神はいるのでしょうか?

神は存在するのでしょうか?神がいるという証拠はありますか?神の存在を示す、わかりやすい理由を以下に述べたいと思います。。。

Marilyn Adamson(マリリン アダムソン)著

-一度でいいから神の存在を示す証拠を簡単に誰かに見せてもらいたいと思いませんか? 誰からも強制されることなく、「ただ、信じなければいけないよ」という言葉でもなく。ここに神の存在を示すいくつかの理由を簡単に挙げてみたいと思います。

しかし、まずこのことを考えてください。もし、ある人が神がいる可能性を否定するなら、そこにどんな証拠があってもそれらは理屈づけられ、説明づけられて否定されてしまいます。それは人間が月面を歩いたと言う事実を信じない人にそれ以上の事を言っても彼らの考えが変わらないのと似ています。宇宙飛行士が月面を歩く写真やインタビュー、月の石、これらすべての証拠は、その人にとっては価値のないものです。それは人間が月に行くことが出来ない、という結論をその人がすでに出してしまったからなのです。

聖書は神の存在に関して、十分な証拠を見ていながら信じない人がいると言っています。(ローマ人への手紙1:19-21)これに対して、もし神がいるなら知りたいと思っている人に神は、「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。」(エレミヤ書29:13-14)と言っています。神の存在についての事実を見ていく前に、もし神が存在するなら、自分は神を知りたいか?と言う質問を自分自身に問いかけてみてください。ここにいくつかの考えるべきことがあります…

1. 神は存在するのでしょうか?地球の複雑さは、宇宙を創造し、今日もそれを支えている創造主の存在を示しています。

神がこの宇宙を創造したことを表すたくさんのものの中から、いくつかをここに挙げたいと思います。

地球…そのサイズは完璧です。地球のサイズとそれに見合う重力が地球の表面から約80キロの距離に広がる窒素と酸素の気体からなる薄い層を支えています。もし、地球が少しでも小さければ、水星がそうであるように、地球を取り巻く大気の状態はあり得ない状況です。もし、地球が少しでも大きければそれを取り巻く大気は木星がそうであるように遊離した水素を含んでしまうでしょう。地球は惑星の中で唯一、草花や動物、また人間が生きることができるちょうどよい大気の調合で造られていることで知られています。

-地球は太陽からちょうど良い距離に位置しています。私たちが直面する気温の変化は、だいたい--34℃から+49℃です。もし地球が少しでも太陽から離れた場所にあるなら、私たちは皆凍え死んでしまったでしょう。少しでも太陽に近ければ、焼け死んでしまったでしょう。太陽から地球までのわずかな距離のずれは、地上で生命が生きることを不可能にしたでしょう。地球は太陽からの完全な距離を保ちながら約107,823km/hの速さで太陽の周りを回っています。地球はまた地軸を中心に回転しながら地球の表面全体を毎日適切に暖めたり冷やしたりしています。

また、月も引力によって地球から適切な大きさと距離を保っています。月は重要な海の潮の干満と動きを引き起こし、海の水がよどまないよう、そして巨大な海から陸に水があふれ出ることがないようにしています。

水…色がなく、匂いもなく、味もなく、その上、生きている者は水なしでは生きられません。植物も動物も人間も殆ど水からなっています。(人間の身体の約3分の2は、水からできています。)なぜ、水の性質が生命に適しているのか見ていきましょう。

水は独特の高い沸点と氷点を持っています。水は私たちの身体を一定の36.9度に保ち、気温が変動する環境の中でも私たちが生きることができるようにさせてくれます。

-水はすべてのものを溶かします。水の特質は、多くの化学薬品、ミネラル、また栄養素が私たちの身体全体へ運ばれ、細かい血管にまで届けるところにあるのです。

水はまた化学的に中性です。水は運ぶ物質の構造を壊すことなく、食物や薬やミネラルを身体に吸収させ、使わせることを可能にします。

水は独特の圧力を持っています。植物の中に入った水は、重力に反して上へ流れることができ、高い木の上にまで栄養素を届けることができます。

水は上から下へ向かって凍っていき、浮くことができるので、魚は冬でも生きることができるのです。

地球の97パーセントの水は、海にあります。しかし地球では水から塩を取り除き、その水を地上の至る所にばらまくシステムがあります。蒸発作用は塩を残しながら海の水を取り上げ、雲を作ります。雲は風によって移動し、植物や動物、また人間の為に陸に水をまき散らします。それは地上の生命を保たせる浄化と供給のシステムで、リサイクルと再利用のシステムです。

