少年時代のイエスから学べること

ルカ伝2章40-52節

 

 今朝は2010年最後の礼拝です。早いもので21世紀も10年目が終わろうとしています。時代の流れの速さを感じさせられます。この流れは、どこに行こうとしているのか誰も予想できないほどです。また、それは人間の力ではもはや制御不能な津波のようです。

 このような時代にあって、聖書を読む意義とは、何なのでしょうか?それは、そこにどのような時代にあっても、揺るぐことのない真理、人の信頼を裏切らない真理があるからです。今日取り上げるルカ伝の後半の箇所は、12歳のイエスの様子が書かれています。少年時代のイエスを通して、人間の人格に何が必須なのかを教えられるのです。そして、翻って、現代を見てみるときに、悩みや苦しみの多くが、これが欠けているために生じたのではないか、と思わされることがあります。そういう意味で、少年時代のイエスの記事は、本来の幸せな人間のあり方を知る上で、大変に貴重な箇所だと言えます。

(1)成長の二つの要素

自然的な成長

幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。              ルカ2:40

 イエスの少年時代の様子が書かれた記事は、ここだけなのです。ですから、成長過程を知る上での、唯一の資料です。まず、40節をご覧ください。ここに、イエスの成長過程が簡潔に描かれています。<幼子>(パイディオン)とは、生まれたての子どもから思春期以前の子どもを指す言葉です。ここには、健全に成長するための二つの要素が書かれています。すなわち、自然の成長過程と<神の恵み(カリス)>なのです。

 先ず、これらの両者が強調されていることに気付く必要があります。両者ともに、子どもの成長に大きな影響を与えるからです。自然の成長過程においては、3歳までの親子関係のあり方が、一生にわたって影響をすると、現在では理解されるようになりました。イエスの時代においては、親と子の絆は濃密でしたから、この時期における障害が起こることは、比較的少なかったように思えます。子どもは普通に親から愛され、躾けられ、成熟した大人に育っていきました。聖書の教えは、そのように健全に育った大人を前提にしているように思えます。ですから、聖書の教えが人の人格に受肉するためには、「心の傷」の癒しが必須となるのです。現代は、忙しい生活の中で、親子の絆を築くことが難しくなっています。その結果として、乳幼児期において、心に大きな傷を負って成人する人が多くなりました。心の傷は、最初の段階にまで遡るほど深くなると言われています(漸成原理)。ですから、「心の傷」の癒しを避けて、信仰の成長を語ることができない時代に生きていることを覚えましょう。

神の恵み

そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。  マルコ10:16

 成長の第二の要素は、<神の恵み>ですが、この重要性は一般にはあまり認識されないのです。しかし、どのような理想的な環境を揃えてあげても、<神の恵み>が必要なのです。なぜならば、人生には人間の力で制御できない諸々の出来事と紙一重で営まれるからです。漁師の仕事は危険と隣りあわせで、「板子一枚下は地獄」と言われますが、それは人生とて同じなのです。

 マルコ10:16をご覧ください。イエスの弟子たちは、子どもたちをイエスから遠ざけようとしました。子どもは伝道の邪魔だと考えたのかも知れません。しかし、そのような弟子たちを叱って、イエスは<子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された>のです。これは、子どもたちを一人ずつ次々に祝福し続けておられたことを意味します(未完了過去形)。なぜ、これほどに子どもたちの祝福にこだわったのでしょうか?それがあるのおないのとでは、全く異なる道を歩むことになるからです。 

(2)少年イエスの自己認識

12歳のイエス

イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、…
                 ルカ2:42

 次に、ルカ2:42-43をご覧ください。ここに、思春期が始まる年代である12歳のイエスについての描写があります。12歳というのは、ユダヤ人にとっては、少年時代の最後の歳なのです。13歳になると、「バル・ミツバ」(戒律の子)と呼ばれ、成人として迎え入れられたからです。成人となったユダヤ人男子は年に一回、過越の祭りにエルサレム詣でをしました。12歳の男子は、その予行練習として、エルサレムての礼拝に参加することになっていたのです。イエスもそのような理由で、エルサレムに詣でる両親に同行されたと思われます。

祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。  ルカ2:43

 ところが、両親が<帰路についた>ときに、<少年イエスはエルサレムにとどまっておられた>のです。両親は、一緒に帰るグループの中にイエスがおられるのだろうと思い込んでいました。ところが、<一日の道のりを行った>(44節)後で、ご両親は、イエスがおられないことに気が付いたのです。随分と、のんびりした、牧歌的な光景ですね。

 そして、<イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した>(45節)のです。<ようやく三日の後に>(46節)、イエスを見つけることができました。その時に、両親はイエスの意外な一面を見せ付けられることになったのです。

アイデンティティは個人的な出来事

両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」    ルカ2:48

 48節をご覧ください。このマリヤの言葉は、息子を心配する普通の母親の口から出た言葉です。しかし、<両親は彼を見て驚き>という句に注目する必要があると思います。<驚き>(エクプレーソー)とは、「びっくりする、驚愕する、仰天する;(たまげて)呆然となる」という意味なのです。彼らは思いがけない場面で息子を発見した驚きと、まったく期待していなかった息子の姿に驚いたのではないでしょうか?

 すなわち、エルサレムの高名なラビたちに囲まれて、彼らと堂々と問答をしているイエスの姿は、両親が期待しているものではありませんでした。大工の仕事を継ぐことを願う親としては、その期待が裏切られる予感がするシーンではなかったでしょうか?大工としての腕前を披露したのなら、彼らにとっては大きな喜びであったのでしょう。これで、家も暮らしも安泰であったはずです。しかし、彼らが期待も予想もしない領域での能力を発揮したことは、不吉な未来図を予感するような、まったくの戸惑いであったに違いありません。

するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」          ルカ2:49

 それに対するイエスの言葉が49節に書かれています。両親にとっては理解に苦しむ発言でも、ここには、少年時代のイエスの自己認識を伺う、大変に重要な箇所なのです。イエスの発言のポイントは、地上の父親とは別の父親を<自分の父>と呼び、自分がその子であるという明確な認識があったということです。三位一体の神の第二位格の自己認識の表明とも言えます。

 このような少年イエスの認識をどのように理解すればよいのでしょうか?イエス様に特有な認識であることは、間違いないことですが、すべての人間が共有すべき側面もあることを、これから見ていきましょう。先ず、イエスにだけ特有な認識という側面を考えてみましょう。

 少年時代のイエスの自己認識は、ルカ伝2章以外にはどこにも書いてありません。しかし、それは少年時代以前に、おそらく意識が芽生えると同時に現れ、生涯持続したものと考えられます。この自己認識をさらに見てみましょう。

もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。     ヨハネ8:24

 ヨハネ8:24をご覧ください。これは、30歳を過ぎたイエスがユダヤ人と論争する際に語られた言葉なのです。<わたしのことを信じなければ>という語句に注目しましょう。<わたしのこと>(エゴー エイミ)は、出エジプト記3:14の<わたしはある>という神の御名と関連しています。70人訳聖書は、<わたしはある>というところを“エゴー エイミ”と訳しており、ヨハネ伝では、これを受けていると思われます。すなわち、イエスはご自分を、旧約聖書の中で、<わたしはある>という御名で現れた神であると認識し、そのことを信じることが、個人の救いと関連しているのだと教えられたのです。

 イエスは、このような極めて特異であり、しかも強烈な自己認識を内に秘めながら、あるいは、ある時にはそれをほのめかしながら、人生を生きていかれたのです。実際、このような自己認識を持ちながら、正気でいられる人は誰もいません。このような自己認識を持った人は例外なく、危険な妄想癖に取り憑かれた狂人か重大な犯罪者として、歴史に汚点を残してきたのです。イエスがこのような自己認識を持ちながら、極めて健全な精神の持ち主であられたのは、まさにその自己認識が真実であること、すなわち、まさしく真正な「神の子」であったからに他ならないのです。

