神に愛された日本
日本人は「悪い民族」ではない
ポール・クローデル大使。「私がどうしても滅びてほしく
ない一つの民族があります。それは日本人です」
[聖書テキスト]
「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。
主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである。
あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。あなたがたは在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったからである」(申命記一〇・一二~一九)
[メッセージ]
今日はこの箇所から、「神に愛された人々」と題して御一緒に恵みを受けたいと思います。
太平洋戦争のまっただ中、日本が敗戦濃厚だった頃に、フランスのパリで晩餐会が開かれました。ここに出席した方に、もと駐日フランス大使のポール・クローデルさんという方がいました。彼はそこでこうスピーチしました。
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族はありません」
さらにこう言いました。
「日本人は貧しい。しかし高貴である」
当時フランスはドイツと戦っていて、日本はドイツの同盟国でしたから、フランスから見れば日本は敵国でした。でも、クローデルさんは、日本はどうしても滅びてほしくないと語ったというのです。彼はかつて六年間日本に滞在していましたが、日本人と触れ合うことで、気高さを感じたと言います。
一九二三年に関東大震災が起こり、東京にあったフランス大使館も焼けてしまったそうです。その時クローデル大使はこういう文章を残しました。
「地震の日の夜、私が東京と横浜の間を長時間歩いているとき、あるいは生存者たちが群れ集まった巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平一つ聞かなかった。人々はまるで両親が発狂してしまった良家の子供たちのように、悲しみに満ちた諦めの気持ちを抱いていた。廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も『助けてくれ! こっちだ』というような差し迫った呼び声ではなかった。『どうぞ、どうぞ、どうぞ、お願いします』という慎ましい懇願の声だったのである」。
地震のあとの日本人たちの姿を見て、感銘を受けたと言うのです。自分の身に降りかかった不幸を淡々と受け止めて、どんな困難な時にも、ものを頼む時の礼節を忘れない姿勢に心を打たれたという。
クローデル大使は、関東大震災後の
日本人の姿をみて感銘を受けた
日本人は神に愛された
私はクローデルさんが書いたこうした文章などを読むとき、日本人の先祖たちは本当に神様に愛された人たちであったと、感じます。聖書の一五節にこう書いてあります。
「主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである」(申命記一〇・一五)。
これはもともと、イスラエルの父祖たちに対して言われたことです。父祖たちは神様に愛された、だからあなたがた子孫も選ばれたのだと、イスラエル民族に語っているのです。
しかし、このことはイスラエル民族だけではなく、私たちにも言えることなのです。私たちはこの日本で、クリスチャンとなるべく神様に選ばれました。聖書には、
「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように」(1ペテ一・二)
とあります。私たちは、イエス・キリストに従うように神に選ばれた人々である、ということです。そして私たちの先祖もまた、神様に愛された人々であると私は信ずるのです。そうでなければ、日本はここまでやってこれなかったし、クローデルに高貴と言われるような生き方は出来なかったと思います。八木秀次さんという方が書いた『国民の思想』という本があります。その中に次のような話が載っています。
「明治四三年の春、山口県の沖合で日本の潜水艦が演習をしていました。午前十時、潜航を始めると、まもなく艇に故障が起こって、海水が入り込み、艇は一四名の乗員を閉じこめたまま、海の底深く沈んで行きました。艇長の海軍大尉・佐久間勉は、すぐに部下に命じて、海水の入るのを防がせ、入った海水をできるだけ出してしまうようにさせました。しかし、電灯は消えて、艇内は暗く、その上、動力を使うこともできなくなっていたので、ただ手押しポンプを頼りに、必死の働きを続けさせました。