2. 神は存在するのでしょうか?人間の脳の複雑さは、その背後にいるより高い知能の持ち主の存在を示しています。

人間の脳…それは驚くばかりの情報量を一度に処理することができます。脳は、目で見るすべての色や物、周りの温度や床を歩くときに足にかかる圧力、周りの音や口の渇き、またキーボードの手ざわり等を取り入れます。脳はすべての感情や考え、そして記憶を保ち処理するのです。同時に脳は呼吸の型や目蓋の動き、空腹感、手の筋肉動作のような進行中の身体の動きを記録します。

-人間の脳は、1秒間に100万以上もの情報を処理します。 脳はすべての情報の重要度を計り、重要でない情報を取り除くのです。このふるい分けの機能が私たちに集中力を与え、効率よく働くことができるようにさせています。情報の重要度を評価しながら最も適切なことを行なうように指示を与え、1秒間に100万件以上もの情報を処理できる脳が偶然にできたと思いますか?それは単に生物学的な原因で完璧な組織が形成され、血液が流れ、神経が組み立てられて出来たのでしょうか?脳は他の臓器とは違った役割を果たしています。それには、理由づけをする能力や感情を作る能力があり、夢を見たり計画を立てたり、物事を行動に移したり、他の人と関わりを持ったりできるような知能が備わっているのです。このような人間の脳をどのように説明することができるでしょうか?

3. 神は存在するのでしょうか?「偶然の出来事」や「自然発生」という説明は不十分だと言えます。

神の存在を信じること意外の選択肢を選ぶとすると、私たちの周りに存在するすべてのものが自然に発生したか、偶然に起きたと考えるでしょう。ある人がサイコロを振る時、6のペアが出る可能性がひとつあります。しかし、それは何も書かれていない真っ白のサイコロにサイコロの目が姿を現す可能性とは別問題です。フランスの化学者であるパストゥールが何世紀も前に証明しようとしたのは、科学も認めている通り、生命は無から生ずることはできないということです。それでは人間や動物、また植物は何処から生命を得たのでしょうか?

さらに、自然発生の考え方は人間のDNAに含まれる正確な情報量を考えるとき不十分な説明だと言えます。神の存在を考えない人はすべての物が原因なしに、目的もなく、ただ単に良い偶然が重なった結果、起こったと言う結論に行き着きます。そして複雑な構造を知的な観点から観察し、偶然に発生したと考えてしまいます。

4. 神は存在するのでしょうか?神は存在しないと確信を持っている人は、神の存在を認める多くの人々の思いを無視することになります。

これは、多くの人が何かを信じているならそれが真実だと言っているのではありません。例えば、科学者は宇宙について以前に結論づけられたものをくつがえすような新しい発見をしてきました。しかし、科学が進歩するにつれても高い知能の持ち主の存在が背後にあるという考え方をくつがえすような科学的発見は今までにありません。事実、人間の生命や宇宙についての科学的発見をすればするほど、私たちはこれらが複雑でかつ正確に造られていることにより気づかされます。これらの証拠が私たちの目を知性の源である神に向けさせます。しかし、実在する証拠はそれだけではありません。

歴史を通して世界中の多くの人々が主体的で個人的な神との関係を持ち、神の存在に確信を示してきました。今日、多くの人は、神との体験について話をすることができます。彼らは応えられた祈りや、神が彼らの必要を満たしてくれた驚くべき方法や、個人的に重要な決断を通して、神が導いてくれた話などをするでしょう。彼らは信仰の説明だけでなく、彼らの人生で神がしてくれたことについて細かく伝えるでしょう。これらの人々は愛の神が存在し、彼らに忠実であることを確信しています。もしあなたが懐疑主義者であるなら「神の存在について疑うことはまったく正しくて、彼らはすべて間違っている。」と確信を持って言うことができるでしょうか?

