イエスに与えられた神の権威


  • 私は今回のメッセージの準備のために、新約聖書に記されている「権威」について一つひとつ調べてみました。「権威」と訳されたギリシア語の「エクスーシア」(ἐξουσία)は、新約聖書で102回使われています。意味としては、「権威」だけでなく、「力」「特権」とも訳されます。

マタイ(10)、マルコ(10)、ルカ(16)、ヨハネ(8)、使徒(7)、ローマ(5)、Ⅰコリント(10)、Ⅱコリント(2)、エペソ(4)、コロサイ(4)、Ⅱテサロニケ(1)、テトス(1)、ヘブル(1)、Ⅰペテロ(1)、ユダ(1)、黙示録(21)。特に、ヨハネの黙示録には21回と、最も多くこの言葉が使われています。黙示録には「サタンの権威」に関するものが多いですが、そこでは「力と力」、つまり「神の権威」と神の敵である「サタンの権威」が激しくぶつかり合うことになるからです。

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  • ギリシア語の「エクスーシア」(ἐξουσία)は「権威・力」を意味しますが、ヘブル語の「メムシャーラー」(מֶמְשָׁלָה)は、この語彙一つで「主権、統治、支配、王国、国土」を意味します。「メムシャーラー」の語幹は「マーシャル」(מָשַׁל)です。
  • 「御国の福音」とは、別の言葉で言い表すなら、「神と人とが共に住む永遠の家が、神の権威によって再建(回復)されるという良きおとずれ」です。「再建(回復)される」とは、本来、人間に与えられていた権威が神の敵によって喪失したために、再びそれが神の権威によって回復されることを意味します。御子イェシュアはその権威を御父から受けているのです。

(1) 神の権威とサタンの権威の相克 

  • 神の被造物で最高の知恵と美を備えられた大天使(「ルシファー」とも呼ばれている)が、なにゆえに神の敵となって「サタン」となったのでしょうか。霊的な存在として最高の地位にいた御使いが、なぜその地位を捨てて神に敵対するようになったのでしょうか。そのように駆り立てたのはいったい何だったのでしょうか。それは聖書には記されていません。しかし、それはおそらく神が人という新しい存在を造る計画を知ってしまったからかも知れません。そのことが彼を怒らせ、神の権威に従うことを拒絶して、自分自身の王国を造ろうとさせた唯一の原因ではないかと考えられます。いずれにしても、原因はどうであれ、最高の地位にいた御使いが神の敵であるサタンとなってしまったことは事実です。「神の権威」と神の敵となった「サタンの権威」との戦いは、天地創造の時からすでにはじまっていたのです。
  • 神の第二の地位に置かれた人間はすべての被造物の頂点に置かれただけでなく、すべての被造物を支配する権威をも与えられていました。その権威を与えられた人間に対して、サタンは狡猾にだましてその権威を合法的に奪ったのです。ですからイェシュアはこのサタンのことを「偽りの父」と呼んでいます(ヨハネ8:44)。実にすべての人間は、今やこのサタンの権威の支配の中にあるのです。
  • キリストの弟子となった使徒パウロが使徒となる前、だれの権威(ἐξουσία)の支配に服していたでしょうか。この世を支配する者たちの権威です。イェシュアに「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」と言った指導者たちでした。

使9:14「彼はここでも、あなたの名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限(ἐξουσία)を、祭司長たちから与えられています。」
使26:10「そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限(ἐξουσία)を受けた私は、多くの聖徒たちを牢に閉じ込め、彼らが殺されるときには賛成の票を投じました。」
使26:12 「・・私は祭司長たちから権限(ἐξουσία)と委任を受けてダマスコへ向かいましたが」
使26:18 「それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配(ἐξουσία)から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。」

  • ここにはかつて祭司長、すなわちサタンの支配(権威)のもとに行動していたパウロ(その時は「サウロ」)が、天からの光によって目が開かれ、真の権威者であるメシア・イェシュアに与えられた神の権威
    • 私は今回のメッセージの準備のために、新約聖書に記されている「権威」について一つひとつ調べてみました。「権威」と訳されたギリシア語の「エクスーシア」(ἐξουσία)は、新約聖書で102回使われています。意味としては、「権威」だけでなく、「力」「特権」とも訳されます。

    マタイ(10)、マルコ(10)、ルカ(16)、ヨハネ(8)、使徒(7)、ローマ(5)、Ⅰコリント(10)、Ⅱコリント(2)、エペソ(4)、コロサイ(4)、Ⅱテサロニケ(1)、テトス(1)、ヘブル(1)、Ⅰペテロ(1)、ユダ(1)、黙示録(21)。特に、ヨハネの黙示録には21回と、最も多くこの言葉が使われています。黙示録には「サタンの権威」に関するものが多いですが、そこでは「力と力」、つまり「神の権威」と神の敵である「サタンの権威」が激しくぶつかり合うことになるからです。


(2)神の権威を回復させた第二のアダム(イエス)

  • ●イエスは第二のアダムとなって死から復活したことによって、本来、人間に与えられているすべての被造物を支配する権威をサタンから取り戻して下さったのです。ですから今日においてもキリストにある者たちはその権威を行使することができます。しかもメシア王国においては、その権威を最大限に用いることができるのです。それは神の権威を与えられた復活のキリストから賜物として与えられるものです。私たちが神の子どもとしての特権(ἐξουσία)をもって生きるためには、その与え主であるキリストの権威についての正しい理解が必要です。御父は御子に、この世におけるありとあらゆる権威と力を与えただけでなく、すべての支配、権力、主権、王座の上に御子を置かれたのです。
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【新改訳2017】エペソ人への手紙1章20~22節
20 この大能の力(ἰσχύς)を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、
21 すべての支配(ἀρχή)、権威(ἐξουσία)、権力(δύναμις)、主権(κυριότης)の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。
22 また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。

  • このようにメシア・イエス(第二のアダム)に与えられた権威は、御父の右の座において今も働いているのです。