現代世界のキリスト教

 

                                                                   ジェフリー・バラグラフ:図説・キリスト教文化史(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)
日本キリスト教団出版局:新共同訳・聖書事典 ほか
現代世界の様々な思想や政治状況の中で、キリスト教は新しい神学と運動を生み出しました。 キリスト教の伝統的な教理を再解釈しようとする近代主義はカトリック教会や英国教会の伝統主義、プロテスタント教会内部の根本主義と対立しましたが、自由主義 神学の影響からキリスト教の神学を実質的に解放したのは、新正統主義の流れです。そして神の死の神学、解放の神学、フェミニスト神学などが登場、一方では全キリス ト教会再一致のための運動が展開され、カトリック教会もプロテスタント教会も、他宗教との対話が進められています。 二千年の歴史を持つキリスト教は、現在、欧米の先進国を中心に、世界238ヵ国に、20億を超える人々の間に広まっています。 

 

 <近代主義(モダニズム)>
キリスト教における近代主義とは、一般的に近代科学の成果を認め
、聖書の歴史的・批評的研究を取り入れて伝統的な教理を再解釈しよ
うとする立場で、近代聖書学として発展しました。
カトリック近代主義の父と呼ばれるA.ロワジーは聖書を歴史的、
批評的に研究した「聖書の教説」によって大学教授の職を追われまし
た。さらに1908年「共観福音書」によって教会の伝統に公然と反する
見解を述べて破門され、その全著作は「禁書目録」に載せられました。
英国教会の近代主義は広教会主義(英国教会の内部における自由主
義的な神学傾向の名称)を基盤として始まりました。1898年、H.シュ
ドール、W.R.イングらが「近代主義教会員連盟」を結成し、教理と典
礼の伝統主義からの脱却を目指しました。
アメリカでは、近代主義は根本主義と激しく対立し、つねに論争を
繰り返しました。根本主義はバプテスト派や長老派を基盤として南
部の諸州で支持されたのに対して、近代主義は北東部のニューイン
グランド地方の英国教会を背景に力を持ちました。
近代主義に対して反近代を掲げたのは、カトリック教会の伝統主義
とプロテスタント教会内部の根本主義でした。しかし近代主義を超
え、脱近代化の方向を指し示したのは、バルトに始まる新正統主義で
す。そして後近代(ポスト・モダン)における神学として神の死の神学
、解放の神学、フェミニスト神学などが登場しました。
-近代聖書学- 近代聖書学はJ.S.ゼムラー(1725~91)によって拓かれました。 彼は聖書を研究するにあたり、教義の伝統的な解釈に縛られない厳 密な歴史学的方法を適用しました。 その後、19世紀の自由主義を経て、旧約聖書では「モーセ五書研究」、 新約聖書では「史的イエス」の研究を中心に、実証的な文献学的方法 が適用されるようになり、20世紀に入り、それは歴史的、批評的聖書 学として確立されました。 「史的イエス(歴史的に実在したイエスの真の姿)」の研究は理神論 に立つライマールスから始まりました。そして19世紀の思想家シュ トラウスの『イエス伝』やルナンの『イエスの生涯』など多くの著 作が、その成果として生まれました。 これらは「神であり人である救い主イエス・キリスト」という教義か ら自由になり、「人間イエス」の伝記を描こうとしたものです。 近代聖書学は聖書の成立までに、口伝→成文化→聖書の本文 とな る伝承の発展段階を仮定し、それを遡ることによって、聖書の背後の 歴史的な事実をとらえようとしました。

