

 

 では、神道は初めから反キリスト教で、キリスト教に戦いを挑んできたのでしょうか。仏教は初めから反キリスト教であり、キリスト教を撲滅しようとしていたのでしょうか。事実はその反対です。まず、はなはだ聖書の教えに反したキリスト教国が植民地獲得に乗り出し、神道と仏教を主な宗教としていた日本に脅威をもたらしたのです。そのキリスト教国の脅威から日本を守るために仏教が利用され、神道が悪用されました。そこでキリスト教は(キリスト教国ではなく、欧米の宣教師に代表される勢力)仏教と神道を敵とみなしてこれに戦いを挑みました。しかし今問題なのは、この欧米宣教師によってもたらされたキリスト教が、果たして聖書の示しているキリストを代表しているか、聖書の教えと合致しているかということです。言い変えると、聖書の神、聖書のキリスト、聖書の聖霊は、日本の宗教を敵視しているか、聖書の教えは日本の仏教的教えや神道的教えを敵として排斥しているかということです。

 たしかに日本の牧師たちの多くは、神道も仏教も、その他どのような宗教もキリスト教の敵であると考えています。敵とは言わなくても、少なくても偶像教であり、福音宣教を妨げるものであると考え、これらを取り除かなければ、日本の福音宣教は妨げられ続けると判断しています。それで、これらを取り除くことが福音宣教そのものと同じくらい大切だと感じる人たちも出てくるわけです。福音を語る代わりに、仏教を非難し、仏像を壊せと叫び続けている人たちがいます。聖書を語るかわりに、日本社会の地縁血縁を敵に回して声を荒立てている人たちもいるわけです。そして私たちの同労者諸師の中にも、そのような方たちが少なくありません。でも、本当に聖書はそのようなことを教えているのでしょうか。新約聖書の使徒の働きや諸書簡には、宣教地の宗教や文化を破壊し取り除かなければ、宣教はできないと教えているでしょうか。

 

 いささか極端な間違いですが、全体的に見るならば比較的私たちに近い考え方をしている伝道者たちの中には、日本を支配している地域霊、あるいはそれぞれの地域を支配している地域霊なるものを追い出さなければ、そこでの宣教はできないと信じて、一所懸命に悪霊追い出しに駆け回っている方々もいるのです。日本の文化そのものを悪魔や悪霊の文化と断じ、あらゆる宗教を悪魔の業として悪霊たちがこれに関わっていると断罪しているわけです。聖書の中に、地域を支配する悪霊を追い出すなどということを、正当化できるような教えや例や思想があるのでしょうか。そもそも地域を支配する霊などというものの存在を、聖書から証明できるものでしょうか。あるいは、そのような神学が正当化されるほどの記述があるのでしょうか。さらに、地域を支配している霊を追い出せば、福音宣教が進展するなどという考え方が、聖書の中に少しでもあるのでしょうか。そのような実例が一度でも聖書に記されているのでしょうか。もちろん、そのような記述は聖書にありません。「聖書的」を標榜する私たちの仲間がそのようなことにうつつを抜かしているのは、かなしむべき現状と言わなければなりません。あるいはキリスト教以外のすべての宗教を直接悪魔のわざと断定し、悪霊が関わっていると言い切るだけの聖書的根拠があるのでしょうか。それもまた、聖書の教えではありません。私たちはもっとしっかりと聖書の教えを学び、その上に立つ信仰を持たなければなりません。

 

 キリスト教以外の宗教は悪魔の業だというような考え方は、たとえ大多数の宣教師、教職者、あるいは信徒がこぞって賛同するものであったとしても、また、歴史的にその様な考え方が、正当化されてきたとしても、聖書の教えではないことに気づく時期に来ていると思います。もっと、しっかりと聖書を学びましょう。多くの宗教が悪魔的な側面を持ち、実際に悪魔によって利用されてきたことに異論を唱えるつもりはありません。さまざまな宗教的慣習や儀式などに、悪霊どもが関わっていることも否定しません。そのような例は聖書の中にも見出されます。でもそれは、資本主義が悪魔的であり、共産主義が悪魔的であるのと同じくらい悪魔的であるに過ぎません。特に資本主義社会の中に働く悪魔と悪霊は、積極思考、成功志向、繁栄の福音などという、美しい名前をとって教会の中に入り込み、資本主義の構造の中にしっかりと納まりながら、神の名をもって貧しい開発途上国の人々を苦しめ続けています。

 

 いったい宗教の起源はどこにあるのでしょう。もちろん私たちは、無神論者たちが主張するような宗教の起源を無視します。あくまでも聖書の教え、聖書の記述から考察するのです。聖書から語るならば、宗教の起源は人間が神の姿に似せて造られ、神と交流できる能力を与えられていることに由来しています。人間は神に造られた霊的な存在として、動物の中では唯一、神を認識することができる存在です。人間には初めから本能として神を感じ、神に祈り、感謝する、宗教意識が与えられているのです。人間とは神を礼拝しようとする動物、祈る動物です。この本能は、悪魔に誘惑されて罪を犯し、神のみ前から追放された後になっても、決して失われることはありませんでした。

 

 神から追放されて神なしに生き、増え、神なしの社会を形成した人間は、神を呼び求めずにはおれなかったのです。創世記に「彼らは神を呼び始めた」と記されている通りです。しかし、その呼び掛けに神は簡単に答えることはできませんでした。罪を犯した人間に対する神からの接触は、神の聖さと関わって著しく限られていたからです。堕落して、神から離れた社会を作り上げていた人間は、数代もたてば本当の神の姿を忘れ、おぼろげな神意識で怪しげな神観念しか持てなくなってしまいました。それでも彼らは神を呼んだのです。この神を求めて叫ぶ人間の本能が悪なのではありません。人間が神を呼ぶ事が罪なのではありません。間違った神を呼ぶ事も、それ自体が罪なのではありません。それはむしろ、罪の結果なのです。人間が神を求め、神を礼拝しようと願うのは罪のゆえではなく、神が人間に与えてくださった霊的性質、霊的能力、本能によるのです。もしもこの本能がなかったなら、人間は神を意識できないのです。神を感ずる事も認めることもできなくなるのです。

 

 母親の乳を吸う本能を持っていない赤ちゃんを想像して見てください。そのような赤ちゃんを育てるにはどうしたらよいのでしょう。赤ちゃんは、誰に教えてもらわなくても母親の乳房に吸い付く本能を持っているから、生きることができるのです。まちがってお父さんの乳首に吸い付いても、わらってお母さんに抱かせてやれば良いことです。親指に吸い付いたら、哺乳ビンを吸わせればいいのです。人間は、宗教的本能を与えられているから、神を信じる事ができ、福音に応答する事もできるのです。間違っておかしなものを神だと思って礼拝していても、それ自体が罪なのではなく、むしろ罪の結果です。

 もちろん、私たちは、パウロが記した偶像崇拝の罪とその結果についての教えを知っています。(ロマ1:18~32) 私たちの神は、理性を持って考えれば、偶像と同一視されるような神ではないことが明らかです。そういう意味において、人間が偶像を礼拝する事は罪です。しかし同じパウロによれば、人類は、理性をもって正しい神に到達する事すらできないほど、堕落していたのです。聖霊の証と導きがない限り、人間は自分の能力で神を認めることはできないのです。人類が偶像礼拝をするのは、神を離れ神の本当の姿を見失った結果であり、罪の結果なのです。パウロがここで責めている事は偶像礼拝の罪そのものではなく、罪の結果、本当の神を認めることもできなくなってしまった惨めな人間の状態です。罪を犯して堕落し、神を離れてしまった人間には神がわからなくなってしまい、偶像礼拝にまでしかたどり付けなかったのです。