どうしても、艇は浮き上がりません。母艦を見つけて、助けに来るかも知れないという、かすかな望みはありましたが、海上との連絡も絶えているので、それをあてにすることはできません。そのうちに、悪いガスが溜まって、息が次第に苦しくなって来ました。部下は、一人二人と倒れて行きます。もうこれまでと覚悟した艇長は、司令塔の覗き孔から洩れて来るかすかな光を頼りに、鉛筆で手帳に、遺言を書きつけました。
遺書には、第一に、天皇陛下の艇を沈め、部下を死なせるようになった罪を詫び、乗員一同が、よく職分を守ったことを述べ、またこの思いがけない出来事のために、潜水艇の発達を妨げるようなことがあってはならないと考えて、特に沈んだ原因や、その様子を、詳しく記してあります。次に、部下の遺族についての願いを述べ、上官・先輩・恩師の名を書き連ねて別れを告げ、最後に『一二時四〇分』と、書いてありました。
艇が引き揚げられた時には、艇長以下一四名の乗員が最後まで職分を守って、できる限りの力を尽くした様子が、ありありと残っていました。遺言は、この時、艇長の上着から取り出されたのでした」。
佐久間勉艦長。その遺書は世界中に感銘を与えた。
これは一九一〇年に実際に起きた事故です。そのとき国民は、潜水艦が引き揚げられれば、そこにはきっと阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていて、他人を押しのけてでも逃れようとして死んだ光景があるのではないか、と不安を持っていました。
ところが潜水艦の艦内を調べてみると、全員が整然として死についていた状況が明らかになったのです。当時三〇歳の佐久間艇長は、司令塔にいて、他の一三人の乗務員は全員、本来の位置についたまま絶命していました。
これを知った人々の気持ちは、そのとき不安から感嘆に変わったのです。この事件が全国に知られるや否や、感動の輪は全国民に広がりました。佐久間艇長の上着のポケットから発見された黒表紙の手帳には、三九ページ、九七五字からなる鉛筆書きの遺書が見つかり、公開されました。この時、文学者の夏目漱石も非常に感激を受けたそうです。彼は佐久間艇長の遺書の写真を見て感銘を受け、ある雑誌に文章を書きました。それについて、『国民の思想』の中にこう書かれています。
「漱石はこの中で、かつてイギリスの潜航艇で同様の事故が起きたとき、艇員が争って死を逃れようとする一念から、一カ所にかたまって水明かりの洩れる窓の下に折り重なったまま死んでいたという事実を紹介しながら、人間にとって本能がいかに義務心より強いかを証明するに足るべき、有力な出来事であると述べる」。
さらにこうあります。
「佐久間艇長らが死の淵に至るまで乱れずに職務を全うしたという、人間としての崇高さ(ヒロイック)をたたえたのである」。
こうした過去の日本人たちの姿を思う時に、本当に日本人は神様に愛された人々であると感じるのは、私だけでしょうか。もしそうでなければ、このような生き方は出来なかったに違いありません。
日本はダメな民族ではない
かつて私は学校で、日本人というのはダメな民族であると教わることが、多かったように思います。教会でも、日本人の短所を聞くことは多かったけれども、長所を聞くことは少なかったように思います。こうした教え方というのは、じつは非常に偏った教え方なのです。日本人の父祖たちは神様に愛され、神の愛を一杯受けた人々だったのです。
男性だけではなくて、女性もそうでした。日本人の女性たちがたいへん素晴らしかったことは、昔の色々な文書を読むと分かります。かつて、通商条約を日本で結ぶために来日したプロシアの使節団で、オイレンブルクさんという方の一行が江戸を訪ねたことがありました。彼らは植木屋で休憩を取ったのですが、
「この庭園で最も美しい花はその家の娘だった」
と書いています。また『国民の思想』にはこうあります。
「彼女はまれにみる品格と愛嬌ある女性で、われわれが来たときは、質素な不断着で園芸の仕事をしていたが、仕事をやめてわれわれにお茶を出してくれた。控え目でしかも親切な物腰に、われわれの一行はみな魅せられてしまった」。
さらに、
「私達にお茶を出した若い女の子は、私達が話しかけるといつも可愛らしく顔を赤らめるのであったが、この若い女の子に、たちまち私達一行の若い人々は心を奪われ、彼らを発たせるのに非常に苦労した」
また、プロシア艦隊の艦長ヴェルナーも、
「日本女性はすべてこぎれいでさっぱりしており、平均的にかわいらしいので、日本国土の全体に惚れこんでしまいそうだ」
