イエスのエルサレム入場

- ルカ福音書19:2840 -

シャローム宣教会 


イエスの最後のエルサレム入場出来事共観福音書にもヨハネの福音書にもされていますオリーブのふもとのベテパゲとベタニヤにづいたときイエスはふたりの弟子まだだれもったことのないろばのれてるようにじましたもし、『なぜほどくのかねるがあったら、『がお入用なのです。』うように指示されました弟子たちは指示されたようにろばのれてきました

 

1. イエスがろばにってエルサレムに入場したこと

 

この出来事において重要なことはイエスがろばのをおいになったことではありません。「ろぱのってエルサレムに入場したこと重要なのですなぜならそれはゼカリヤが預言したメシアのしるしだったからです

シオンのいにエルサレムのあなたのがあなたのところにられるこのしいいをわり柔和ろばにられるそれもろばののろばに(ゼカリヤ9:9)

 

二人弟子がイエスにわれてまだだれもったことのないロバをがご入用なのですってれてましたがなぜそのようなことをイエスがじたのか弟子たちはだれひとりっていませんでしたまたイエスがエルサレムに入場することでこれからなにがこるのか弟子たちもそしてイエスを歓迎した群衆たちも本当のところはらなかったのですイエスのエルサレムでの結末っていたのはイエスのもとにってイエスのることにっていたベタニヤのマリヤだけかもしれませんなぜなら彼女はイエスのりのために香油いだからです(ヨハネ福音書12:18)このベタニヤのマリヤと弟子たちおよび群衆とはきわめて対照的です

弟子たちはエルサレムに御顔けてんでおられるイエスからこれまで何度、「ずそこでくのしみを指導者たちからてられされ三日後によみがえることをかされていましたしかしだれひとりとしてそのことをしくめたはいなかったのです弟子たちはイエスが栄光けられためてこのことの意味理解できたのですがイエスと寝食にしイエスのしをいつもいてきた弟子たちがだれひとりとしてイエスにこることをしく理解していなかったのは不思議ですしかしイエスは々と決然預言されたメシアーてられされよみがえるメシアーとしてロバのエルサレムにかってんでかれました

 

この箇所たちはろばのようなさなにすぎないけれどもはそのようなさえもいてくださるというメッセージとしてってしまうがいますかにるにらないいてくださいますがこの時点においてイエスがロバを必要としたのは第一義的には自分がメシアであることのしるしとしてはっきりとすためだったのですイエスをえたくの群衆旧約聖書啓示しているしいメシアをっているわけではありませんでしたイエスを自分たちの再建してくれる王的存在としてしかていませんでしたつまりらは自己本位なメシアしかっていませんでしたですからましてや数日後イエスに失望することになるとはこの時点ではいもよらなかったにいありませんらの失望りにわりました

 

2. 自分聖書える

 

ところでプロテスタント教会聖書言葉自分適用してむことを大切にしてきましたそれは聖書でとても大切なことなのですしかしそうした先行するあまりどんな聖書箇所自分適応しやすい事柄にのみけがちになりますそのために聖書全体からの視座欠落したになってしまいますそのためゼカリヤの預言成就かされても自分にはそれほど関係のないことのようにじてしまいますもしこのようなけていくと聖書全体のもついの計画のダイナミズムにはほとんど関心せなくなりますそういうゼカリヤといえば46有名なみことばー「『権力によらず能力によらずわたしのによって。』」万軍せられる。」ーぐらいしかりませんでしたちなみにゼカリヤ9章以降(14)にはるべきメシアについてくの預言がなされています

ゼカリヤ9:9では初臨のメシアを9:10では再臨のメシアを預言しています。「わたしは戦車をエフライムから軍馬をエルサレムからやすいのたれるこの諸国平和その支配から大川からてに(ゼカリヤ9:10)

 

キリストの再臨ではすべてのいの武器かれ平和てられエルサレムから全地支配するようになりますたちはこのつの預言きています前者はすでにイエスがろばにってエルサレムに入場することによって成就しましたしかし後者再臨によって成就します前者成就したのですから後者成就しますそのとき平和実現しますしかしその平和実現されるにはびのであるユダヤにとって20世紀のナチスによる大量虐殺(1/3々とわれている)をはるかにえる2/3しかもった1/3のうち精錬えただけがいにるというろしい患難時代(3年半)到来がゼカリヤ13:79預言されていますその悲惨さは14:12されありとあらゆる暴虐横行しますそしてその状態から脱出する人間的手段たれたとき、「られる(14:3)のですそしてはエルサレムのするオリーブとあります

 

いの計画全貌くほど完璧にすべてのピースがうまくかみわさっているにもかかわらずそうした素晴らしさを探求感動することが希薄になっているようにいますこれからこるすべてのことはすでに聖書られているのです

エマオにかう二人弟子イエスから旧約聖書全体からかされてメシアが苦難栄光けるはずであったことをかされながららはうちにえる経験をしますそのような聖書がもっともっと必要なのではないかといますこれまで聖書んできた意識してえるそこからまでづかなかったのメッセージにけることができるとじます

 

3. 祝福あれ御名によってられる

 

イエスがエルサレム入場にも民衆からホサナ(どうぞってくださいの)れられました(ただしこのフレーズホサナはどういうわけかルカの福音書にはありません)しかしそのエルサレムでイエスは拒絶されましたですからもう一度この預言御名によって祝福があるようにというめをって実現しなければなりません

 

イエスをんだユダヤしてイエスはこういいます。「なさいあなたがたのてたままにされるあなたがたにげます。『祝福あれ御名によってられる。』とあなたがたがうときまであなたがたは今後決してわたしをることはありません。」(マタイ福音書23:3839)

ユダヤ民族的回心実現するためには使徒パウロがからの強烈によって回心したように、「(シャハイナ・グローリー)必要なのですちなみに詩篇118:27にはであられたちにえられた。」預言されています

 

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