 

 ですからパウロは、神を礼拝する人間の本能を責めてはいません。かえって、アテネで多くの偶像を前にして語ったように、人間の宗教本能を認めて、たとえ礼拝の対象が偶像であったとしても、礼拝する行為そのものは賞賛しているのです。もしも人間に神を礼拝する本能がなければ、すでに言いましたように、伝道することもほとんど不可能です。人間に、神を礼拝したいという本能があるからこそ、伝道も可能なのです。したがって、宗教をことさら罪悪視し、敵視するのは誤っています。

 

 旧約聖書を読むと明らかなのですが、・・・・・・とはいえ、宣教師たちに教えられたような独善的態度で読むと、明らかでなくなりますが・・・・・神は異教とそれを信じる人々には非常におおらかなのです。おおらかでなくなるのは、エジプトを脱出させられたイスラエル人が他の神々を礼拝したり、他の民族がイスラエルの中に異教を持ち込んだりする危険がある時だけです。そのおおらかではない神の態度を、福音の及んでいない人々に適用するのは間違っています。まだ、出エジプトを体験していない民族に当てはめるのは正しくない事です。まだ救われていない日本人に、偶像礼拝は罪であると叫ぶのは的外れです。

 

 神は、人々が異教の神を拝むことに対して意外に寛容であられるという事実に、多くの聖書学者が気づいていないのはいったいどうした事でしょう。わたしのような素人的な読み方しかできない者が気づくのですから、本当の聖書学者ならばとうの昔に気づいているはずです。でも、他のクリスチャンたちの反発が怖くて言えないのでしょうか。そんなはずはありません。神の前に一人の人間として自己確立ができているはずのクリスチャンならば、誰をも恐れずに言うことができるはずです。神は人々が異教の神々を礼拝し、偶像を拝んでいる事に、とても寛容なのです。ただし、例外があります。その例外は、神の救いを民族として体験したイスラエル人と、新約においては、同じ神の救いを個人として体験したクリスチャンに対してです。

 

 この事について筆者はすでに多くの場で述べていますので、ここでは最小限度に止めますが、神が徹底して厳しく、ご自分だけを礼拝するようにとお命じになったのは、他のどの民族でもどの国家でもなく、神の奇跡の救いを、絶対に間違えることがないほど明確に体験したイスラエル人に対してです。旧約聖書では、この命令は他の誰にも与えられていないのです。「私はあなたを奴隷の地、エジプトから導きのぼった神である。だから、私だけを礼拝しなさい」ということなのです。「わたしとあなたは契約を結ぼう、私はあなたの神となり、あなたは私の民となる」ということです。「私はあなたの夫となり、あなたは私の妻となった。だからあなたは他の男に目を向けてはならない」といわれているのです。奴隷から解放された体験も、神と契約した覚えも、神と婚姻関係に入ったこともない人々、イスラエル人以外の人々にはこの命令は与えられていないのです。

 

 ですから、エジプトから解放され律法が与えられる前のイスラエルに対して、神は度々ご自分を現しておいでになるにも関わらず、イスラエルが真の神以外の神を拝むことに寛容でした。召し出される前のアブラハムは、真面目に異教の礼拝を守っていたのでしょう。召し出された後の彼の行動や考え方には、まだまだ異教の概念が残っていました。イサクのことは良くわかりませんが、ヤコブのテントにはラケルが父の下から盗み出した偶像をはじめ、異邦の神々の偶像がたくさんありました。ヤコブがこれらをまとめて破棄するのは、祖父アブラハムに神様が現れてくださってから、およそ150年近くも経ってからです。日本にプロテスタントの宣教が始まってから今日までの年数と、あまり変わりがありません。ヨセフの結婚相手は、エジプトの異教を信じていた女性というだけではなく、その祭司の娘です。モーセの結婚相手もまたミデアンの異教の祭司の娘でした。モーセは律法が与えられた後も妻の父、すなわち異教の祭司を大切に扱っています。

 

 律法を与えられる前のイスラエルの、異教とのかかわりに寛容であられた神は、律法を与えられていない日本人の偶像とのかかわりに対しても、同じように寛容であられるはずです。日本人は出エジプトのような体験はしていませんし、律法も与えられていません。ですから、日本人が偶像礼拝をしていても、神はそのことを取り上げて、律法が与えられた後のイスラエル人が偶像礼拝をしていた時と同じように、日本人に怒りを燃やされるということはあり得ないのです。神は、決して間違う事も疑う事もできないほどに明らかに、イスラエル人の前にご自分を現してくださいました。絶対に忘れられない出来事を通して、ご自分の救いを見せてくださいました。ですから彼らが他の神々を礼拝することに対して、非常に厳しく、徹底的に断罪なさるのです。

 

 では、日本人クリスチャンに対してはどうでしょうか。日本人は民族としてあるいは国家として、まだ神の明らかな、見まごうことのないほど明確な顕現を見てはいませんが、ひとりの個人として、クリスチャンは神の解放の力を体験しているはずです。そういう意味では日本のクリスチャンも、絶対に偶像礼拝をしてはならないということになるでしょう。しかし、現在の日本人の回心の体験の多くは、出エジプトのイスラエルの体験ほど明確なものではありません。ほとんどの場合は、長い期間をかけての段階的というか、少しずつというか、本人さえも、いつ本当の意味でクリスチャンになったのかわからないような体験なのです。クリスチャンになろうと決心しては後戻りをし、また決心をするということを何回もくり返した人も少なくありません。そのような段階にいる「クリスチャン」に、あの出エジプト記のイスラエルの体験を、そのまま当てはめるには無理があると思われます。本当に明確なクリスチャンとしての自覚が生じた時点からは、偶像礼拝に対して徹底した態度を持つように指導されるべきです。

 

 とはいえ、現在の日本の宗教環境の中で偶像礼拝をしないということと、旧約時代のイスラエルの環境の中で偶像礼拝をしないというのには、大きな違いがあります。イスラエルでは、たとえ偶像礼拝がはびこっていたとはいえ、まことの神を礼拝するのが国是であり、まことの神を礼拝することが迫害を呼ぶことだったり、差別をされたり、社会的に不利な状況に陥れられるということは、あまりありませんでした。一応、民主主義が基本的概念として浸透し、信教の自由もかなりの程度で理解されている現在の日本でも、クリスチャンになったからといって、表立った迫害を受けたり差別をされたりすることは少なくなりました。日本のクリスチャンがいま遭遇する社会的圧迫の多くは、日本的「和」になじまなくなってしまったクリスチャンに対する、周囲の苛立ちです。ですから、クリスチャン本人が迫害のために苦しむというのは、比較的少なくなっています。ところが、周囲の苛立ちをものともしないで信仰生活を貫くように教えられているクリスチャンたちは、先にもいいましたように、「俺たちは絶対にクリスチャンにはならないぞ」と決心するもの、あるいは「俺たちの周りからはもうクリスチャンを出さないぞ」と考える、たくさんの人たちを作り出しているのです。