5. 神は存在するのでしょうか?私たちは神が存在することを知っています。なぜなら、神が私たちに近づこうとしているからです。神は絶えず私たちが神のところに来るように求めています。

私はかつて無神論者でした。多くの無神論者がそうであるように、神を信じる人々の考え方が私をいらだたせました。無神論者とは自分たちが信じていないものを証明するのに多くの時間や精力を費やします。私たちはいったい何者なのでしょうか?何が私たちにそれをさせるのでしょうか?私が無神論者だった時、間違った信念を持っていると思う人に対して、彼らの抱いている希望には、確かな根拠がないと言うことを分からせようとしました。正直に言うと、私には他の目的もありました。私は彼らが何か別の方法で私を納得させることができるかに非常に興味があったのです。私が求めていたことは、神についての質問から解放されることでした。もし私が神を信じる人々に、彼らが間違っていることを確実に証明できたら、問題は解決し、私は自由に自分の人生を生きることができるだろうと思いました。

-神についての話題が自分の心に重くのしかかっていた理由は、神がその問題を私に突きつけていたからだと言うことに私は気づきませんでした。後に、神が私たちに知られたがっていることに気がつきました。神は私たちが神を知るという目的を持って人間を創造しました。神はご自身が存在することを現す物象で私たちを取り囲み、直接私たちの前で神の存在に対する質問を投げかけます。それはまるで私が神の存在について考えることから逃れることができないかのようでした。実際、私が神の存在を認める決断をした日、私の祈りはこのようにはじまりました。「わかりました、神様。あなたの勝ちです…」無神論者が神を信じる人たちをうるさく思うことの理由は、神の方から彼らに近づこうとしているからなのかも知れません。

これを経験したのは私だけではありません。社会主義者で哲学的な作家であるMalcolm Maggeridge(マルコム マゲリッジ)氏はその著書の中で「どういうわけか、自分で探し回る以上に、追い回されたという気がする。」と言いました。C.S Lewis(C.S.ルイス)氏はこのように言っています。「…毎晩、仕事で一息つく瞬間、いつも私が本気で会いたくないと思っている神からのアプローチを感じた。私は降参し、神が神であることを認め、ひざまずき祈った。おそらくその夜イギリスで最も意気消沈した者が、神を受け入れたことになるのだろう。」

Lewis(ルイス)氏はそれから神を知った結果として「”Surprised by Joy” 喜びに驚かされた」という題名の本を書きました。私も神の存在を正しく認めること以外には何も期待していませんでした。しかし、その数ヶ月後、私は神の愛の大きさに驚かされることになったのです。

6. 神は存在するのでしょうか?他のどんな神からの啓示とも違い、イエス・キリストは、私たちに近づこうとする神の姿をはっきりと現しています。

なぜイエス・キリストなのでしょうか?世界中の主な宗教を見るときブッダ(仏陀)やマホメット、孔子、モーセ等すべての人が自分自身を教師か預言者だと認めています。彼らは自分が神と同等だとは主張していませんが、意外にもイエス・キリストは認めているのです。そのことがイエス・キリストがこれらの人々と違う理由です。イエスは神が存在し、あなたがたは神を見ているといいました。イエスは天にいる彼の父について話しましたがこれは離れている場所を言っているのではなく、むしろ親密な関係を表しており、それはすべての人間にも通じるものです。イエスは彼を見たものは神をも見、彼を信じるものは神をも信じると言いました。

イエスは言いました。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8:12)イエスは人々の罪を許したり、罪の習慣から彼らを解放したり、人々に豊かな人生を与えたり、天国での永遠の命を与えたり、神にしか持ち得ない性質を持っていました。自分の言葉に従わせようとする教師たちと違い、イエスは人々を自分の方へ向けさせました。イエスは「私の言葉に従えば真実を見つけられるだろう。」とは言いませんでした。彼は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14:6)と言いました。

イエスは自分が神であることを証明するのにどのような証拠を示したでしょうか? 彼は人間には出来ないことをしました。イエスは奇跡を行ない、目の見えない人や手足の不自由な人、耳の聞こえない人を癒し、何人かの人を死から甦らせました。イエスは何千人もの人々に食べさせるのに十分な食物を造り出しました。彼は自然界に対しても奇跡を成し遂げ、湖の上を歩いたり、激しい嵐に静まるよう命じたりしました。人々はいたるところから来て、イエスに従いました。それはイエスが絶えず奇跡を行ない、彼らの必要に応えたからです。イエスは言いました。「もしあなたがたがわたしの言っていることを信じたくないのなら、あなたがたが見ているわざによって信じなさい。」(ヨハネの福音書14:11)