(3)アイデンティティと社会性

イエスのへりくだり

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。  ピリピ2:6-7

 イエスのような自己認識を持った人は必ず、強烈な個性となって暴走するものなのです。しかし、イエスの精神は、多くの人から好意をもたれるほどに、極めて安定していて、まったく正常であったのです。なぜでしょうか。それには、二つの理由があると思われます。第一は、徹底的なへりくだりなのです。ピリピ2:6-7をご覧ください。<神の御姿モルフェー>とは、神としての「内的で本質的なものを含む姿」(織田昭小辞典)を指しています。それなのに、<神のあり方>(神と等しいこと)を放棄されて、<人間と同じようになられた>のです。

 神が人となるという決断は、人間になる以前になされ、さらに、人間として意識的に生活するようになってからも、絶えず意識的になされ続けたのです。これが「キリストのへりくだり」なのです。このへりくだりがあったからこそ、イエスにおいては、強固なアイデンティティが暴走して、社会性のバランスが失われることがなかったのです。

それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。  ルカ2:51

 51節をご覧ください。ここには、特異な自己認識を表明された直後の様子が書かれています。すなわち、<イエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた>のです。「神の子」としてのアイデンティティと「人の子」としての生活が、イエスの人格において見事に調和しているのです。

 イエスの社会性

そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 ルカ2:46

 イエスにおいて、アイデンティティと社会性が調和していることを、さらに46節と47節から見てみましょう。まず、46節をご覧ください。イエスが<宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられ>たとありますが、教師の足元に座って教えを受けることは、当時の作法であっって、イエスは、それに従われたのです。

 このことから、少年時代のイエスは、当時の文化や慣習に従う生活をしておられたことが分かります。そうすることによってのみ、親子やユダヤ社会内での隣人とのコミュニケーションや信頼関係を育てることが可能になったのです。イエスは、「神の子」だからと言って、自らの希望通りにならなければ気がすまないタイプの方ではありませんでした。隣人とコミュニケーションする意義を十分にわきまえておられたのです。キリスト者も、イエスに倣って、隣人とのコミュニケーションや信頼関係を築くことをもっと学ぶ必要があるのではないでしょうか?そして、イエスの例が示すように、このことが可能になる鍵は、「へりくだり」であったことを覚えましょう。

聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。 ルカ2:47

 これまで、イエスが持っておられた社会性の調和の部分を見てきましたが、人の心を霊的な真理に目覚めさせるというダイナミックな面があることを、最後に見てみましょう。47節をご覧ください。ここには、<人々はみな、イエスの知恵(シュネシス;批判力、洞察力)と答え(アロクリシス;複数)に驚いていた>とあります。彼らの驚きは、「正気を失うほど驚いていた」(岩波訳)という、極めて強い驚きを指しているのです。「神の子」というイエス特有のアイデンティティが、調和的な社会性を背景にして、宗教の専門家をも驚かせるほどに「優れて深い洞察」によって表現されたのです。

 イエスは、「へりくだり」によって隣人とのコミュニケーションと信頼関係を築いた上で、「優れて深い洞察」によって人の心が霊的な真理に目覚めるようにされたのです。「優れて深い洞察」は、キリスト者の場合、聖書という「真理の泉」からどれだけ汲み取って、そこから神の恵みを自分が実際にいかに体験しているか、に掛かっていると思います。 

イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。 ルカ2:52

  最後に、52節をご覧ください。ここは、伝道生活以前のイエスの人生を総括するものと考えられます。<神と人とに愛された>というとことが大変に印象的ですね。福音書では、伝道生活において、パリサイ派や祭司たちと激しく対立するイエスの姿が大変に印象的に描かれています。しかし、個人としてのイエスは、人々に好感を与える方だったことは、上記のみことばから明らかなのです。

 ここで、まったく真逆のケースを考えてみましょう。真逆というのは、生きている場の脈絡(文化脈)をまったく無視して(自分勝手な、海賊的な振る舞い)、知恵のないお粗末な洞察をもって生きる人を考えて見ましょう。それは、他人を納得させるどころか、躓かせるものでしかありません。そのような人の証しは、他人の心の中で一分間の寿命もないどころか、反感を持たれることで終わることでしょう。それが、かつての私のケースでもあるのです。そのような反省を込めて、イエスの生き方を再学習をすることは、私たちの人生に大きな祝福をもたらすのです。 

 

 

http://www1.bbiq.jp/hakozaki-cec/PreachFile/2010y/101226.htm