 

 現在の日本の状況は、むしろ、バビロン捕囚中のイスラエルに似ているといえます。国はほかの宗教を奉じている人々によって治められていました。国家の行事のほとんどは、異教の神々の名で行われていました。偶像を礼拝している人々が周りを取り囲んでいました。日常のあらゆるこまごました事柄にまで、異教の習慣がしみこんでいました。そのようなところで唯一の創造者を礼拝するというのは、やさしいことではなかったはずです。大切なことは、このような環境の中で、イスラエルの人々があまり悶着を起こさないで、自分たちの生活をしていたということです。それはかなり柔軟に周囲の人々と共に生きていたということです。もしも彼らが、現在の私たちほどかたくなな態度で唯一の神に対する信仰を守ろうとしていたら、ダニエル書やエステル記に記されているより、もっとたくさんの問題に、日常的に遭遇しながら生きることになったことでしょう。

 

 この時代、捕囚のイスラエル人は大変な宗教的変革の中に置かれました。まず、そのときまでは国家全体として当然のように守っていた安息日を、なかなか守ることができなくなったことです。次に、神殿が存在しなくなり、神殿礼拝ができなくなったことです。そのような困難の中でイスラエルの人々は、安息日を大切にしながらも、それに捕らわれない信仰を獲得して行かなければなりませんでした。また神殿礼拝に変わる礼拝形式と、宗教教育の制度を作り上げていきました。キリストの時代に一般的であった会堂とそれにかかわる組織と活動は、たぶんこの時代に、神殿礼拝に代わるものとして発展したのだと考えられています。イスラエルが唯一神礼拝を自分たちの国教としていたときには、外国や周辺の民族からあらゆる宗教を持ち込んで堕落をくり返しましたが、捕囚となり、宗教的活動も制約される中で、かえってしっかりとした唯一神信仰を持つにいたるのです。

 

 そのような「宗教的自由主義」が広がっていくところには、必ず行き過ぎがありました。周囲の人々と悶着を起こさないで生活をしていくことに気を使うあまり、正しい神礼拝をおろそかにするものたちも現れたことでしょう。そのような環境にあって、シャデラク、メシャク、アベデネゴの偶像礼拝拒否やダニエルの徹底した信仰態度は、行き過ぎた妥協への警鐘とも、正しい神信仰への励ましともなったことでしょう。とはいえ、ダニエルにしても3人の青年にしても、自分の信仰として徹底していたのであり、他者の社会生活をさまたげるような形で、自分たちの信仰生活を保守しようとしたのではありません。もしもそのような信仰態度をとっていたならば、あのような高い位について王に仕えることはできなかったはずだからです。ですから、ダニエル書から学ぶのは、徹底した非妥協的な信仰態度だけではなく、原則的なことに対しては絶対に妥協しない信仰を守りながら、社会生活においては他者の生活を妨げない、あるいは乱さない柔軟な対応をするということです。

 

 イスラエルの歴史を見るならば、ダニエルの物語の後にはエズラやネヘミヤが続きます。このとき、この厳しい指導者たちに率いられ、イスラエルは、失われていた神殿礼拝を取り戻したことを始め、かなりの宗教改革を経験しました。それによって、自由主義に流れていきそうな風潮が改められ、会堂における宗教活動のような有益なものが残される事になりました。ただしその反面、このころの厳しい宗教運動がまた、あまり歓迎できない律法主義に道を備えることになったと考えられます。

 

 日本のクリスチャン人口の少なさからいうと、もうひとつ参考になるのは、シリヤの将軍ナアマンの例です。彼はエリシャの言葉に従い、ヨルダン川に身を沈めて癒されると、イスラエルの神だけを礼拝すると決意しますが、自国に帰ると王に次ぐ位にいるものとして、王と共に彼らの祭壇に出て、彼らの神を礼拝しなければなりませんでした。それをしないということが果たしてどのようなことを意味していたのか、今の私たちに正確なことは言えませんが、その高い位にいながら、今までやってきた習慣を破って、王と共に礼拝することを拒絶すると、単に、ナアマン個人の信仰にかかわることではすまなくなり、多くの人々を巻き込む、国家的混乱とさえなりえたのでしょう。それでナアマンはエリシャに願い出て、王と共に身をかがめること、すなわち、外面上だけは、王と共に礼拝しているように振舞うことを許してもらうのです。エリシャは非常に厳しい信仰態度を持った人物ですが、ナアマンの願いを聞き入れています。ナアマンの行動は単なる保身からのものではなかったはずです。偶像礼拝を敵視する宣教師や、彼らに影響を受けている牧師たちは、このナアマンの物語にいろいろな解釈を持ち込んで、エリシャは許したのではないと言おうとしていますが、やはり、エリシャは許したと考えるのがもっとも無理のない読み方です。

 

 自分の信仰態度をしっかりさせるということと、周囲の人々の生活に混乱を与えるあるいは和を乱すということとは、別だということを知らなければならないのです。周囲の人々が偶像礼拝をしていても、偶像の名で行事を行っていても、偶像を奉るお祭りをやっていても、それを責めることは私たちの仕事ではありません。私たちが出来るだけそのようなことに関わらなくするのは、それなりに良いことでしょう。しかし、いつも関わらないで済むものではありません。寄付金もあれば、掃除もあります。それらを拒絶することが、周囲との和を乱すならば、寄付をし、掃除をしたほうが良いのです。偶像の罪に金は出さないと粋がっても始まりません。私たちは偶像に限らず、毎日、多くの罪に対して金を出し、労力を使っているのです。資本主義経済という、欲望を正当化し、他人の苦しみを省みなくても良い機構の中で、私たちは生きています。マモンという「神」を礼拝し続けている人々と、平気で平和に暮らしているだけではなく、その大きな影響のもとで生きているのです。道端の小さな祠で頭を下げている老婆をみて、偶像礼拝者とさげすむよりは、りっぱな講壇から繁栄の福音を語る伝道者の中にある、マモン礼拝を責めるべきです。

 

 そういうわけで、私たちは、せめて厳しい神様が寛容であられるほどに、異教文化に対して寛容でありたいと思います。偶像礼拝禁止の律法は、イスラエル民族に与えられたという事実をしっかりと認めておきたいと思います。律法を与えられていない人々が偶像礼拝をしても、罪ではないと言っているのではありません。それは罪です。絶対に贖われなければならない罪です。しかしそれは、イスラエル民族が偶像礼拝をした時に神がお怒りなるような意味で、神がお怒りになる罪ではありません。救われていないすべての人々が罪を犯し続け、神の哀れみの対象であるのと同じように、神の哀れみの下にある罪なのです。私たちにとって大切なことは、偶像礼拝は罪であると責め立てることではなく、福音を語ることです。特に日本人は曖昧な神意識しか持っていません。むしろ、パウロがアテネで語ったように、あなた方が知らないで礼拝している方をお教えしましょうと、神の本当の姿を伝えることなのです。

 

