「永遠の父 平和の君イエス・キリスト」
さて、今年2011年は、IBM創業100周年、不二家のペコちゃん誕生60周年、カップヌードル製造40周年、ドラえもん誕生30周年、ソ連崩壊20周年、9・11テロ10周年だそうです。私たちは節目の年には過去を振り返ることで自分の立ち位置を確認するということが多いですね。ところがキリストの誕生については毎年毎年祝うんです。生誕2000年だけではありません。毎年毎年、世界中でクリスマスが祝われます。キリストの到来は人類歴史に計り知れない影響を与えたからです。このキリストの誕生の700年前それをあらかじめ預言していた旧約聖書のイザヤ書には次のように書いてあります。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」(イザヤ書9:6)
神は永遠の存在である方
有限な父と永遠の存在
しかし正直言いまして私は父のことを何一つ覚えていないんです。なぜなら私が2歳になる前に父は死んでしまったからです。母に聞くと本当に子煩悩で素晴らしい父だったようですが、病には勝てず私の中に記憶一つ残さずに亡くなってしまいました。その後の私の生い立ちは決して生易しいものではありませんでした。ぬくぬくと育った時代は終わり、試練が続く少年時代となったのですが、全ては父が永遠の父ではなかったことに起因するんです。どんなにあったかくて大きな存在であったとしても、いつかは去っていかなければならない父、寿命のある父、有限な父だったんです。しかし私たちを本当の意味で見守り、支え、生かし、養い育てる神は永遠の存在なのです。途中であなたを捨てることはありません、途中でこと切れることもありません、永遠にわたって滅びることのない方、何があっても困ったり行き詰まったりしない方、永遠の世界までもあなたの保護者となる方、これが神の永遠性なのです。
神は父である方
第二にこの方は永遠の存在であるだけではなく父なのです。キリストはこの天地万物の全てを創造なさった偉大なる神ご自身を、私たち小さな人間の父親のように、親しい暖かい愛と交わりを提供してくださる方として示してくださったのです。
大統領から送られたプレゼント
今から150年ほど前リンカーンという大統領がいました。今日でもアメリカ史上最も尊敬されている大統領です。奴隷解放を成し遂げ、アメリカの分裂を食い止め、今日のアメリカの繁栄の基礎を築いた人物です。あるとき彼はホワイトハウスの窓からすぐ近くに見える小学校を眺めていました。子供たちが無心に走り回る姿はリンカーンにとってもすごく好ましいものだったのです。ところがその日何か様子が変なのです。小学校の校庭で誰かをやじったり、攻撃したりする声がこだましてきます。目を凝らしてよく見ると、一人の小学生が周りを取り巻く沢山の子たちからいじめられていたのでした。「貧乏人、貧乏人、靴も鞄もボロボロだ!」はやし立てられながら一言も言い返せない小学生はただ立ちつくすだけだったのです。実はワシントンD.C.にあったその小学校は、高級官僚や、中央政府の閣僚たち、政治家たちの子息たちが通う学校で、皆それなりに裕福な子たちばかりだったんです。教師もそれを知っていて服も鞄も靴もピカピカにしてくるのがマナーなんだと教えていたんです。ところが調べてみると、いじめられている子の父親は先の南北戦争で命を落とし、未亡人となったお母さんはよその家にお手伝いとして働いていたのです。貧しい身なりの少年の姿にリンカーンはかつての自分を重ねて見ました。
キリストから送られたプレゼント
神は平和の君である方