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露骨に欲望を満たそうとする
クリスチャンはいないでしょう。
しかし、偽装している人は
いるかもしれません。
外面はいい。
しかし、内面は汚らわしい。
そんな人、結構、多いです。
ひょっとしたら、私も、
そして、あなたもかも。

聖書に神の戒めに絶対服従を
説き、自らもそれを実践する
生真面目な連中が登場します。
そう、パリサイ派の学者さんたち。
聖書に忠実に生きようと
しているんだから、イエス様にも
褒められそうなんですが、
果は、その逆。
イエス様は弟子たちに
「パリサイ人のパン種に
気をつけなさい。
それは彼らの偽善のことです。」
と語られました。


ここで偽善と訳されている
ギリシャ語・ヒュポクリシスは、
元々は、演技する、装うという意味。
つまり、イエス様の目、神の目には、
敬虔さを装っている、いい子ぶってる
ようにしか見えなかったのですね。
挙げ句の果てには、イエス様に
白く塗った墓と言われる始末
(マタイ23:27-28)。
もうボロボロです。


問題は、彼らが、自分等の落ち度に
気付かないところ。
結果的には、イエス暗殺を計画
するにまでいたってしまいます。


この構造は、今も散見されますね。
絶対に正しい方は、神様しか
おられないのに、
あたかも自分が神であるかのような
錯覚に陥って、意見や信条の違う者を
粛清しようとする傾向。
世界史を見れば、歪んだ信仰により、
教会は、神の名により、度重なる
蛮行を繰り返してきました。
しかし、なぜ、現在に至るまで、
こんなバカな事を繰り返して来たのか。


それは、人間は、自分は正しいと
信じたい根源的欲求があるからです。
しかし、クリスチャンであれば、
誰でも知っている筈。
人間は、自らの努力では義と
されないことを。
ところが、教条主義・パリサイ主義に
冒されると、聖書のことばより、
教理・教条が優先されてしまうので、
その色眼鏡を通してしか判断できなく
なってしまいます。

自分は正しい、特別なんだ、そういう
思いは、時として、最も危険な欲に
変質します。
そして、その欲は排他性という
罪を生み出し、死へと導いていきます。
正しい方は、私でも
あなたでもありません。
正しい方は、神様とイエス様と聖霊の
三位だけです。
どうか、自分の弱さを忘れず、
その弱いところに働いていただいて
実を結ぶクリスチャンになってください。

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