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悔い改めて帰れ
使徒 3:11-19
使徒 3:11-19
「悔いる」と「改める」の二字をつないで作った、日本語の「悔い改める」は、聖書の思想とはだいぶ食い違うように思います。「悔いて改める」“悔い改め”は、聖書の“repentance”と同じではありません。
ルカが福音書と使徒言行録で使ったギリシャ語の方から言うと、その本来の意味は「考え方を根本的に変える」ことが中心になります。これに対して、イエスがいつも弟子たちと群衆に語られたヘブライ語(ないしアラム語)の方からいうと、「帰」、「元のところへ戻る」意味が強くなります。浸しのヨハネが「悔い改め」の浸しを行ったというのも、あれは「立ち戻り」のバプテスマ、「神に帰る」バプテスマだったとは、マタイの研究の時にも申しました(第5 講,書籍版p57)。その続きとしてここを読むと、「立ち返って立ち戻れ」とでも言うかのように、二つの同義語で畳み掛けるように、そうです、「馬から落ちて落馬せよ」と似た反復の表現で、「帰れ」―“come back”―“回来”(huilai)という感じになっているのです。(最後のは中国語)
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