 日本人の神意識は曖昧ですが、曖昧なところが良いともいえます。ある意味で日本人は、聖書が教える「ある」とおっしゃる神に、非常に近い神観念を持っているとさえいえるのです。少なくても共通点があるのです。敵対して戦うよりは、共通点に立って理解しあうほうがいいのです。日本人はよく多神教であるとか、汎神論的であるとか言われますが、実は、そのような多くの神々を礼拝しているようでありながら、奥深く気高く大きな、すべての神々の名の背後においでになる、ひとりの神を拝んでいる感覚が強いのです。それぞれの神社にはそれぞれの神々が祀ってあり、それぞれのいわれや名前があります。しかし日本人はそのようなたくさんの神社にお参りに行っても、それぞれの神々の名を呼んだり、それぞれの神々に思いをはせたりはしません。どこの神社に行ってもまったく同じ気持ちで、あたかも神は一人しかいないような心で、そのような前提で礼拝し、お祈りをします。さらに日本人はあらゆる自然物の中に、あるときは人造物の中にさえ何らかの神、あるいは霊的なものを認めます。これも、すべての被造物の中に創造者である神の性質と栄光が宿っている、あるいは反映していると考える聖書的な考え方に非常に近いものです。わずかの間違い、あるいはねじれを直すならば、かなり正しい神観念に到達するのです。

 

 実は、日本人の神意識の曖昧さは、以前から日本の宣教の妨げとなってきたといわれているのですが、確かにそのとおりであるといわざるを得ません。「神」とは本来の日本語の「カミ」に漢字の「神」をあてたもので、本来の日本語の「カミ」はたんに「上」という意味しか持っていなかったと言われています。ですから、「カワカミ」は川の上のほう、「サツマノカミ」は薩摩の人々の上に立つ人、「カミノケ」は上にある毛で、違う漢字が当てられただけです。したがって日本では、少しでも優れた能力があるものは、「カミ」、すなわち「上」と認められるわけです。韓国語の「神様」に当たる言葉「ハナニム」は、最初の、あるいは一番のという意味があり、日本の神のような曖昧さをあまり残さないといわれます。

 

 しかし、もしも私たちが日本の神の曖昧さを利用して、接触点にして伝道するならば、つまり、敵視せずに伝道するならば、かえってその欠点が利点となるのではないでしょうか。元来日本では、たくさんの神々を、特定せずに、おおらかに受け容れてきました。キリスト教の神も、キリスト教側が攻撃的態度を見せなければ、受け容れられるのです。(これは筆者の想像ではなく、伊勢神宮の偉い宮司さんもそのように明言しています) 少なくても毛嫌いされて排斥されることはないのです。そしてまた、これは特筆すべきことですが、本来の神道には偶像といわれる物質的な「像」は存在しないのです。「なにものがおわしますかは知らねども」で、人間には知りようがない、奥深く、高く、尊いかたがいらっしゃるという感覚があるだけなのです。それを無理に具体的に表現しようとすると、いろいろな儀式になったり、仏教を借りた偶像にまで堕落したりしてしまうのです。私たちは、人間には知りようも、表現の仕様もない、本来の日本の神道的神を、天地創造の唯一のお方にもっとも近い神観念として理解し、これを足がかりに伝道することは出来ないでしょうか。

 

 旧約聖書の厳しい神が要求されたのは、唯一の神を認め、つまりほかの神々の存在を否定し、唯一の神だけを礼拝しなさいということではありません。祀られているたくさんの神々の中から私を選びなさいということです。それでも良かったのです。唯一の神ということは、天地創造の物語でこれ以上明らかに出来ないほどはっきりしています。しかし、神が求められたのは、唯一の神という神学あるいは概念をしっかり持つことではなく、ご自分にだけ仕えるということです。私たち現代のプロテスタント・クリスチャンにとって、神が唯一絶対であることは、何にもまして大切な真理であり、これは絶対にゆるがせに出来ない信仰の基本です。しかし、神様がお求めになったのはそのような神学的理解ではなく、具体的に、神様だけを礼拝するということです。キリスト教はその宣教過程で、唯一絶対の神の理解と、その神だけを礼拝するという観念的側面を強調しすぎ、「自分を救ってくださった神だけを礼拝する」という、具体的側面を忘れているのではないでしょうか。まだ、「救って下さっていない」、あるいは、「いるかいないかわからない唯一絶対の神」を、観念的に受け容れさせることに熱心で、神に救ってもらう、まず神を体験させるということに疎いのではないでしょうか。

 

 言い換えれば、日本人が八百万の神々の存在とその力(もしあるならば)を信じたままでも、いいのです。日本の神々を否定する必要もないのです。自分を助けてくださった神、すなわち天地をお造りになった方だけに忠誠を尽くしてお仕えすれば、それでいいのです。そうして、自分の周囲にいる八百万の神々を信じている人たちを嫌うことも、憎むことも、さげすむことも、避けることもありません。彼らは神の力、神の紛うことなき顕現を体験していないのですから、体験できるように優しく勧め、語って行ったらそれでいいのです。私たちの神は哀れみに満ちた方で、罪びとが救われるためにあらゆる準備を整えて、罪びとがご自分に助けを求めて呼びかけることを待っておられるのです。

 

 私たちの神は、神学的知識や神学的受容と関係なく、人間を救って下さる方です。「天地創造の唯一絶対の神。全知全能で絶対の聖と絶対の愛を併せ持ち、その聖と愛を共に満足させるために、み子キリストによる贖いを成し遂げてくださった神。み子を信じ受け容れるものは、誰でも救ってくださる神」というような、基本的神学を理解できない人、あるいは受け容れることも出来ない人は、救ってくださらないという神ではありません。かえって、そのような神学を理解することも出来ない人が、理解できないままで救われるように、すべての準備を整えてくださった神です。

 

 それは、私たちの宣教が神学的理解と同意を求める「宣教」から、聖霊の力による具体的助け、具体的問題からの救いを体験させる「宣教」に、変わらなければならないということでもあります。パウロはあらゆる福音の知識に満ちた人間でした。しかし彼の宣教も、聖霊の力の現れによるものでした。その力を体験した人々が、神を受け容れ、あらゆる真理の深みに至る学びをするようになったのです。プロテスタントの福音の中心は、「信仰による救い」ですが、むしろ「知識による救い」が強調されてきたように感じるものです。

 

 そのために、日本の八百万の神々の概念と反発しあう信仰となったのです。そのために、自分以外の人々の偶像礼拝とまで、戦わなければならない信仰になったのです。

 

 私たちはいま、カトリックの信仰を昔のように敵視してはいません。小異を捨てて大同に付くというか、カトリックとも仲良くしていこうという傾向です。それはそれでよいところがたくさんあります。筆者も、カトリックの神父と仲良くしています。しかし日本の神道は、カトリック教ほど堕落はしていないとも言えます。神道は反キリスト教政策に利用されたために、キリスト教と相容れないところが多いと思われがちですが、カトリック教ほどひどくはないのです。偶像問題ひとつを取り上げても、カトリックには偶像が満ち溢れています。マリヤの偶像、キリストの偶像、聖徒たちの偶像、天使たちの偶像、その他の偶像がいたるところにあります。カトリックの神学者たちがどれほど言い訳しても、それは間違いなく偶像です。信徒たちはそれらに向かって祈り、敬意を払っています。それらは単なる象徴に過ぎないというならば、仏像もすべて、見えない真理を見えるように表現した象徴に過ぎないのです。神道にはもともとそのような偶像はありませんでした。神道は聖書なしにここまで来ました。カトリック教は聖書を持っていながら、聖書を隠し、燃やし、聖書に反することをしてきたのです。

