<日本のキリスト教文学>


 日本では1873(明治6)年のキリスト教解禁(キリシタン禁制の高札撤去)以後、信者数も増え、1880年代の後半から90年代の理想主義文学の提唱、さらにはロマン主義文学の台頭にキリスト教思想の影響は強く現れます。


 植村正久、内村鑑三の両者をあげて“今やわが国において基督教文学の代表者として二人を得たり”とは徳富蘇峰の言葉ですが、植村正久のすぐれた旧約の「詩篇」「雅歌」などの翻訳、さらには「新撰賛美歌」(1887年)の流麗な訳詩は明治の新体詩に大きな影響を与えました。
また内村鑑三の「基督信徒の慰め」をはじめとする一連の著作は明治・大正期の文学に深い影響を及ぼしました。


 1890(明治20)年代より盛んになった自由主義神学、さらにはユニテリアン(*4)の思想は、北村透谷をはじめ島崎藤村、国木田独歩らにも 大きな影響を与えました。 キリスト教の社会的倫理観は社会主義文学の先駆ともされる木下尚 江や徳富蘆花の文学を生み、その人道主義的系譜は武者小路実篤、志 賀直哉、有島武郎らの白樺派にも流れていきますが、ここにも内村鑑 三の強い影響が見られます。 大正期に入るとこれら理想主義、人道主義の流れとは別に、「月に吠 える」によって現代史への発端を開いた萩原朔太郎や、遺稿「歯車」や 「西方の人」に聖書によって問われる人間の苦悩を描いた芥川龍之介 らが登場しました。この系譜は昭和に入って中原中也や太宰治の文学 につながり、芥川の弟子である堀辰雄を経て、戦後の福永武彦や遠藤 周作にまで受継がれてゆくことになりました。 ただ、これら大正から昭和にかけての文学者たちの殆どがキリスト 者でなかったのに対して、戦後文学が椎名麟三、遠藤周作、曽野綾子、 小川国夫らをはじめ多くのキリスト者作家を生み出したことが注目 されます

 

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