<根本主義(ファンダメンタリズム)> 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの自由主義神学の 影響がプロテスタント教会に波及しました。進歩的な考えを持った 一群の神学者たちは、社会の進歩を楽観的に信じる「社会的福音」(*1) を説き、ダーウィンの進化論などの科学的主張と宗教の調和を図り ました。 しかし近代聖書学の歴史的、批評的研究が伝統的な聖書信仰への脅 威となると、保守的な指導者は進歩派を激しく攻撃しました。保守派 と進歩派のこの対立は,しばしば異端尋問のような様相を呈しまし た。保守派は、彼らがキリスト教の信仰の「根本的教理」とみなすもの (聖書の絶対性やキリストの超人間性など譲りえないとしたもの、後 記)に固守したことから「根本主義者」と呼ばれるようになりました。 根本主義者は反近代主義の立場にたち、その逐語霊感説(*2)によっ て聖書が歴史的にも科学的にも誤りなき神の言葉であると主張しま した。 またキリスト教の信仰の「根本的原理」として、神による世界創造、 キリストの神聖と処女懐胎、キリストの死による全人類の救済、キリ ストの復活と再臨、聖霊の働き、不信者の永遠の刑罰などを主張しま した。 根本主義者は1960年代以降は「福音派」と呼ばれ、強硬な政治的主張 を掲げて行動する場合は「宗教右翼」とも呼ばれるようになりました <新正統主義神学> 自由主義神学に対しては、ローマカトリック教会やプロテスタント 教会の保守派、根本主義者などによって批判が繰り返されてきまし たが、自由主義神学からの影響からキリスト教の神学を実質的に解 放したのは第一次大戦後のヨーロッパに起こった「新正統主義」の流 れです。 この流れの出発点は、スイスの思想家、カール・バルトが1919年に出 版『ローマ書講解』です。 バルトの思想の根底には「神は神であり、人間は人間である」とする 神と人間との質的差異についての認識があります。したがって神学 は人間の理性によって「下から」神を語ることは出来ず、「上から垂直 に」与えられる神の語りかけを聞く「神の言(ことば)の神学」として のみ成立すると主張しました。バルトの主張に共鳴したブルトマン、 ブルンナーなどの神学者が、バルトを中心に雑誌「時の間に」を刊行 しました。 人々は彼らの神学を、「危機神学」「新正統主義」「弁証法神 学」と呼びました。 「危機神学」とは第一次世界大戦後のヨーロッパの危機意識の中か ら生まれた神学であるからであり、「新正統主義」とは彼らが自らの 立場を、16世紀の宗教改革によって生まれた神学の忠実な継承者と して主張し、かってのプロテスタント正統主義に対して「否」を唱え たからです。また「弁証法神学」の名称は、神と人間との無限の質的差 異を前提として、人間の宗教的経験、道徳、文化に対して、神の彼岸的 (理想郷)的性格、啓示の絶対性を強調するという弁証法的(弁証法は 元来対話を意味しており、異質なものの突きあわせを通して、不断の 統合発展を生むとします)な統合を課題とするこの神学の特質を最 もよく表しているとされます。 -バルト- カール・バルトはスイスのバーゼルに生まれ、主に自由主義神学の 影響下に神学を学んだ後、改革派教会の牧師を務めました。 第一次大戦を支持する当時の神学教授らに失望して、自由主義神 学と訣別し、1919年に『ローマ書講解』を執筆しました。1921年か らドイツ各地の大学で教鞭をとりましたが、ヒトラーらの宗教改革 に抵抗するキリスト教徒が結成する「告白教会」の指導者として活 躍するなど、ナチス政府に対して抵抗したため、1935年に罷免され、 スイスのバーゼル大学に移りました。 第二次大戦中は「反ユダヤ主義」を糾弾し、亡命ユダヤ人の救済活 動に従事、戦後の東西冷戦下では主著『教会教義学』の中心部「和 解論」を講義しつつ、西側陣営の核武装に公然と反対しました。 『ローマ書講解』は20世紀の神学に革命的な方向転換をもたらし ました。 バルトは神が人間とは隔絶した「絶対他者」(世界と人間に対する 神の超越性を表す言葉)であり、超越的な主権者であることを強調 しました。バルトによれば、聖書のメッセージの中心は「人間が神を」 ではなく「神が人間を」を求めていることにあります。したがってそ の神学は人間の理性によって神を求めるという思考ではなく、人間 に語られた「神の言(ことば)」としてイエス・キリストへ聞き従うこ とになります。 バルトによれば、19世紀の自由主義神学は、神学を「人間から神へ の道」としたところに誤りがあります。また根本主義も、聖書そのも のを絶対視したところに誤りがあります。バルトは神の言葉を人間 の言葉と同一視することはできず、その意味で人間の作った聖書も 神の言葉と同一でなく、聖書も無条件で「神の言(ことば)」なのでは なく、神の語りかけによって初めて「神の言」になる、としました。 -ブルトマン- ブルトマンは北ドイツのオルデンブルクに生まれ、テュービンゲ ン、ベルリン、マールブルグ大学で学び、新約聖書を研究する学者と なり、マールブルグ大学、その他の大学の教授を歴任しました。 新約聖書の学者としてのブルトマンは、まず第一に厳密な文献学 者としての側面を持っています。その成果として共観福音書伝承 史および様式史の手法を適用した「共観福音書伝承史」や「イエス」 の著作があります。 さらにブルトマンには初期のハイデッガーの実存哲学に基づいた 新しい聖書解釈の提唱者としての側面もあります。


