エジプトでヨセフと再会するヤコブ

創世記4614712

 

んだとっていたヨセフがきていることをったヤコブはヨセフのためらわずにのところにってさい・・はあなたをいましょう。」ということばに一族郎党(66)れてエジプトへきます(46:26)それは大変移動でしたなにせ何百キロにものりをすべての家畜移動するのですからかつてヤコブは伯父のラバンのむパダン・アラムかられとわれたベテルまでくまでに10ほどの期間していますなんとのんびりとしたでしょうかではえられないことですしかし今回はそんな猶予はありませんでした飢饉っていたからです

 

ヤコブ(イスラエル)めてれることになるエジプトへの移動においていろいろな不安れがあったとしてもおかしくありませんそのときわれました顕現聖書においてはしばしばですそれはある意味象徴的意味合いがあるかもしれません使徒パウロもしばしばその伝道旅行において特別経験をしていますそしてそれが人生きな転機になっていますそれはヤコブの生涯においてもそうですルズの(28:1315)パダン・アラムで(31:11)ヤボクのしで(32:2429)エジプトにかう途中のべエル・シェバで(46:24)シェケムでの顕現(35:1)けばすべてにヤコブはいていますしかも461での顕現ヤコブの生涯において最後のものとなりました

 

わたしはあなたのであるエジプトにることをれるなわたしはそこであなたをいなる国民にするからわたし自身があなたのいっしょにエジプトにまたわたし自身ずあなたをヨセフのはあなたのじれくれるであろう。」

このようにヤコブはられたのことばにまされてヨセフが用意したってエジプトを目指したのでした

ところで今回箇所げたい瞑想つありますひとつは4ヨセフはあなたのじてくれるであろう。」というのことばとヤコブがヨセフと22ぶりに再会する場面ヤコブがエジプトのパロを謁見する場面です

 

1.ヨセフはあなたのじてくれるとは・・

 

がヤコブにったことばの最後部分、「ヨセフはあなたのじるであろうとあります原文直訳ではヨセフはをあなたの両目くだろうという意味ですがこれはヨセフがヤコブの看取ることを意味します一見これだけなら兄弟一人としてヨセフも看取ることだといますしかし48でヤコブがヨセフの二人息子自分とするとしています(48:5)これは意味しているでしょうか

 

やがてはっきりとしてくるのですがヤコブの12息子たちがそれぞれカナンの相続地としてけるときにヨセフではなくヨセフの二人息子(マナセとエフライム)部族にも相続地えていますこれはヨセフが兄弟たちにべて二倍祝福たことになりますこの祝福ることができるのは、「長子権利がヨセフにえられたことを意味しますその意味はヤコブがエジプトに長子権利をゆずりすのはヨセフであることをにヤコブにされたとえられます事実ヤコブの死後のこともすべてヨセフにしていますので家督権はヨセフにえられたとえます

 

2.  22ぶりにヨセフと再会したヤコブ

 

ヤコブがエジプトのゴシェンのったあとにヨセフはえるためにそこへかいましたそしてうなりきつきそのにすがってけましたそのときのびは、「もうんでもよいこのであなたがきているのをたからは。」べていますこれは待望していた再会たせた最高びをわしています

イスラエルがめられることを(いを)んでいたシメオンが幼子イエスをいてをほめたたえましたがシメオンもヤコブとじことをべています。「こそあなたはあなたのしもべをみことばどおりらかにらせてくださいますがあなたのいをたからです。」ルカ22930節参照

 

やはりヤコブにとってヨセフは特別存在であったようですかにヨセフをってからのヤコブはきる意欲完全っていましたヤコブの生涯るならばイサクをしてのエサウから長子権利ったばかりに家族かられることを余儀なくされ無一文伯父ラバンのもとへ打算的なラバンのもとで20年間仕えましたその二人正妻とふたりのはしためから11息子(あとからもう一人)ましたが最後7年間でヤコブはかなりの財産げましたそれはくのどもたちをてるには必要なことでしたが同時自分リベカともうことなく自分するラケルをそしてヨセフをうというして幸福とはえない生涯んでたとえますヤコブがその人生においていをじた時期はエジプトにんでヨセフのくにせてからです13年間ヤコブは次第自分家族えていくのをながら平安のうちにえるのです

 

ヨセフの存在はヤコブの人生祝福をもたらしました一時いましたがそこにはのご計画されていましたヤコブにとってしみんだ22年間でしたが最後17至福ちただったのですこの祝福えてくれていたのです。「エジプトにることをれるなわたしはそこであなたをいなる国民にするとの約束真実だったのですこのようなたちとともにいてくださることはたちにとって希望となります

 

3.  ヤコブがパロを祝福したということ

 

ゴシェンの

イスラエルの家族最高であるゴシェンのむことになってからヨセフはヤコブをパロのもとにれてきて謁見させましたそのとき新改訳ではヤコブはパロにあいさつをした(47:7)していますまたパロのるときにもじくあいさつしてとあります(47:10)

新共同訳ではには祝福のことばをべたにはれのあいさつをした微妙えていますしかし関根訳中沢訳岩波訳バルバロではみなこぞって祝福したしています原文祝福した」「バーラフ(בָּרַךְ)強意形(ピエル)です

 

旧約聖書にはおいてはバーラフ(בָּרַךְ)強意形(ピエル)使われていますする祝福にピエルなのですして祝福するときはまってバーラフ(בָּרַךְ)強意形(ピエル)ですここ47710同様ですがなぜか新改訳ではあいさつをしたしているのですおそらくそれは日本的感覚ではないかといますつまり立場地位にある祝福するということは理解できても立場にいるして祝福するというはしないからだといます

とはいえ聖書使われる祝福するという動詞祝福された祝福するという意味使われていますして祝福する場合には祝福するとはせずに、「ほめる」、「賛美する」、「たたえるされます

 

あいさつをするされていてもそれはフレンドリーななれなれしい挨拶ではなく敬意わした挨拶であることには間違いありませんがこのあいさつするというニュアンスにはどうしても権威をもって相手対峙して祝福するというニュアンスがわってません英語でははっきりとJocob blessed Pharaohしています

このようなについてのいめぐらしはたちがこの権威あるしてどう対峙するかをえさせますこの権威意識しすぎてじてしまうかそれとも権威をもってつまりこのでの相手地位影響されることなくれることなく対峙して祝福することができるかどうかがわれているようながします

 

えてみるならばエジプトが飢饉にあってかであるのはヨセフの知恵のゆえですそのヨセフは自分をこのエジプトにわされたとえているのですそのヨセフのであるのヤコブがエジプトのパロを全能権威をもって祝福したとしてもして不自然なことではありません創世記作者(聖霊)祝福するというバーラフ(בָּרַךְ))強意形(ピエル)をどうえて使ったかいめぐらすことはとても重要だとえますエジプトのパロはヤコブの祝福によってきているのです

 

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