と感じたといいます。欧米人の目に映った当時の日本女性は、必ずしも造形的な意味で美しかったわけではありません。イギリス人ティリーは、日本の女性は厳密な意味で美しいのではなく、感じがいいのだと指摘しています。昔の日本の女性は、大和撫子(やまとなでしこ)という言葉で呼ばれました。こうやって、日本に来た外国人がいろいろと、日本女性の素晴らしさを書き立てたのです。そのため、そうした文章を外国で読んだ外国人たちが、わざわざ日本にまでやって来て、日本の女性を妻にしたいと、嫁さん探しをやったことがかなりあったのですよ。
日本人女性は、家庭でも大きな存在感を持っていました。イギリス人写真家ポンティングは、日本の女性についてこう感じたそうです。
「家庭では、『彼女は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、それを極めて巧妙に行なっているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている』」。
またカッテンディーゲはこう言いました。
「『日本では婦人は、他の東洋諸国と違って、一般に丁寧に扱われ、女性の当然受くべき名誉を与えられている』。ヨーロッパの婦人のように出しゃばることはなく、男よりへりくだった立場にあまんじているが、『だからといって、決して軽蔑されているのではない』」。
また、一八八八年(明治二一)から翌年にかけて華族女学校で教えたアメリカ人女性アリス・ベーコンは、
「日本人の中で長年暮した外国人は、美の基準が気づかぬうちに変わってしまい、小さくて穏やかで控え目で優美な日本女性の中におくと、自分の同胞の女性が優美さに欠け、荒々しく攻撃的で不様に見えるようになる」
と記しています。なぜ日本人が、このような品格や気質を身につけることが出来たのでしょうか。それは、日本人が神様に愛されてきたからであり、神様によって特別な使命を与えられてきたからではないでしょうか。
死人に対する温情
二〇世紀のはじめに、日本とロシアが戦った日露戦争がありました。
この戦争で、日本人もたくさん死にましたが、ロシア兵もたくさん死にました。この時日本人は、まず死んだロシア兵のために慰霊碑(忠魂碑)を建て、その二年後に日本人の死者のために慰霊碑を建てました。
日本が、死んだロシア兵らのために
ロシアに建てた忠魂碑。
私は世界の色々な文化を調べましたが、このような文化を持っているのは日本以外には知りません。非常に特殊な文化であると思います。一九節を読んでみますとこう書いてあります。
「あなたがたは在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったからである」(申命一〇・一九)。
古代イスラエル人は、かつてエジプトの奴隷となっていました。それで在留異国人であることの痛みを知っているのだから、自分の国にいる在留異国人を愛しなさいと、教えられているわけです。日本人の中にも、このような民族差別をしない伝統があることを思うときに、これは本当に神の恵みであると思います。この伝統は今も生きていると考えます。以前、日本と韓国の間で、サッカーのワールドカップが共同開催されました。日本は先に負けて、韓国は残りましたが、日本は韓国を熱心に応援しました。
逆だったらどうだったろうかと、思いますね。その時の応援に韓国人は戸惑ったそうです。
中国の杭州に、岳飛という中国人の墓があります。この人は、国を愛して死んでいった有名な軍人です。岳飛は、時の総理大臣であった秦檜(しんかい)という人に陥れられて、獄中で死んでしまいます。そのお墓に行くと、日本人には絶対に考えられないような光景が出くわします。墓に行く沿道の脇に、後ろ手で縛られてひざまずいた状態の秦檜夫妻の像があるのです。
秦檜夫妻の像。参拝者たちはツバを吐きかける。
何のためにあるのか。それは参拝者たちがこの夫妻の像にツバを吐きかけるためにある。日本人では絶対に考えられないことです。中国では、悪人は死んでも未来永劫、悪人のままなのです。たとえば、中国で父親の仇を打つために、何年も苦労した末、ついに仇を探し出して、そこへ行ったとしましょう。ところが相手がすでに死んでいたというような場合に、中国人はどうするか。相手の墓を暴いて死体をムチ打つのです。そうしたことが、中国の昔の本にはたくさん出てきます。これも日本人には考えられないことですね。
つまり、死んだ敵兵のために慰霊碑を建てたという出来事は、中国や韓国からきたものではなく、日本人の父祖たちが伝えた文化なのです。この文化は、ユダヤ人と同様に、神様に愛された日本人としての文化なのです。一五節にこうあります。
「主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである」(申命記一〇・一五)。
皆さんの先祖たちは、神様に愛された人々なのです。一七節から一九節を、御一緒に読みたいと思います。
「あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。あなたがたは在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったからである」(申命一〇・一七~一九)
在留異国人を愛した日本人
日露戦争の際に、ロシア兵たちがたくさん日本に捕虜になりました。当時イギリス人の写真家ポンティングという人が、捕虜収容所に来て、ロシアの傷病兵たちが日本人にどのように扱われているかを見ました。その時この写真家は、非常に感銘を受けました。彼はこう報告しました。
「日本の看護婦こそ、まさに慈愛に溢れた救いの女神だと、心底から感じた」
「松山で、ロシア兵たちは優しい日本の看護婦に限りない称賛を捧げた。寝たきりの患者が、可愛らしい守護天使の動作の一つ一つを目で追う様子は、明瞭で単純な事実を物語っていた。何人かの勇士が病床を離れるまでに、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである。日本の女性は賢く、強く、自立心があり、しかも優しく、憐れみ深く、親切で、言い換えれば、寛容と優しさと慈悲心を備えた救いの女神そのものである」
ロシア兵は日本人にとって敵兵でしたが、日本の女性の看護婦さんたちは、彼等を真心こめて看病したのです。まさに彼女たちは「白衣の天使」たちに見えた。このように私たちの先祖は、聖書にある神様の教えに合致した生活を送っていました。神様の豊かな恵みが、不思議にもこの日本という国に働いていたことを思わされます。一七節に、「かたよって愛することなく」とあります。敵であろうと味方であろうと、神様は愛するお方である。だから、あなた方もそのような愛を持ちなさい、と教えられています。神様は、かたより愛することのないお方です。日本人も、かたよって愛することをしなかった。そうした日本人の先祖の姿をみるとき、神様は日本人を豊かに祝福してくださったことを知ります。
日露戦争の時の看護婦
かつて日本と韓国との間で、条約に基づいて日韓併合というものがありました(一九一〇年)。韓国(朝鮮)と日本が一つになった時代です。この時の韓国の総理大臣は李完用という人でした。しかし今日、韓国のどこを探しても、李完用の墓はありません。もちろん、子孫が内緒でどこかに作っているのでしょうが、公の墓はどこにもありません。
なぜかというと、もし墓があったら、暴かれて死体をムチ打たれてしまうからです。中国や韓国のこのような文化を考える時、日本の首相が靖国神社を参拝する際に、なぜ彼らがあれほど抗議するのかが分かってきます。
日本人にとっては、死んだ人間に良い事があっても悪い事があっても、弔うのは当然であるという考えがあります。私はクリスチャンとして、神社参拝をどうこう言うつもりはありませんが、しかし死者を弔うのは当然であると思っています。なぜなら、神様はかたよって愛することのないお方であるからです。イエス様は、善人にも悪人にも太陽を昇らせ、善人にも悪人にも雨を降らせてくださるお方が神様だと、言われました。神様はかたよって愛することのないお方。日本人の先祖が神様に愛されたのと同じように、子孫である皆さんも神様に愛されているのです。一五節にこうあります。
「そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである」(申命記一〇・一五)。
クリスチャンとしての使命
皆さんは、クリスチャンになるべく神様に選ばれました。それは皆さんが神様に愛されただけでなく、皆さんの先祖も神様に愛されたからです。日本人のクリスチャンは、数の上では少ないですが、日本や世界に対して与えた影響は非常に大きいものがあります。
国際連盟の事務局次長だった新渡戸稲造先生は、クリスチャンでありました。また世界の医学を大きく発展させた野口英世も、クリスチャンでした。私はその郷里で、彼の名と受洗の日付の入った教会の受洗者名簿を見ました。
野口英世も洗礼を受けたクリスチャンだった
歴代の日本の総理大臣の中にも、クリスチャンがいます。現在も日本の経済界・音楽・医学・美術・科学など、色々な分野においてクリスチャンが活躍しています。皆さんがクリスチャンであるということは、神様に愛されているとともに、ある使命が与えられているのです。神様があなたに期待していらっしゃることがあります。一二、一三節を御一緒に読んでみましょう。
「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである」(申命一〇・一二~一三)