ハイデッガーと実存哲学
実存哲学とは個人の実存を重視する哲学的立場で、ハイデッ ガーは、世界のうちに現に投げ出されて存在している人間を 現存在と呼び、現存在が存在すること、そのことを実存と名づ けました。現存在がどのように存在するかは、あらかじめ定め られた人間の普遍的本質といったものではなく、その時々に 現存在が実存するまさにそのことによってのみ決定され「現 存在の本質はその実在にある」としました。

「新約聖書と神話論」において、彼は新約聖書の「非神話化」と「実存 論的解釈」を提唱しました。古代の神話的な表現を用いて書かれてい る、聖書本文の文言の背後にある実存理解に迫るための方法が「非神 話化」です。 ブルトマンの聖書を解釈する方法には消極面と積極面があり、前者 が「非神話化」であり、後者が「実存論的解釈」であるといわれます。 新約聖書は処女懐胎や復活といった神話的世界のイメージに基づ いて語られています。そこでまず「非神話化」によって神話的な表層 を取り除き、さらにそれを「実存論的解釈」によって科学的な世界の うちに生きる現代人へのメッセージとして、再解釈しようとしまし た。 -ティリッヒ- ティリッヒはルター派の牧師の息子としてドイツに生まれました。 自由主義神学の影響下に学び、牧師となってドイツ軍に従事後、マ ールブルグ大学などで神学と哲学の教授を歴任しましたが、ナチス を批判したため追放され、1933年アメリカに渡りました。 ティリッヒはニューヨークのユニオン神学校で教鞭をとりながら、 政治や歴史の中の人間の現実の生と、神学との関係を問題にして、 「哲学的神学」を確立しました。ユニオン神学校を退職した後も、ハー バード、シカゴ大学の教授を歴任し、神学の世界に強い影響を与え続 けました。 ティリッヒは哲学者シェリングの思想やハイデッガーの実存哲学 などを学び、哲学的神学を提唱し、哲学が人間と世界の現実を踏まえ て問題を提起し、神学が啓示に基づいて答えを出すという相関関係 を方法論としてとりました。 彼にとって、神学の任務とは、変化する歴史的な事実と、イエス・キ リストに現れた永遠の真理とを調停し、関係づけることです。 「相関の方法」と呼ばれるこの方法では、「他律」「自律」「神律」という 概念が用いられました。「他律」とは教皇無謬説や根本主義に見られ るような権威主義的服従への落ち込みを意味します。 人間はこの落ち込みによって確保される「他律」的安全から解放さ れる時、「自律」的となります。しかし神を究極的な関心としない「自 律」は人間中心主義に堕落します。そして世界や人間の存在が神によ って根拠づけられていると知ることが「神律」であり、自己満足的な 近代的「自律」と権威主義的な中世的「他律」を、ともに乗り越えらる 新しい生き方が提示されます。 <神の死の神学> 「神の死の神学」は“神は死んだ”と宣言した思想家ニーチェのよ うな、神の存在そのものを否定する無神論ではなく、それは「対象化 された神」の否定を意味し、バルトの「絶対他者(世界と人間に対す る神の超越性を表す言葉)」としての神から導かれる「対象として把 握されない神」という理解によって明らかになります。 ボンヘッハーは「神なしに、神の前に、神とともに生きる」という逆 説的な表現によって、それを主張しました。彼が経験したナチスの獄 中には宗教的な、教会的な神はいません。しかし人間の行為や認識で はとらえられないその神の「不在」の中にこそ、真の神が臨在すると しました。ボンヘッハーの思想は神学の対象としての神の否定があ り、そうした水準での有神・無神の議論を超えてこそ、神は経験され ると主張しました。 北アメリカでの「神の死の神学」はG.ヴァハニアンの「神の死」によ って拓かれました。ヴァハニアンは、神は常に人間の文化の中で、と らえられた偶像であり、神の近似値であるに過ぎず、そのような神は 現代ではすでに死んでいるとしました。またP.ヴァン・ビューレン は「福音の世俗的意味」において言語分析の立場から、「神」という言 葉の現代における意味喪失を宣言しました。W.ハミルトンとT.J. アルタイザーの「神の死の神学」では、ハミルトンはアウシュビッツ やヒロシマの悲劇が、伝統的な教会の神を信じることを不可能にし たと主張しました。またアルタイザーは「キリスト教の神の死」「キリ スト教世界の死」によって逆説的に、神は神として歴史の中に自己を 啓示する、と主張しました。 <解放の神学> 「解放の神学」とは抑圧され、苦難の中にいる人々を「解放」するため に社会構造と価値観の変革を試みる神学で、「福音」の本質を聖書の 「予言者」やイエスの言動に照らし合わせて抑圧された人々の「コン テクスト(歴史的、社会的、文化的現実)」からとらえ直し、そうした現 実からの「解放」として理解するものです。 「中南米の解放の神学」とは先進国に経済的従属を強いられ、一部の 特権を持つ人々だけが富を占有する中南米諸国の成長を「コンテク スト」として展開されました。1950年代から貧困に苦しむ民衆ととも に、カトリックの司祭らは「キリスト教基礎共同体(BCC)」を形成 しました。1968年のラテンアメリカ司教会議は「貧者の最優先」の方 針を打ち出し、BCCを教会として承認しました。 この会議でペルーのBCCの活動を報告したグディエレスは、それ をもとに1971年、「解放の神学」を刊行しました。 「黒人解放の神学」は北アメリカの1950~60年代の公民権運動(*3) の高まり、ブラック・パワー運動(*4)を受けて、「神は黒人」という衝 撃的な提唱とともに、J.H.コーンが糸口を開きました。コーンは被 抑圧者の象徴する「黒人性」に言及し、人種差別的な価値観や社会構 造の変革を主張しました。 「女性解放の神学」は1970年代に北アメリカに起こりました。 聖書を含め、キリスト教の伝統や神学に見られる霊と肉、男と女、歴 史と自然などの二元論的思考を性差別の根源として批判し、性差別 の現実とそれを支える価値観からの解放を主張しました。


