日本キリスト教史から学ぶ宣教学
                          
                               神田宏大
               < 野崎キリスト教会 主任牧師>

 - 目次 -
 第 一部  日本キリシタン史から学ぶ宣教
 はじめに / p.22
一、ザビエルの日本理解と宣教計画 / p.23
二、キリシタン史の初期に於ける宣教の実態 / p.26
三、キリシタン迫害に至る道程 / p.28
 第 二部 日本におけるキリシタン迫害と潜伏
一、徹底した国家プロジェクトとしての弾圧 / p.32
二、キリシタン弾圧が日本人に与えた影響 / p.35
 結びの言葉 / p.40

 第 一部  日本キリシタン史から学ぶ宣教

 はじめに

 私が神学校の卒業論文でテーマにしたのは、『日本風土に於ける土着の方法』であった。 
 私はその論文の緒論の中で、「異教文化の中に福音が土着する場合、武田清子の『土着と背教』によれば、
一、埋没型 二、孤立型 三、対決型 四、接木型 五、背教型 の五つの型に分類されるが・・と引用し、次のように述べた。
 日本キリスト教史の初期はキリシタンと呼ばれるカトリックが来て「対決型」で伝道した。その結果は世界のキリスト教会史上、ローマを別にすれば類を見ない程の残忍な迫害で終わった。
 次に、明治初期にやって来たプロテスタントは、「接木型」の方法を考えて、儒教の完成としてのキリスト教を伝えようとした。その結果は、日本帝国憲法・第一条に記されているように、「天皇は神聖にして犯すべからず」と、天皇が「現人神」として『絶対神聖化』された帝国主義の前にキリスト教会が無力化し、最後には日本キリスト教団委員長が神社参拝を行い太平洋戦争の先勝祈願まで行ったのである。キリスト教信仰が日本帝国主義の前に埋没し、無力化してしまったことを二十三歳の時に書いた卒業論文で述べた。
 
 現在六十三歳になる私が、日本宣教の初期、キリシタンといわれたカトリックが来日して宣教した歴史を通し、また、自分が日本伝道の最前線で戦って学んだ経験をも含めて、この論文を通して、韓国で日本の宣教を志す先生や兄弟姉妹と共に学んでみたい。 
 キリシタンの宣教活動の結果は、ローマを別にすれば世界のキリスト教会史上類を見ない残忍な迫害で終結したが、最初の宣教師ザビエルが来日して五六年目の一六〇五年には信徒数約七五万人を数えるまでに成長した。  
 なお当時の日本の人口は約千五百万人から二千五百万人程であったことから考えると、「対決型」の宣教方法は決して誤ってはいなかったと考えられる。
 現在の日本では礼拝出席者が二五万人から三五万人であるという。しかも日本の人口が一億二千五百万人というのに・・。
 しかしこの後、徳川家康に始まる徳川幕府の取った徹底した迫害は、最後の宣教師・シドッチを取り調べた幕府の要人であった新井白石が「キリシタン信者・二、三十万人を誅(殺)した」と、悲惨なキリシタン迫害と殉教が行われた事を端的に述べている。日本に於ける徹底した異常なまでのキリシタン迫害と撲滅政策が、キリシタンの探索・捕縛の歴史として二六〇年間も続いたのである。
 この講義を通して、日本のキリシタン宣教の成功の歴史と迫害に至る問題点を検討し、これからの日本宣教についての学びのヒントにしたく願っているである。

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