割礼(かつれい)とは、- ウィキペディア


語意

日本語では、聖書に記述される, circumcisionの訳語として「割礼」が採用された。

英語circumcision男性陰茎包皮を切除することで、宗教的ニュアンスはあるものの、本来は宗教上の行為かどうかは問わず、医療行為(包茎手術)も含まれる。ただし、genital cutting(直訳 性器切断)も割礼と訳されることがあり、これはcircumcision (male genital cutting) と女性器切除 (female genital cutting) が含まれる。

女性器切除をfemale circumcision(女子割礼)ということがあるが、circumcisionとは宗教的背景が異なるなどの理由でこの表現に反対する者は少なからずおり、現代では悪習とされる事が多い(詳細は女性器切除の項を参照)。

概要

旧約聖書』に記述があることから、聖書を教典とするユダヤ教キリスト教イスラム教が信仰されている地域、アフリカオセアニアの諸民族などでは割礼の風習が根付いている。

ユダヤ教では 、割礼はブリット (ברית/Brit) と呼ばれヘブライ語で「契約」を意味する語である。ユダヤ教徒の家庭に生まれた乳児および改宗者(=ユダヤ人[1])は、割礼を行わなくてはならない。これはブリット・ミラーと呼ばれ、モーヘールと呼ばれる専門家が行う。現代では割礼に反対するユダヤ人もおり、その場合はブリット・シャーローム(命名式に相当)をもって、割礼の代わりとする。ただしブリット・シャーロームは律法(旧約聖書)に反するとして否定する者も多く、一般的な儀式として広まってはいない。

イスラム教(イスラーム)においては、コーランには言及がないものの、ハディースにこれに関する記載があり、慣行(スンナ)として定着[2]している。生後間もなくか少年のうちに割礼が行われる。時期は生後7日目に行う場合から、10-12歳頃までの場合など幅がある。割礼後、祝宴が開かれ、盛装した男児が親族や近隣住民から祝福される。割礼を行っていない者が成人になってから改宗した場合は、解釈が一定ではないため必ずしも強制ではないが、なるべく割礼を行ったほうがよいとされる。

一方、キリスト教では、割礼を行う風習が無い地域へもキリスト教の布教を行い、割礼を行わない者がキリスト教へ改宗するための要件として割礼を要件としないという見解がパウロらによってまとめられたため、早い段階で割礼を行う習慣が廃れた。このことは『新約聖書使徒行伝等で触れられており、キリスト教が世界宗教として広まる一因となった。現在では全く自由であるが、正教会系の一部の教派・地域では割礼を行うことが奨励されている。近代以降、アメリカ合衆国などでは衛生的理由から、割礼が再び広まった(後述)。

この他、オーストラリアアボリジニーの間では尿道の下部を切開する「尿道割礼」が、ミクロネシア連邦ポナペ島の住人や南アフリカ共和国からナミビアにかけて居住するホッテントット族の間では片方の睾丸を摘出する「半去勢」が行われていたが、いずれも成年男子への通過儀礼としての儀式として行われており、これらも広義の割礼の一種と見ることが出来る。

このように「包皮の切除」は、宗教習俗の違いこそあれど熱帯や乾燥帯に住む世界各地の人々に見られる傾向があり(あるいは起源を持ち)、元々は衛生環境が悪化しがちの気候に住む人々の経験に基づく衛生予防上の習慣だったものが、宗教習俗上の意味合いを持つことで、宗教習俗の広がりと共により普及したと見られる。

なお、割礼を施した場合、男性器には切除した痕(割礼痕)が残るため、信仰を見分けるポイントになりうる。

歴史

ヘロドトスの記述[編集]

ヘロドトス(前484年-前425年)は『歴史』の中で、エジプト人エチオピア人が昔から割礼を行っている、と書いている。

ユダヤ教[編集]

創世記』17:9-14には、アブラハムと神の永遠の契約として、男子が生まれてから8日目に割礼を行うべきことが説かれている。(ヘブライ語のBritは契約を意味するが、割礼の意味でもあるという)。ユダヤ教では、この伝統を引き継ぐ。

また創世記34章には、ヒビ人ハモルの息子シケムに妹ディナを陵辱されたヤコブの子らが、ディナに求婚してきたシケムに対して計略をしかけ、割礼を受けた者でなければ娘を嫁にやれないと答え、それに応じてシケムの町の人々が揃って割礼を受けた3日後に痛みに苦しんでいるところをヤコブの子シメオンレビが襲って町中の男性を皆殺しにした記事がある。このことから、当時の割礼には日常生活に支障が出るほどの強い痛みが数日の間伴っていたことがうかがわれる。

イエスの割礼の日

キリスト教のカトリックでは、12月25日イエス・キリストの誕生日としているので、8日後に割礼を行うユダヤ人の習慣から、1月1日キリストの割礼の日、としている。同じくキリスト教の正教会では、1月14日を主の割礼祭として祝われる。

キリスト教布教と割礼

イエス・キリストの死後、キリストの直弟子であるパウロらの伝道旅行において、割礼の風習が無い地域にもキリスト教が伝わった。

しかしこの際、割礼の風習がない「異邦人」(=ギリシア人など)に対して伝道を行う際に、改宗した異邦人に対して割礼を行うかどうかが大きな問題になった。異邦人への文化適合を重視するアンティオキア教会と、律法(=旧約聖書)の厳格な遵守を重視するエルサレム教会の間で論争となった。紀元48-9年頃、エルサレム会議でも、割礼について議論され、最終的に「しめ殺した動物、血、偶像礼拝、不品行」を忌避すれば、割礼を含む他の律法の遵守は免除されることで合意が成立した。

キリスト教の信仰と、割礼の有無が、まったく関係ないことは、『新約聖書ガラテヤの信徒への手紙などで明確に述べられている。入信に割礼を求めないことは、割礼の風習が無い地域へキリスト教の信仰が広まり、世界宗教となる大きな理由となった。

なお、その後、紀元90年頃のヤムニア会議で、ユダヤ教とキリスト教は完全に分断した。

現代

キリスト教徒が約8割を占めるアメリカ合衆国では、宗教との関連ではなく、衛生上の理由および子供の自慰行為を防ぐ目的などの名目で、19世紀末から包茎手術が行われるようになり、特に第二次世界大戦後、病気性病陰茎がんなど)の予防に効果があるとされ、普及するようになった。また、医療従事者に割礼を行う宗教(主にユダヤ教)の信徒が多く、包皮切除に対する違和感が低かったため、という指摘もある。

1990年代までは生まれた男児の多くが出生直後に包皮切除手術を受けていた。アメリカの病院で出産した日本人の男児が包皮切除をすすめられることも多かった。しかし衛生上の必要性は薄いことが示されるようになり、手術自体も新生児にとってハイリスク[3]かつ非人道的との意見が強まって、1998年に小児科学会から包皮切除を推奨しないガイドラインが提出された。これを受け、包皮切除を受ける男児は全米で減少してきているが、21世紀に入ってからもなお6割程度が包皮切除手術を受けている。

また、「身体の統一性」および「自己の決定権」という意識から、生まれたときに勝手に行われた包皮切除を嫌い、包皮の復元手術を行い「ナチュラル・ペニス」にしようとする人も少なくない。アメリカの社会学者マスキュリストであるワレン・ファレルは男児への割礼強制を男性差別であると非難している。


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