フェミニスト神学
1960年代後半から北アメリカでは女性解放運動が高まって いきました。70年代に入ると、神学者のディリーやリューサー らが、聖書を含めたキリスト教の伝統や神学の中に、性差別の 根源となる男性中心的な思考が存在するとして批判しました。 このように社会的に抑圧され、沈黙させられた女性自身の経 験を出発点として、性差別の現実とそれを支える価値観から の解放を中心的な課題に置く神学をフェミニスト神学(女性 解放の神学)といいます。 ディリーは「父なる神を超えて」で男性のイメージで神を描 く伝統的な神学に対して、女性のイメージ(例えば「智恵の女 神ソフィア」)で神を描く伝承などの中から、新たな神理解を 掘り起こしました。 またハーバード大学神学部教授のフィオレンンツァはフェ ミニストの視点による聖書の解釈を確立しました。彼女は聖 書が「父なる神」という表現に象徴される男性中心言語によっ て書かれ、父権的な社会構造を反映しているとしました。そし て父権性を宗教的に正当化する上で、聖書が果たしてきたイ デオロギー的機能を明らかにし、忘れられた女性たちの歴史 を、父権的な抑圧に対する闘いの記憶として再構築する試み を行っています。 1995年に英語圏で刊行された『新約聖書』は性別、身体障害 、人種などの差別を固定化する表現を避け、包括的言語による 聖書の翻訳を試みています。たとえば「父なる神」という表現 は「父母なる神」(Father-Mother God)に換えられています。