イエス・キリストは、神が優しい方であり、愛の神であること、そして私たちの自己中心性や欠点を知りながら私たちと関わりを持つ事を深く望んでいる方であることを示しました。イエスは神が私たちを罪人として見、罰を受けるに価する存在だと知りながら、私たちを愛するがゆえに別の計画を持ってくださった事を示しました。神自身が人間の形を取り、私たちのために罰を受けてくださったのです。これはばかげた話のように聞こえますか?そうかもしれません。しかし、愛情に満ちた多くの父親も、もしできるなら喜んで癌病棟にいる自分の子どもの代わりになるでしょう。聖書には私たちが神を愛する理由は、神がはじめに私たちを愛してくれたからだと書いてあります。

イエスは私たちの罪が許されるように身代わりとなって死んでくださいました。この世には多くの宗教がありますが、その中で神の方から人間に手を差し伸べ、関わりを持とうとしているのは、イエスを信じることを通してだけ見ることができます。イエスは神が私たちを愛し、私たちの必要を満たし、神の方から私たちを引き寄せてくださるという事実をはっきりと示しています。イエスの死と復活によって、神は今日私たちに新しい命を与える事が出来ます。私たちは罪が許され、神に完全に受け入れられ、神によって心から愛されている存在です。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ書31:3)と神は言いました。これは行動する神の姿です。

神は存在するのでしょうか?もし、あなたがそれを知りたいならイエス・キリストの事を調べてください。私たちは次のことを聞いています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)

神は力ずくで私たちに信じさせようとはしません。その代わりに、私たちが進んで応答出来るように神の存在について十分な証拠を与えてくださいました。地球は太陽から完全な距離を保っていること、水の化学的特質、人間の脳、DNA、神を知っていると証する多くの人々。そして神がいるかどうかを考える私たちの感情や人間に知られたいと思っている神の存在など。もしあなたがイエスについてより詳しく知りたければ、見えない信仰の向こうに…を読んでください。

もしあなたが今、神との関係をはじめたいと望んでいるなら、それはできます。

これはあなたの決断です。強制ではありません。神によって許され、神との関係をはじめたいと思うなら神に許しを求め、あなたの人生に入ってもらうように願えば、今すぐにそれができます。イエスは言いました。「見よ。わたしは、戸の外(あなたの心の)に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼(または彼女)のところに入る。」(ヨハネの黙示録3:20)もしあなたがこのことを望むなら、次のように言ってください。「イエス様、わたしの罪の為に死んでくださり、ありがとうございます。あなたはわたしの人生をご存じで、わたしが罪の許しを必要としていることを知っています。あなたに今、許しを求め、わたしの人生に入って下さるようにお願いします。あなたを本当の意味で知りたいのです。今、わたしの人生にあなたをお迎えします。私と関わり合いを持ちたいと思ってくださり感謝します。アーメン。」

神はあなたとの関係を永続するものだと考えています。神を信じるすべての人について、イエス・キリストは言いました。「わたしは彼らを知っています。彼らはわたしに従います。そしてわたしは彼らに永遠の命を与えます。彼らは決して滅びることがなくわたしの手から彼らを奪い去るものはありません。」(ヨハネの福音書10:27-29)

それでは、神は存在するのでしょうか?これらのすべての事実を見るとき愛の神は存在し、親しく個人的に知ることができる方だということができるでしょう。もし、神であるイエスについて、また神の存在について、もしくはその他の質問があれば、Eメールしてください。

今イエス・キリストを信じました。(これからの成長に役立つこと)

イエス・キリストを信じたいと思いますが、もう少し詳しく教えてください。

質問があります。

著者について:以前に無神論者だったMarilyn Adamson(マリリン アダムソン)は、応えられる祈りや友人の人生に対する価値観が間違いであると言うのは難しいと思いました。友人の信仰を見るときMarilyn(マリリン)は神の存在を示す証拠の多さに驚かされました。1年間探し求めた後に、彼女は神を受け入れ、信じ、今は神の存在を絶えず知り、素晴らしい報いを得ています。


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