聖書の正確性

神はすべてのものの上におられ、全知全能です。聖書に書いてある啓示は正確であり、その理解可能です。預言とは、これから起こることを記した歴史です。

いかなる預言もそれ自体で解釈すべきではありません。個々の預言は、聖書全体の文脈の中で理解されるべきなのです(2ペテロ1:20)。聖書から特定の章句を取り出して、文脈を無視した勝手な解釈は危険です。章句を聖書全体から解釈するならば、そこには何の間違いも誤った教義も見出せないということがわかります。神から与えられた預言は、その詳細に至るまで文字通り実現されるものですから、単に「霊的なもの」として解釈するだけでは不十分ですし、また、そうすべきではありません。

預言は、1)そのことが起こる前に告知され、2)人間の考えを超えたものであり、3)詳細にわたるまで記述されてあり、4)その告知と成就との間にかなりの時間的な隔たりがあるため、その成就に与らない人々もおり、5)個々の預言の詳細に至るまで間違えなく成就します。ちょうどキリストに関する預言がそのように詳細に至るまで正確に実現したように(ゼカリヤ11:12 / ゼカリヤ13:7 / イザヤ53:5、7 / 詩篇41:9 / 詩篇22:7-18)。

聖書はすべて有益なもの(2テモテ3:16)ですから、御言葉は正しく受け止めなければなりません(2テモテ2:15)。聖書のある箇所はユダヤ人に宛てて書かれ、別の箇所は異邦人のために書かれ、また他の箇所は教会に宛てて書かれています。「教会」という言葉は旧約聖書には出て来ず、新約聖書にだけ出てくる言葉です。聖書の預言は、国と国との関係について言及してはいません。それは、ただ、イスラエルと聖地との関係について述べているだけです。

すべての預言の要(かなめ)はユダヤ人です。ユダヤの民が神をないがしろにしたり、安息日を無視したりしなければ、「異邦人の時」は来なかったでしょう。「異邦人の時」は、神が地上の支配権を、紀元前606年にイスラエルの民からネブカデネザルに移した時に始まり、艱難を経た後に、イスラエルが再び「諸族のかしら」(申命記28:13)となるときまで続きます。

聖書の中でわかりにくい言葉を理解するための良い方法は、わかりにくい箇所に出会ったとき、聖書の中でもシンプルな言葉(例えばヨハネ3:16など)と照らし合わせてみることです。聖書の箇所はお互いに矛盾することはあり得ませんから、わかりやすい箇所を用いて、より難解な箇所を理解するのです。聖書のメッセージは一貫していますから、その真実に基づいていればどう解釈すべきか見えてくるはずです。それは「初出の法則」と呼ばれ、一般的に聖書の御言葉は、聖書の中に最初に使われた時の意味が、それ以降に使われる場合にも継承されます。

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