主が求めておられることは、主にお仕えすることであると、モーセは言っています。私たちが神様にお仕えするならば、なすべきことは示されます。自分が置かれた状況・家庭・職場などに神様が導かれたのには、何か必ず意味があるのです。その持ち場をしっかりと守り、神様に仕えて生きるならば、神様はあなたになすべきことを、必ず示して下さいます。一四節には、
「見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである」
とあります。わたしたちはこの世界を一つにするために、生かされてるのです。この世界は本来キリストのものなのです。この世界をキリストにお返しするために、生かされている。そして私たちが神様に愛されているのは、愛するためなのです。
今から一〇年位前になりますが、東京でオウム真理教が、地下鉄サリン事件を起こしました。当時、産経新聞にこういう話が載りました。オウム真理教の信者を息子に持つ母親は、息子が家族を捨てて出家を希望していると知って、嘆いて彼に聞いたのです。
「今の生活の何が不満なの? 何でも買ってあげて、好きな事をさせてあげて、何不自由なく育ててきたのに」
しかし、東大卒の当時三〇代前半の息子は、オウム真理教に入信した理由を、こう語ったといいます。
「親は、僕には干渉はしても、男女のあり方とは何か、人間が生きるとはどういうことか、本当に知りたいことは何も教えてくれなかった。そんな時オウムに出会って、これだと思った」
私たちの周囲には、人生の目的も意味も分からずに歩んでいる人々が、大勢いるのではないでしょうか。心の空洞を感じ、またその空洞を埋められない人たちが、たくさんいるのではないでしょうか。こういう中で、あなたに出来ることがあるはずです。あなたに神様が期待しておられることが、あるのではないでしょうか。
かつて日本人は清らかで美しかった
最後に、一つの詩を紹介してメッセージを終わりたいと思います。マレーシア連邦の元上院議員のラジャー・ダト・ノンチック氏の詩です。ノンチック氏は太平洋戦争中に、日本が東南アジアに進出した時代を体験しました。ノンチック氏は、『かつて日本人は清らかで美しかった』という詩を書いています。こう書いています。
「かつて日本人は清らかで、美しかった。かつて日本人は親切で、こころ豊かだった。アジアの国の誰にでも、自分のことのように一生懸命つくしてくれた。
何千人もの人のなかには、少しは変な人もいたし、おこりんぼや、わがままな人もいた。自分の考えをおしつけて、いばってばかりいる人だって、いなかったわけじゃない。でも、その頃の日本人は、そんな少しのいやなことや、不愉快さを越えて、おおらかで、まじめで、希望に満ちて明るかった。
ところが戦後の日本人は、自分たち日本人のことを、悪者だと思い込まされた。学校でも、ジャーナリズムも、そうだとしか教えなかったから、まじめに、自分たちの祖父や先輩は悪いことばかりした、残酷非情な、ひどい人たちだったと思っているようだ。だから、アジアの国に行ったら、ひたすらペコペコあやまって、私たちはそんなことはいたしませんと、言えばよいと思っている。そのくせ、経済力がついてきて、技術が向上してくると、自分の国や自分までがえらいと思うようになってきて、うわべや口先では、済まなかった悪かったと言いながら、ひとりよがりの、自分本位の、えらそうな態度をする。
そんな今の日本人が心配だ。
本当に、どうなっちまったんだろう。日本人はそんなはずじゃなかったのに。本当の日本人を知っているわたしたちは、今はいつも歯がゆくて、くやしい思いをする。自分のことや、自分の会社の利益ばかり考えて、こせこせと、身勝手な行動ばかりしている。ヒョロヒョロの日本人は、これが本当の日本人なのだろうか。
自分たちだけで集まっては、自分たちだけで楽しみや、ぜいたくにふけりながら、自分がお世話になって住んでいる、自分の会社が仕事をしている、その国と国民のことをさげすんだ目でみたり、バカにしたりする。こんな人たちと、本当に仲良よくしてゆけるだろうか。どうして、どうして日本人は、こんなになってしまったんだ」
ノンチック氏は、日本の現状を嘆いているのです。そういう中で、私たちが神様に選ばれて、クリスチャンになったことには、大きな意味があるはずです。
日本人の本来の姿を取り戻すためにも、今あなたは、神様に愛されるクリスチャンとして生かされているのです。一五節をもう一度読みます。
「主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた」
私たちは神様を見上げて、もう一度自分がクリスチャンであることの意味を、また日本人であることの意味をかみしめて生きましょう。
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