先日、海外ニュースでアメリカの授業参観の様子が紹介されていました。参観の前日の授業で先生は小学二年生たちに磁石とその性質について説明していました。それで参観当日に生徒たちに質問したんですね。「さあ問題です。私の名前はアルファベットの“M”から始まる6文字です。私は物を拾い上げます。さて私は誰でしょう。」もちろん答えは「マグネット(magnet)」ですね。ところがクラス中の生徒はその答えに驚いているではありませんか。何とほとんどの子供たちはまだ「お母さん(mother)」と思ってたっていうんですね。確かに“M”の文字から始まる「お母さん」は物を拾い上げてくれる人です。自分たちが散らかした物、落とした物、頼み事の一つ一つを拾い上げて面倒を見てくれる人ですね。お母さんこそは究極のセーフティーネットです。この頼りになる人とつながってるからこそ子供たちは健全に成長していくことが出来るんですね。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる。』」
創造主が約束された救い主イエス・キリスト
人の姿をとられてこの世界に来られた理由
第一に人類に罪からの救いをもたらすためです。スピルバーグの監督の映画作品の一つに「プライベート・ライアン」というのがあります。ライアンは4人兄弟の末っ子です。そして上3人は皆戦死してしまいます。お母さんの心痛を考えた陸軍長官はライアンを戦場から戻すように命じます。ところがその当時ライアンはドイツが占領するフランスの戦場にいたんです。彼の周りには完全にドイツ軍が取り囲んでいます。このライアンを戦場から呼び戻すために最強のレンジャーチームが8人選抜されるんです。彼らはたった一人のライアン一等兵を救出するために、次々と命を落としていきます。彼が生きて戻るためにほとんど全員が死んでしまうんですね。晩年になったライアンは、子供たち、孫たちと一緒にレンジャーチームの墓の前に行くのです。そして涙ながらにこう言うんです。「私はあの犠牲にふさわしい人生を生きて来ただろうか。あの人たちの命が失われるのに値する生き方が出来てきただろうか。」傍らで年老いた妻が「ええ、そうよ」と優しく労わるシーンです。私はこの場面にむしょうに感動するんです。なぜなら私のために一度人となった力ある神、イエス・キリストが十字架の上で命を捨ててくださったからです。私は、キリストが命を捨ててまで救い出すだけの生き方を、今までしてきたんだろうかと問わずにおれません。そしてキリストはあなたを罪の刑罰から救うために死んでくださった方、死んでよみがえってくださった方なのです。
今も生きて働く力ある神
第二にキリストは神の力を示すためにこの世に来られ、また今なお生きて働いておられる方なんです。今から百数十年前、イギリスにジョージ・ミューラーというクリスチャンがいました。彼が生きたころのイギリスは、神なんか必要ないという風潮で満ちていました。ミューラーは神の御力を示すために祈りと信仰だけで孤児院を経営するようになりました。初め30人でスタートした孤児院は、やがて100人、300人、3000人、1万人と拡大していきましたが、ただの一度も寄付を募ったり、スポンサー探しをすることはなかったのです。ただ神に祈り、信仰によって孤児たちを養っていったんです。ある嵐の朝、孤児院には400人の子供たちに出すパンが一切れもありませんでした。ミューラーは全員の子供たちを食堂に集めて食前の感謝の祈りを捧げました。その祈りが終わる前に大きな馬車が孤児院の前に到着したのです。そこには有り余るほどのパンとミルクがありました。それはパン工場の労働者達のピクニック用のお弁当だったのです。大雨のためにピクニックが中止になったので、どうぞ引き取って欲しいと言って運ばれてきたのでした。このような祈りの答えは五万回にも上ったのです。彼は、神は今も生きて働く力ある神なのだということを証したんですね。
約束したことを実行する愛の神
http://biblegospel.org/zen2/z611.html