 

 地上におけるキリストの代理者である法王。キリストの祭司の務めを奪っている司祭たちの務め。行いと教会の権威に依存する救い。さらには再臨以外のすべてのキリストのお働きを共に担うマリやの勤め。(マリヤは再臨以外のあらゆる働きで、キリストと共に働くことになっています。ですから当然、マリヤは罪なくして生まれたことになっていますし、昇天もしています) これらのものはことごとく、聖書の教えに相反するものか、聖書には記されていないことがらです。

 

 もしも私たちのなかに、このようなカトリックとも仲良くやっていこうという気持ちが少しでもあるなら、日本にあるさまざまな宗教とも、争わずにやって行くことも出来るはずです。すくなくても、良いところを認め、賛同し、受け容れながら、私たちの神について説明し、私たちの神に祈ることもお勧めできるはずです。日本人の多くは、どの神に向かって祈ることも否定しません。神なんぞ存在しないといいながら、祈ってもらうことを喜ぶのです。ですから、天地創造の神を紹介してその力によって、助けを体験するように励ますことが出来ます。

 

Ⅳ.文化ではなく福音を

 結局、日本の宣教は、日本人にとって最悪の形で行われてきたということになります。多くの宣教師たちの献身と犠牲、まじめな日本人伝道者たちの血のにじむような忍耐と労苦にもかかわらず、非常に残念な形で進められてきたといわざるを得ません。

 

 カトリックの宣教は、どれほど真剣な宣教師や信徒たちの殉教があったとしても、植民地主義の手先となっていたという事実を変えることはできません。明治になってからの宣教も、西欧キリスト教国の植民地主義から、切り離すことが出来ませんでした。たとえ、実際に日本を植民地化しようとしていた西洋の国は少なかったとしても、日本の指導者たちは植民地主義国の侵略を恐れていたのです。そしてキリスト教はその植民地主義国の精神的支柱だったのです。たとえ慈愛に溢れた宣教師たちでさえ、人種的また文化的優越感をもって、日本人とその文化に対して理解を示さず、高圧的で批判的で破壊的だったのです。彼らは福音を宣教するのと同じくらい熱心に、日本の文化を「キリスト教化」しようとしたのですが、彼らがキリスト教文化と考えたのは決してキリスト教文化ではなく、キリスト教文化だと思い込んでいた自分たちの文化に過ぎませんでした。

 

 日本は終戦にいたる350年ほどにわたって、国家として徹底した反キリスト教政策を採ってきたのです。徳川時代は過酷な迫害と仏教を利用した相互監視システム、すなわち「和」の監視システムをもって、キリスト教の侵入を阻止しました。明治以降は、表面的には信教の自由を認めておきなが、国家神道の高揚をもって和魂洋才を旗印に、キリスト教の進展を妨げてきました。これに対しキリスト教宣教師たちは、自分たち個人の献身と良心をもって働いたのですが、日本人の中に沁みこんだ、キリスト教に対する疑いと恐れを取り除くことが出来なかったばかりか、かえってその人種的優越感と文化的優越感あるいは徹底した個人主義的感覚で、日本人の疑いをさらに深め、恐れを強化して来たのです。

 

 こうしてみると、日本人が躓き、疑い、恐れ、嫌ってきたキリスト教とは、実は聖書が教えるキリストの教えではなく、混ざり物入りのキリスト教であったことがわかります。植民地主義と手を組んだキリスト教。人種的優越感と溶け合ったキリスト教。文化的優越感に染まったキリスト教。個人主義の衣をまとったキリスト教等々です。多くの場合、日本人は福音そのものに接触する前に、キリスト教と交じり合った文化、あるいはキリスト教を包み込んだ文化に躓いてしまっているのです。残念ながら、現在でさえこの傾向は強く残っています。日本が敗戦後驚異の成長を見せていたとき、アメリカの民主主義に学びアメリカを理想的な国として見ていたとき、キリスト教は「アメリカの宗教」として、ある程度一般の日本人の中に受け容れられていました。今から35年程前には、36%の日本人が、宗教を選ぶならキリスト教といっていたのです。

 

 ところが日本が世界の中でもトップの力をつけ、いろいろな面で自信を持てるようになると、アメリカを理想の国と見る人は少なくなり、キリスト教を高く評価する人も少なくなっているのです。最近の調査によると、選ぶならばキリスト教と答えた日本人は25%ほどに減っています。それでも、25%もあるのです。ところが実際のクリスチャン人口は25%の100分の1にも満たないのが現状です。理由は、「キリスト教は悪くはない。実際良いところがたくさんある。しかし今、自分にそれは必要ない」からです。また、「クリスチャンになると、周囲の人たちと穏やかに過ごすことが出来なくなる」からです。「うそをつかない。酒も飲まない。喧嘩もしない。離婚もあまりしない。いつでも親切で頑張り強いクリスチャンは、とてもすばらしいけれど、周囲の人々に迷惑をかけながら生きている」からです。そして大概の日本人は、「自分にはとてもそこまで頑張れないし、周囲の人々に迷惑をかけてまでクリスチャンになる必要はない」と、感じているのです。

 

 では私たちは、この日本でどのような宣教を心がけるべきでしょう。これまで日本人が躓き続けて来たのは、福音そのものではなく、文化と一緒になったキリスト教であることを理解するならば、私たちのとるべき方策はただひとつ、文化とかかわりのない福音を伝えることです。文化とかかわりのない福音とは、まず、西欧文化の衣を剥がした福音、西欧文化の異物を濾過した福音、文化から峻別された福音です。西欧の文化と福音は長い間混同されてきました。それを識別して切り離すのは容易ではありません。すっかり癒着してしまっているため、そちらを傷つけこちらを痛める手術になることでしょう。しかし私たちは、聖書に戻り聖書に聞くという困難な作業を、根気強くくり返し、繰り返し続けて行くべきです。

 

 具体的な、しかも簡単な例に「嘘」の問題があります。欧米宣教師、特にアメリカ人宣教師は「嘘」を嫌います。それは聖書に反するといいます。罪であるといいます。ところが日本人はある意味で「嘘」の文化に生きているのです。日本人は「嘘」に独特の価値を認め大切にしているために、すべての嘘を罪と決め付けるキリスト教と相容れないことになってしまいます。肝心なことは、本当に聖書は「嘘」を罪として断罪しているかどうかです。神様も「嘘」をおっしゃってはいないでしょうか。キリストは「嘘」を言わなかったでしょうか。聖書の中の立派な人々は「嘘」を言っていないでしょうか。「嘘」を言ったがために神様に祝福された人の話は、聖書に記されていないでしょうか。「嘘」が正当化されている話は、聖書に載っていないでしょうか。

 