<エキュメニカル運動> エキュメニカル運動とは全キリスト教会一致促進運動のことです が、現代のエキュメニカル運動の出発点は、1910年にエジンバラで開 かれた世界宣教会議です。1921年のニューヨーク会議で名称を「国際 宣教協議会」と新たにし、超党派的な宣教師派遣団体を世界的な組織 としてまとめました。 これをきっかけに、社会活動の分野で教会一致運動を推進していた 「生活と実践運動(*5)」は、1925年ストックホルムで第一回世界会議 を開き、奉仕活動においては、教理的な違いを超えて諸教会が一致で きることを確認しました。また職制や聖礼典の相互理解を通して教 会の一致を目指す「信仰と職制運動(*6)」も1927年ローザンヌで第一 回世界会議を開き、その活動を開始しました。 この二つの運動が1948年に合併し、世界教会協議会(WCC)を設立 し、さらにその第三回WCC総会で、国際宣教協議会がこれに合流し ました。現在WCCにはプロテスタント教会、英国教会をはじめ、東 方正教会、コプト教会などの東方諸教会を含む120カ国324教派が加 盟しています。 ローマ・カトリック教会は、当初、エキュメニカル運動に対して否定 的でしたが、教皇ヨハネス23世によって開催された第二ヴァチカン 公会議において、方針を大きく変更し、エキュメニカル運動を積極的 に促進することを決定しました。その結果WCCとローマ・カトリッ ク教会との間に共同委員会が設置され、エキュメニカル運動は大き く前進しました。 <第二ヴァチカン公会議> 第二ヴァチカン公会議はヴァチカン市国でのサン・ピエトロ大聖堂 で開かれた第二十一回目の公会議です。1962年、教皇ヨハネス23世が 召集し(第一会期)、その死後はパウルス6世が継続しました。 ヨハネス23世は信仰の遺産を忠実に守るだけでなく、福音に従って 、現代における様々な問題を理解し、現代的な表現で福音を宣べ伝え るため、カトリック教会を「今日化」するという基本理念を主張し、こ れに基づいて、会議では活発な議論が行われました。 この公会議では「典礼憲章」「教会憲章」「啓示憲章」「現代世界憲章」 の4憲章のほか、「広報機関」「東方カトリック教会(*7)」「エキュメニ カル運動」「司教の司牧」「修道生活の刷新」「司祭養成」「信徒使徒職」 「宗教活動」「司祭の任務と生活」に関する9教令、キリスト教教育、他 宗教、信教の自由への教会の態度を示す3宣言が発表されました。 この公会議において、カトリック教会はエキュメニカル運動を積極 的に進める方針を採択、典礼でラテン語でなく母国語を使用するこ とについての規制緩和をはじめ、ユダヤ人に対する偏見を改めるこ と、他宗教との対話の促進を決定しました。 こうした動きは、19世紀以来のプロテスタント教会の動きに歩調を 合せるものであり、全キリスト教会再一致への歩みと他宗教との対 話の成果は、キリスト教の将来を方向づけるものとして注目されて います。 <宗教間対話> キリスト教が、他の宗教と真の意味で対話的な関係に入ったのは、 全キリスト教会再一致を目指すエキュメニカル運動の延長として、 それが考慮されるようになった20世紀以降です。 