弟子うイエス

- ヨハネの福音書13111-

シャローム宣教会

 

[ヨハネの福音書131] 「さて過越りのこのってのみもとにくべき自分たことをられたのでにいる自分のものをされたイエスはそのすところなくされた。」

 

Keyword; 自分」、「すところなくされた

 

はじめに

 

ヨハネの福音書13111までの瞑想においては131わたしの(my time)そのすところなくされたという部分げますイエスが弟子たちのわれた行為部分イエスの最後一週間弟子参照

 

1. 自分とは

 

+ ヨハネ131には、「わたしのmy time, とありますこのとはギリシャホーラ」ώραです以下聖書箇所にあるはすべてホーラ」ώρα使われています以下ヨハネ福音書におけるわたしの」、「イエスの引用箇所です。〔※〕

 

2:4 ・・わたしのはまだていません。」7:30そこで々はイエスをらえようとしたがしかしだれもイエスにをかけたはいなかったイエスのがまだていなかったからである。」

8:20・・しかしだれもイエスをらえなかったイエスのがまだていなかったからである。」

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12:23するとイエスはらにえられた。『栄光けるました。』」

12:27わたしのいでいるおうか。『このからわたしをおいください。』おうかいやこのためにこそわたしはこのったのです。」

13:1・・このってのみもとにくべき自分たことをられたので・・

16:32なさいあなたがたがらされてそれぞれ自分わたしひとります。」

17:1「『ましたあなたのがあなたの栄光わすためにこの栄光わしてください。』」

 

+ わす語彙、「クロノス」χρόνος(NT/54)カイロス」καιλός(NT/85)があります前者一般的期間意味します。「しばらくの時期などにいられています後者カイロスまった特定意味します

 

+ 旧約聖書詩篇3115にあるはあなたの御手にありますというLXXではカイロスされています伝道者31にあるでは何事まった時期がありすべてのみにはがあるというまった時期には、「クロノス」χρόνοςというギリシャ、「すべてのみにはがあるのには、「カイロス」καιλόςというギリシャてられています(いずれもLXX)そして28使われているはすべてカイロスです、「のなさることはすべて(カイロス)にかなってしい(11)のです

 

+ 新約ではマルコの福音書115イエスの宣教開始ったくなったとあるカイロス」καιλόςですまたエペソ110がついにちてじくカイロスいの歴史における最終段階到来意味しています

 

+ カイロス」καιλός新約聖書では全体85。「そのそのころ(収穫)時期(のしるし)などとされています

 

+ ところでヨハネ13:1にあるホーラ」ώρα本来時期とか季節とかを意味しますがここではある特定出来事ったのしるしを意味するようですこのことばの解釈がヨハネの福音書1621にあります。「むときにはそのたのでしみますしかしんでしまうとひとりのまれたびのためにもはやそのしい苦痛れてしまいます。」とあるようにしいものをすためのみのしみの出来事(しるし)としてヨハネはこのホーラ」ώρα使っているようです

 

+ わたしの」、あるいはイエスのとは栄光」、すなわちしい創造びの出来事みのしみのとしてイエスの受難意味していますまたそれはからよみがえられてげられ御父のもとにられるをもんでいます。「栄光同時、「暗闇最高潮になるでもありますまさにそのこそ御父御子栄光わすであり最高潮きあふれるですつの福音書においてイエスの生涯はいずれも受難頂点としてかれていますイエスの受難そして復活出来事つの福音書くの使って詳細記述しています

 

+ ヨハネの13、「わたしのはまだてないわれたイエスがここにってわたしのたことをられたのですそれはイエスにとって栄光でしたがたちの想像えた受難というみのしみらなければなりませんでした

 

2. るところことなくされた

 

+ 131においてわいたいもうつの語彙、「イエスはそのるところなくされた(新改訳)ということばですはこのことばにきな感銘けますヨハネの福音書において112まではいのち強調されていますが1317では強調されています(動詞名詞わせて31)

 

+ にいるご自分のものをされた(13:1)とあります。「自分のものとはイエスをれた(さな)意味します故意にイエスを拒絶したイスラエルの自分(ヨハネ1:11)表現されていますところで、「にいるご自分のものをされたとはどのようななのでしょうか

 

+ この131のフレーズのにある()るところなくされたエイス・テロス」εις τελος。「これは、「~まで、~わす前置詞エイス」εις最後実現わり意味するテロス」τέλοςです。「テロス」τέλοςはヨハネ福音書ではここだけにしかてきませんが新約聖書では40回使われています。「テロス」τελοςわるえる、~くすたすげる実現する完了する意味する動詞テレオー」τελέω名詞ですヨハネ福音書でイエスが十字架った完了した(19:30)はまにさこのテレオーです

 

+ 永井直治氏ヨハネによる福音書語句解によればここは自分れるをひしがとあるので在世最後るまでという意味むべきであるとしていますしかしフランシスコ会訳ではわりまでしていますがその註解としてイエスの生涯わりまで」、および徹底的という両方意味があるとしています

 

+ いろいろな聖書めてみると、「エイス・テロス」είς τέλοςには、「最後までやめないでけるという意味、「極限まで徹底的完全みにするという意味まれているとえることができますこのことの象徴的行為としてイエスの洗足行為える必要がありますなる洗足行為それ自体ではなくそれに象徴されるみがこれから展開していくということですこれこそイエスのいうわたしのなのだとります

 

+ 追加事項として(2015.3.13)

131そのすところなくされた原文ではらをみまでされたとなっています

 

●〔※〕例外的ヨハネ福音書では768わたしの(新改訳)されていますが原語ではカイロス」καιλοςしかも3回使われています。「わたしのκαιλοςはまだていませんしかしあなたがたのκαιλοςはいつでもているのです。」

 

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