 もちろん、「嘘」の定義にもよりますが、聖書の中には結構たくさん「嘘」が用いられた話が載っているのです。日本人が「嘘も方便」とうそぶくほどではありませんが、「嘘」は間違いなく記載されています。普通の欧米宣教師にとって「嘘」とは「事実に反したことを言う」ことです。ばかばかしいことですが、彼らの多くは口に出して言いさえしなければ「嘘」」にならないと考えています。日本人の多くは口に出さない「嘘」もあると考えています。あるいは事実に反したことを言うのが「嘘」ではなく、真実に反したことを言ったり行ったりするのを「嘘」だと考えています。ほとんどの西欧人にとって、事実と真実は同じですが、多くの日本人にとっては、事実と真実は別の事柄です。事実とは事象についての事柄であり、真実とは人間の心の問題であり、人間関係に関わることであると考えています。事実は母親が癌に侵されています。真実は母親に癌だと告げず、最後まで胃潰瘍だといい続けることです。この違いは、事実を大切にして生きる移動性の激しい生活を営んできた西欧人と、非常に定着性の強い生活を営んできた日本人の違いです。そして西欧人は自分たちの生活を聖書から正当化したのです。確かに聖書は「偽りを言ってはならない」と戒めているからです。でも、その聖書の言葉の理解が正確ではなく、その適用が正しくない可能性が強いのです。

 

 日本人が「嘘も方便」と軽々しく嘘をつくのは感心できませんが、西洋的な「嘘」と「真実」の峻別もまた、聖書の教えではありません。人間の世界に白黒はなく、濃い灰色と薄い灰色があるだけです。それを、白と黒、善と悪、嘘と真実という風に峻別するのは正しくありません。神と悪魔の間にある白黒を、人間の世界に持ち込んではならないのです。先に述べたように、実に多くの日本人がこの「白黒善悪」の文化の違いに躓いて、キリスト教に躓いたと考えているのです。ところが、彼らがつまずいたのはあくまでも文化であり、聖書の教えではありません。私たちは人間社会における嘘と真実、善と悪、白と黒を峻別するかわりに、福音と文化を峻別するべきです。

 

 西欧の宣教師たちの中にはまじめに宣教学を学び、文化と福音という問題についても、基礎的な学びをして来るものたちが増えているのは事実です。とはいえ、それは数の上で少ないうえ、学んだ人々の中でも。本当にそれを理解し実際の働きの中で生かすことが出来る人は、ごくごくわずかです。かえって学んだということに満足して、生かしきれていない人が目に付きます。一言で言うと、西欧宣教師が変わることはあまり期待できないでしょう。だとすると、私たち日本人伝道者が変わり、日本のクリスチャンが変わる他に手がありません。とはいえ、これも大変難しいことでしょう。少なくても、このような拙文を読んだからといって、それで変わる日本人伝道者がいるとはとても思えません。それでも、言い続け、書き続けなければならないと感じているのです。

 

 福音と文化を峻別するとは、異文化の中で育ったキリスト教という苗を移植しようとするのではなく、福音という種をまくことです。ある特定の土地や気候の性質に対する対応を身につけてしまった「苗」ではなく、まだどのような土地への対応もしていない「種」を植えるのです。聖書の教えそのもの、聖書のキリストその方を伝えることです。ひとたび、ある特定の土壌で発芽し育った苗を、ほかの気候の異なった土壌に移植するのは困難だからです。表現を変えてみましょう。てんぷらにされた海老を差し上げるのではなく、海老そのもの、まだ料理されていない海老を差し上げるのです。てんぷらにした海老を初めてのひとに差し上げると、衣が海老だと思ってしまうからです。衣が嫌いだと、中の海老まで捨ててしまいます。今必要なことは、キリスト教という西欧の海老のてんぷらから、衣を剥ぎ取ることです。

 

 ひとつの文化の中で育った者が、ほかの文化、ほかの考え方、ほかの見方、他の感じ方があるなどと想像するのは、なかなか大変なことです。自分の考え方や見方が、ずっと、周囲のみんなの見方や考え方と同じだったのですから、それ以外のものがあることには思いも及びません。日本という閉ざされた環境に育つと、日本的な考えが常識となり、それが正しいと思い込んでしまいます。アメリカという環境で育つと、アメリカ的価値観が唯一のものだと早合点してしまいます。すべてのひとは、そういうわけで、多かれ少なかれ自分の文化という先入観で聖書を読み、その色眼鏡で聖書を理解します。ですから、たとえ同じ聖書を読んでも、受け取るところ、感じるところ、理解するところ、共感するところが違います。アメリカ人はアメリカ人らしい聖書の読み方をし、ほかのアメリカ人たちも自分と同じように読んでいることを知って安心し、自分たちは正しいと思い込みます。ですからアメリカ人たちは、個人主義の感覚で聖書を読み、個人主義に都合よく当てはまるところに感動し、個人主義を擁護していると思われるところを強調することによって、さらに個人主義を強固にし、個人主義こそ聖書の教えだと感じてしまいます。

 

 しかし、日本人たちは、少なくてもアメリカ的な教育を受けていない日本人は、彼らとは異なった読み方をし、異なった理解をします。彼らよりも、家だとか先祖だとか、親戚、あるいは地域共同体というものを大切にした読み方をします。ところが西欧的な指導を受け、西欧的著書によって育てられた日本人牧師たちは、そのような日本人的な読み方、あるいは感じ方が誤っているのではないかと恐れてしまいます。

 

 クリスチャンになりかけていた日本の女性が、聖書を読んで筆者に言いました。「幽霊とか亡霊って本当にいるんですね。聖書にも書かれているので、やっぱりと思いました」 確かに弟子たちは、波の上を歩くイエス様をみて幽霊だと思いこみ、恐怖のあまり悲鳴を上げました。(マタイ14:22~33、マルコ6:45~52) 甦りのイエス様は、湖のほとりで、ご自分が幽霊ではないとおっしゃって、幽霊には肉や骨はないと説明されました。(ルカ24:36~43) 翻訳によっては、この箇所は単に「霊」と訳されていたり、「亡霊」と訳されていたりします)普通の日本人が普通の感覚で聖書を読んで、「ヘー。幽霊っているんだ」と思っても、不思議ではありません。聖書を素直に受け容れるように教えられていながら、幽霊を信じないのは、西欧的啓蒙主義の感覚をもって聖書を読むためです。

 

 弟子たちが幽霊を恐れていたことは事実なのです。イエス様も、幽霊の実在を前提としたような話し方をしておられます。聖書を単純に受け取ると、幽霊は存在することになります。だとすると、現在の私たちが幽霊の存在を信じていても、別段、私たちのクリスチャン信仰の妨げになるわけではないことがわかります。もちろん、そのようなものは存在しないのだけれど、弟子たちはまだ一般的な迷信に捕らえられていたので、イエス様もあえてそれを否定しないで話をお進めになったのだと、合理主義的に理解することも可能です。もちろん、果たして聖書でいう幽霊が、一般的な日本人感覚で信じている幽霊と同じであるかどうかは別の問題です。足のない幽霊は、丸山応挙の絵から始まったといわれていますので、それ以前の幽霊は足があると思われていたのでしょう。イギリスは幽霊の多い国として有名ですが、足はあるそうです。フィリピンには自分の生首を両手に抱えて飛び歩く、アスワンという有名な幽霊がいます。聖書の教え全体からすると、悪霊どもが、人々の恐れに乗じて幽霊なるものに成りすましていることは充分にあり得ます。つまり、幽霊は単なる想像上の産物ではなく、想像と絡まって実在するものと考えてもいいわけです。

 