宗教間対話では、ヨーロッパ諸国の植民地政策を可能にした近代的 価値観が批判され、そこには、それとともに全世界に広まったキリス ト教のありかたについての問い直しも含まれました。 第二ヴァチカン公会議以後のカトリック教会は、他宗教に対する排 他主義的な考え方を放棄して、宗教間対話を進めており、プロテスタ ント教会も、極端な根本主義を除けば、対話路線をとりました。 宗教間対話では宗教哲学が一定の役割を果たしました。 トレルチは比較宗教学の見地から、キリスト教の絶対性を否定し、 キリスト教とそれ以外の宗教を、それぞれの伝統と文化的な背景を もつ対等なとして見る視点を提供しました。 またプロセス神学(*9)の立場をとるカブはキリスト教の本質を「自 己を創造的に生成する」プロセスに求め、他宗教との間に、単なる対 話や相互理解を超えた積極的な相互深化の可能性を追求しています。 日本では南山大学の宗教文化研究所が中心となって、仏教とキリス ト教との宗教間対話を行っています。 さらにキリスト教会の宗教間対話が実質的に他宗教を取り込もう とする包括主義(*10)に過ぎないとして批判して、一層ラディカルな 宗教多元主義(*11)に基づく宗教間対話を訴えるヒックのような神 学者もいます。 <世界に広がるキリスト教> 世界の三大宗教と呼ばれる仏教、キリスト教、イスラム教は世界的 な規模で分布しており、さらにユダヤ教、ヒンズー教、儒教、道教など の有力な宗教および習合的な諸宗教が、広範な信者をかかえていま す。またアフリカ、アジア、中南米、大洋州などの広大な地域では、土 着の宗教が存在しています。 現在、キリスト教は、欧米圏を中心に、世界238カ国に約20億の信徒 をかかえています。これは世界人口との比較でいえば、32.9%を占め ろことになります。これに対してイスラム教は、アジア・アフリカを 中心に206カ国、約12億の信徒がおり世界人口の19.9%を占めており 、キリスト教徒とイスラム教徒で世界人口の50%を超えています。 仏教はアジアを中心に129カ国、約3.7億の信徒をかかえています。 ヒンズー教もアジアを中心に、約8億の信徒を有する宗教です。 キリスト教を宗派別に見ると、カトリックの約11億を筆頭に、プロ テスタント約3.6億、東方正教会2億、英国教会約0.8億(英国教会はプ ロテスタント陣営に属しますが、別個に分類されることもあります) となっています。 ヨーロッパでは、イタリア、フランス、スぺイン、ポルトガルなどの カトリック諸国、ドイツ、オランダ、北欧諸国、イギリスなどのプロテ スタント諸国(ドイツ、オランダなどのプロテスタント圏には、相当 数のカトリック信者がいます)、ギリシア、東ヨーロッパ、ロシアを含 む東方正教会に別れます。 アメリカはプロテスタントの勢力圏といってもいいのですが、北ア メリカ全体ではカトリックとプロテスタントは信徒の数でははぼ同 じです。ラテンアメリカは、カトリック圏のヨーロッパ諸国の植民地 化の結果として、圧倒的にカトリックが多く、またアフリカではカト リックが少し多く、オセオニアでは両者の信徒数はほぼ同じです。

 

http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou23.html