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日本の巨大古墳100


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大仙陵古墳(info-mappingよりの転載)


世紀中頃から7世紀末にかけて,奈良・大阪や岡山・群馬など日本各地(北海道・東北一部・南西諸島を除く)で多くの古墳が築造されました。現在,ほとんどの古墳には木や草が茂り,山のように見えます。しかし,築造当時は石室に土が盛られ,その周りに石が葺(ふ)かれ,埴輪が並べて置かれた人工の山のようであったでしょう。その様子は復元された奈良県のナガレ山古墳などで見ることができます。
さが100mを超える巨大古墳も日本に多く存在します。それらのほとんどは前方後円墳で,中でも大仙陵古墳の墳丘長は486mもあります。(1辺が230mのエジプトのクフ王のピラミッドよりも大きい。)このような形,大きさの墓がただ一人の人間(=首長)のために造られており,築造のために人々を動かした力の大きさは強大なものであったと推測されます。また,弥生時代の各遺跡に見られる不統一形の墓とは大きく異なり,大きさの違いはありますが「前方後円(前方後方もある)」という一定のルールに従った設計で形が統一されています。これは何を意味するのでしょう。
墳の大きさから国の支配体系的な意味を考えることもできます。古代の日本は中央で権力を握っていた者の指示によって一定の法秩序の下に動いていたとします。古墳の大きさはその権力者の力の大きさを示すのです。大きな古墳は近畿地方に集中しています。大王と呼ばれる権力者を中心とした集団(=大和王権・大和政権)が存在したのです。
方後円墳と名付けたのは江戸時代の学者で蒲生君平です。「山陵志」という書物を著し,その中で使った言葉です。この時,古墳の前・後という位置関係を決めてしまったので,それ以降,そのままこの呼び方が使用されています。そして,宮内庁管轄の古墳では前方側を見るように鳥居が立っています。しかし,上の航空写真をじっと見ていると,武具の盾(たて)の形にも見えてきます。また,写真の向きを上下逆にして見ると,土器の広口壺(つぼ)の形にも見えてきます。実際,そんな形の土器が各地の古墳から出土しているではないでしょうか。「円は天を,方は地」,「あれは石枕の形」など諸説あり,何をもとにした形なのか特定はされていません。筆者はこれら古墳の形は女性の子宮と関係があるように思えてなりません。


このページの内容
神話に出てくる古墳
古墳の区分
古墳の大きさベスト10
石室(古墳内部)
100mを超える巨大古墳100
埴輪日本最大級の埴輪工場
整備された古墳
最古の古墳
古墳の形
九州の古墳

ちょっと珍しいかも


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