 旧約聖書には、サウル王が霊媒師に頼んでサムエルを呼び出してもらったという、有名な話が記されています。(Ⅰサムエル28:1~25) 多くの啓蒙的聖書注解者が、これは事実ではないとあの手この手で説明しようとしていますが、事実と受け取るのが自然です。だとすると、これも不思議な出来事です。合理的に聖書を読む人々には信じられない出来事かもしれませんが、合理的でないところもたくさん持ち合わせている日本人的感覚、あるいはアジア人的感覚では、この物語は意外にスーッと入ってくるものです。当時のイスラエルでは、このような霊媒が律法で禁止されなければならなかったほど、また、王自身が命令を出して、霊媒師たちを国外追放にしなければならなかったほど、広く行われていていたことにも注意をすべきです。聖書はこの霊媒師の仕業を単なるごまかしとして取り扱っておらず、むしろ何らかの現実的能力として扱っていることにも気づくべきです。

 

 私たち日本で宣教を試みるものは、たぶん日本だけに限らず、ほとんどどこの世界でも共通だとは思いますが、もっと、アニミズムの概念と信仰についての理解というか、洞察を身に着けるべきだと考えます。簡単にいうと、いちいち、一所懸命になって幽霊の存在を否定する必要はないということです。大切なのは、そのようなものを恐れず、主に信頼し、ただ主だけを恐れるべきだと教えることです。幽霊を信じている日本人には、幽霊を信じたままクリスチャンになってもらい、幽霊を信じていない日本人には幽霊を信じていないままで、クリスチャンになってもらえばいいことです。幽霊を信じない欧米の神学を、聖書の教えと考える必要はないのです。そのような、欧米合理主義のキリスト教ではなく、聖書の教えを伝えることが大切です。

 

 また生と死の間に厳密な境界線をつける啓蒙的な考え方が、必ずしも聖書の考え方と一致しないことにも気づくべきです。多くのアジア諸国でもそうであるように、日本でも生と死は完全に隔離された世界ではなく、何らかの境はあるけれども、隣り合わせの世界で、何かの弾みで行き来も交流も可能なのです。聖書の記述も、どちらかというと、完全な境界線を付ける啓蒙的な考え方よりは、何かの拍子に行き来をしたり、交流をしたりすることもできる、曖昧な境界線に近いのです。(良く知られたラザロと金持ちの話で、キリストが大きな淵があって行き来できないと語られたのは、死者のいるところが二つに分かれていて、その間を行き来することができないということです) ただ、その曖昧さに乗じて行う、霊媒やまじない、あるいは口寄せのたぐいを、聖書は厳しく禁じているという事実ははっきりしています。

 

 ところで、ここで警告をしておかなければならないことがあります。それは、この幽霊や生と死の境界線の場合のように、よくわからない事柄、聖書でもはっきりとは教えていない事柄を、自分たちの文化や習慣を背景にした感覚で勝手に拡大解釈をして、信仰と生活の重要な位置に置いてはならないということです。アニミズムの感覚を持った人たちの間では、幽霊話がつきず、占いや降霊術、あるいはお払いや鎮魂が常時行われています。だからといって、それに対応して幽霊だの亡霊だの、彷徨っている先祖の霊だの、地域霊だのと言い出して、聖書が記述しておらず、語ってもいない事柄に入り込み、勝手にそれらの霊に力を認めたり、恐れたり、あるいはそれらの追い出しの教えを作り出したりして、教会活動の中に持ち込むのは間違っているのです。確かにこの問題は単なる科学や物理の世界、つまり、聖書が取り扱っていない分野に関するものではなく、聖書の守備範囲である霊的な事柄に属します。それでいながら聖書はこの問題について、明確には教えていないのです。明確に教えていないのですから、私たちはそれについて明確に知る必要はないのです。そのようなことがらを教会の活動の一部としてはならないということです。大切なのは、そのような霊や力を恐れる必要はないということです。なぜなら私たちは、聖霊なる神に内に住んでいただき、わたしたちの外にいるあらゆる悪しき者の攻撃から、守られているからです。

 

 そういうわけで、聖書の教えと文化とを峻別するということには、二つの重要な側面があることがわかります。まず、聖書の教えを特定の文化や生活習慣に適用した「文化的教え」を見直して、いったん、適用前の聖書の教えに戻すという作業です。つぎに、聖書を読むときに、自分の文化や生活習慣という色眼鏡をはずして聖書を読むということです。日本人は、聖書の教えそのものに到達する前に、聖書の教えが適用された西欧の文化や習慣に躓き続けてきたのです。

 

 自分の文化的先入観を捨てて聖書を読むことに加えて、もうひとつ、知っておかなければならない大切なことがあります。それは、聖書そのものが文化的な拘束を受けている、あるいは文化の制約を受けている、「不完全な」書物であるということです。聖書は、「神の霊感を受けた誤りのない書物である」という意味においては完全なのですが、神のみ心を完全に表明した書物ではないという意味においては、「不完全」なのです。なぜなら聖書は、ヘブル語とギリシャ語という、不完全な人間の不完全な言葉の表現能力の範囲でしか、完全な神を表現できないからです。無限の神のみ心とご計画を充分に表現出来るほど、人間の言語は大きくないのです。言語は思いを運ぶ舟にたとえられますが、小さな笹舟が、どうして100トンもの金塊を運ぶことが出来るでしょう。神のみ心は100トンの金塊より遥かに大きく、私たちの言葉は笹舟よりさらに小さいのです。したがって、聖書に記されている神のみ心の表現は、神の妥協の産物なのです。(笹舟=一枚の笹の葉で作るおもちゃの舟)

 

 さらに、言語というものはその言語を用いる人々の文化に制約されています。その文化が持ち合わせていないものを、言語は表現しないのです。神はひとつの文化に制約されていない方ですが、聖書にご自分の思いや考え、あるいはご自分そのものを表現されたとき、必然的に、聖書の文化の中の表現でご自分を現してくださったのです。聖書の学者たちが言語の意味を厳密に調べることは間違っていません。しかし、神のみ心はその言語の持つ意味を超えているのです。したがって、大変難しい事ですが、聖書を読むとき私たちは、ヘブル文化やギリシャ文化の中で表現されていながら、ヘブル文化とギリシャ文化を超えた普遍的な教えを、その中から発見していかなければならないのです。たとえば、「神は愛である」と教えられていますが、神の愛はギリシャ語の「アガペー」という言葉で表現できる以上の、愛の方であり、明治時代に作られた日本語の「愛」よりも大きい方です。また、ギリシャ語のアガペーにも、日本語の愛にも、神様の本来のみ姿にふさわしくないものさえ、含まれている可能性が大きいのです。

 

 神はご自分を現してしてくださるとき、基本的に、言葉という表現方法をとられましたが、この言葉は必然的に時と場所に制約された文化に閉じ込められているわけです。そこで、いまその「神の言葉」を読む私たちは、時と場所に制約された文化的言語の表現から、神を解き放って理解しようとしなければならないのです。

 

 筆者が宣教師として働いていたとき、宣教の対象としていた民族には「ありがとう」という言葉がありませんでした。すでに周囲の民族の「ありがとう」という言葉を借りて使ってはいましたが、奥地に住む恥ずかしがり屋の人々には、他民族の言語で、日本人に「ありがとう」というほどの勇気がありませんでした。そこで筆者は、彼らのありがとうという表現を汲み取る作業をしなければなりませんでした。彼ら同士ならば、自然に心を通じ合えたのでしょう。でも、日本人にはどのように表現したらよいか、彼らは迷っていたに違いありません。身をよじらせて、恥ずかしそうに、もの言いたげな表情をうかべる彼らに、単なる「ありがとう」の一言より、ずっと重いものを感じたのです。ヘブル語にもギリシャ語にも、神のみ心を余すことなく伝える能力は備わっていなかったのです。ですから、神の普遍的愛と普遍的救いの道を表す聖書は、ヘブル語とギリシャ語の文化の制限内でしか表現できていないのです。

 もうひとつ、かなり卑近な例で説明してみましょう。荒野で40年間生活していたイスラエルには、荒野での文化とでも言うべきものが発生していました。その中で人々は、毎日排泄行為を繰りかえさなければならなかったのですが、その方法についても律法で定められていました。土に穴を掘って排泄をし、その後はきちっと土を被せて埋めておくということです。この律法は現代生活を営むほとんどの日本人には無意味ですし、適用もできません。あくまでも、小さな民族の特殊事情に制約されているからです。ただし、現代でもそのまま適用可能な場所と時があることでしょう。また、その特殊性の背後にある普遍的な原則は、現代のどこにおいても適用できるものです。

 

 私たちが読み取らなければならないのは、この普遍的な原則に当たるものです。それをきちっと理解した上で、現代の私たちの異なった文化に適用することが肝心なのです。そのような現代には合わない律法でも無視してはならず、そのまま適用してもならず、そこに隠れている原則を見出して、その原則を現代の私たちに適用するのです。そうするならば、多くの場合、現代の日本文化に敵対していない、またする必要もない、多くの聖書の教えが見えてくるはずです。六本木の真ん中で、土に穴を掘って排泄行為をしてはならず、することもできません。しかし、その時代遅れの律法の精神である清潔、公衆衛生、人に嫌な思いをさせない、迷惑をかけないという基本は今も通用するものであり、互いに愛し合うという原則は普遍なのです。私たちが必要とするのは、この精神、基本、原則なのです。

 

まとめ

 日本の宣教は困難を極めています。最大の理由は、日本人がキリスト教に躓いてきたからです。日本人が躓いたのはキリスト教であって、キリストでも、聖書でも、福音でもありません。そこまで到達する前に、「キリスト教という文化」に躓いたのです。キリスト教は純粋なキリストの教えではなく、混じり物のはいったキリストの教えでした。純粋な聖書の教えではなく、混入物がたくさん入れられた聖書の教えでした。純粋な福音ではなく、日本に到達するまで、途中でいろいろなものをくっ付けて来てしまった福音です。

 

 もっとも異臭を放ったのは、権力と手を組み、植民地主義の手先になったキリスト教でした。人種的優越感や文化的優越感に色づけられたキリスト教も問題でした。個人主義の添加物を加えられたキリスト教は、純粋なキリスト教と見分けが付かないほどになって、日本人の反感を買いました。日本人はこれらの異物に躓いてきたのです。ほとんど、福音自体、聖書自体、キリストご自身に躓く機会さえ与えなかったのです。そして、宣教師たちも日本人伝道者たちも、日本人がこのような異物に躓いてきたということに気づかずに、いまだに、異物の入ったキリスト教という文化を移植しようと努力をし続けているのです。歴史も実情もキリスト教に対する受容度もまったく違う、他国の伝道の成功例、他国の教会の成長例を、いまだに、一所懸命になって日本に持ち込もうとしているのです。

 

 今私たちにできることは、文化と絶縁した福音、文化から隔離された福音、文化と峻別された福音、すなわち普遍的福音、混じりけのない福音を理解することです。輸入されたキリスト教から、文化的異物を取り除くことです。その上で、その純粋な福音を日本に持ち込むことです。そのとき、私たちは純粋な福音の種を日本の文化という土壌に蒔くことになるのです。そして、種が自然に育ち、日本文化になじんでいくのを待つのです。

 

 これらの作業は、具体的には大変複雑で、非常に難しいものとなるでしょう。しかし、福音を日本に根付かせるためには、どうしても成し遂げなければならないことです。自分たちが聞いてきた福音、自分たちが受け容れてきたキリスト教が、果たして、聖書が教える福音そのものであるかどうか、聖書が教えているキリストの教えそのものであるかどうか、もう一度しっかりと見直し、検証し直しましょう。自分たちの聖書の読み方が、自分が聞かされてきたキリスト教の教えに都合よく合わせた読み方ではないか、自分が受け容れてきた西欧的福音の色眼鏡を通した読み方ではないか、良く考えながら改めて聖書を読んでみましょう。

 

 さらに、聖書の律法、教え、物語などなどが、ユダヤ文化、グレコ・ローマン文化に適応された教えではないかと注意をおこたらず、それらの中に必ずある原則的な教えや律法、すなわち文化を越えた普遍的ものを見出す努力を重ねましょう。すると必然的に、日本人であるわたしたちは、日本人としての感覚、あるいは色眼鏡を通して聖書を読むことになるでしょう。それでもいいのです。そのようにして日本人として読んだ読み方と理解を、改めて西欧的な理解と比較して見るのです。あるいは可能ならば、他のアジア的な読み方、アフリカ的な読み方、ラテン・アメリカ的な読み方と比較してみるのも良いでしょう。そうすることによって、西欧的なキリスト教理解から解放された、より普遍的な聖書の原則に到達するにちがいありません。その聖書の原則を、現在の日本文化、日本人の生き方、日本人の必要に当てはめるのです。日本の文化の良いところは大いに生かし、伸ばしていくのです。聖書の教えと合わないものは、ゆっくりと忍耐を持って教えていくのです。必要なのは、聖書の文化ではなく、聖書の救いです。救いがあって文化が続くのです。

 

 古い、古い、なじみ深い話で説明しましょう。酒を飲まずタバコを吸わないピューリタン的キリスト教を輸入し、「酒飲むなタバコ吸うな」と未信者に説教するキリスト教になるのではなく、キリストの救いを語る者になりましょう。救いにあずかった者の恵みによる生き方、聖霊の力により頼んだ生き方を教え、勧め、励ましましょう。そうすれば、酔っ払いのクリスチャンは少なくなり、ニコチン中毒のクリスチャンも(もしもいるならば)激減するのです。酒タバコをやめなければクリスチャンになれないのではなく、クリスチャンになれば、酒もタバコもやめられる可能性が非常に高くなるのです。「酒タバコ飲まぬ吸わぬの耶蘇教はあぁ面倒な宗旨なり」と揶揄されないクリスチャンになりましょう。

 

 それと同時に、歴史の上で西欧キリスト教が犯し続けてきた、また犯し続けている数々の罪を、積極的に認めましょう。そして、自分たちがそのようなキリスト教信徒であったことを恥じ、悔い改めましょう。その上で、現在の自分たちはそのようなキリスト教を拒絶して、聖書の教えるキリストを信じるクリスチャンになろうとしていることを、自信を持って語っていきましょう。わたしたちを救ってくださったのは、キリスト教ではなくキリストだからです。そしてそのキリストを証していくのです。