過去のキリスト教宣教

 

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    このような文化的特徴を持つ日本で、キリスト教宣教が行われました(あえて福音宣教とは言いません)。450年ほども前のカトリックの宣教は、瞬く間に30万人以上の帰依者を得たといわれています。これは当時の日本の人口から見て大変な数です。このような大成功を見てから、およそ300年ほど後に始まったキリスト教伝道が獲得した信徒の数は非常に少ないものです。この違いはどこから来たのでしょうか。これは単純な問題ではありませんが、2つのことが考えられます。1つは、ザビエルなどに代表される450年前の宣教は、明治時代に再開されたキリスト教宣教と比べて多きく異なる点があったということです。もう1つは、300年ほど前に日本人の精神に大きな変化があったのではないかということです。

1.2つの時代の宣教方法の違い


 450年前のイエズス会を中心としたカトリックの宣教の特徴は、徹底したスコラ哲学を背骨としていながらも、表面上は日本の文化に対して非常に深い理解と憧憬を持って取り扱い、日本の大衆社会に敵対するような態度、あるいは方策をとらないように配慮したということです。これは少し遅れて日本に入ってきて日本文化を侮蔑的に取り扱ったドミニコ会との間に少なからぬ軋轢を生み出しましたが、何と言っても先に入ってきたイエスズ会の力は強く、一般大衆としての日本人との間には、強い信頼関係が築かれていました。

 これに対し、明治時代のキリスト教宣教の特徴は、文化的、人種的優越感による宗教的、文化的侵略の色彩が強かったと断言できます(善意にあふれた犠牲的、献身的宣教師の働きに感謝しながらも)。宣教師たちは日本人という野蛮な民族を、進んだ西欧キリスト教文明で教化しようとしたのです。当時の実利的な日本人は、西欧から学ぶ意欲にあふれていました。しかし、賢く目ざとい日本人は、キリスト教が日本社会の和を根底から覆す危険性を秘めていることに気づいたのです。この当時、クリスチャンになった多くの者は、廃藩置県で身分を失った下級武士などが多く、武家社会の理念が覆されてしまった人々、あるいは、さらに覆されることを願った革命的精神にあふれた人々で、自分の生きている社会の和を大切に存続させようとした人々ではなかったのです。

2.ザビエルの時代の大衆


 ザビエルの時代には、神道も仏教もそれなりにかなり高いレベルに発達していたとはいえ、日本全体から見ると大衆レベルの共同体意識の中枢までは、まだ浸透していなかったのではないでしょうか。「和を以て貴しと為す」と定められてから、すでに何世紀も経っていましたが、それが大衆レベルで排他的な和になるまでは至っていなかったということです。かえって戦国時代の日本は、歴史の中で、社会的にも精神的にも最も流動的であり、大衆は自分の所属する場を求めて揺れ動き、新しいものや変化をむしろ期待を持って受け入れていく機運を持っていたのです。ですから大衆の間では、異なった宗教に対しても大げさな拒絶と排斥は起こらず、カトリックは「異国の宗教」というハンディキャップを超え、むしろ期待を持って受容され、勢力を伸ばすことができたと考えられるのです。

3.為政者の反応


 当時のカトリックを拒絶し迫害したのは、大衆ではなく為政者たちでした。彼らは為政者独特の鋭い感覚で、「絶対者であるゼウスに絶対の忠誠を尽くす」という教えが、相対社会である日本の和の文化、バランスの文化に合わず、天下統一と平定という目的のために益しないことを看取したのです。日本はすでに何世紀もの間、天皇と幕府という2つの力が、相対的に上手にバランスを保ちながら共存してきた不思議な国なのです。ここに「絶対」の観念を持つキリスト教が参入することは、為政者にとってはたいへん危機で迷惑なことでした。彼らはまた、カトリックがスペインやポルトガルの植民地政策の手先でもあったという事実に気づいていました。初めは、強くなりすぎた仏教勢力に対抗させるため、カトリック優遇政策をとりましたが、ひとたび天下統一を成し遂げた徳川幕府にとって、カトリックは幕府安泰と治安維持のために大きな脅威であり、是非とも根絶しなければならなかったのです。

4.増幅された和の感覚


 徳川幕府は厳しい弾圧を行い、主に仏教と儒教を利用し、平民自治政治の地域社会と武家社会を完成し、キリシタン禁制と監視の細かいネットワークシステムを作り上げました。これを可能にしたのは、すでに長い間存続してきた素朴な和の概念です。為政者は仏教と儒教を用いて意図的に、この和を増幅させ統治に利用したのです。大衆は「お家」や檀家、宗門人別帳、町名主、五人組など数々の制度によって地域社会に縛り付けられ、非常に保守的で排他的な全員相互監視社会ともいえる社会と精神構造を持つように作り上げられてしまったのです。こうして意図的に増幅された排他的な和は、大衆まで浸透し、日本的和になってしまいました。特に五人組は、第二次世界大戦に至ってまで、隣組として復活させられ、相互監視の役割を担ったのです。

5.反社会的キリスト教の侵入


 このような社会がおよそ250年も続いた後、文化的侵略の色彩を強く帯びたキリスト教が入ってきました。キリスト教が激しい抵抗に遭遇することになったのは、不思議なことではありません。とくにキリスト教が徹底した一神教、絶対の神の意識で、あらゆる宗教を偶像教と決めつけ、そのような宗教色を帯びた習慣、風習、行事を、神の忌み嫌うものと断定して攻撃し、相対的なものの考え方を弾劾し、地域共同体を無視した個人主義を主張するに及んで、反社会的宗教として最も嫌われる悪となったのです。単純素朴な宗教本能を源としている日本人の宗教意識、つまりシンクレティズムを当然として社会に使えることを良しとする宗教意識からすると、社会をも神に服従させることを要求し、社会を弾劾し、個人を共同体に優先させるキリスト教が排斥されたのは、当然といえば当然のことです。

 宗教的には、徹底的に排他的な態度の宗教は、日蓮宗を初めとしてかなりの数に昇ります。これらの宗教は、排他性と非寛容性のために多くの問題を起こし排斥されましたが、それ以外の点では日本的であったため、全体としては排斥のマイナスをカバーすることができ、やがては受け入れられ、日本の和の中に包み込まれていったのです。近代では天理教、現代では創価学会がよい例です。
 ところがキリスト教は、何から何まで日本の文化に馴染むことができませんでした。クリスチャンの倫理的生活と善行は賞賛の的になったとしても、かえって社会に馴染まない拒絶的な孤高となり、堅苦しいと思われ偽善と解釈されるようになりました。宣教150年近くになろうとしているのに、キリスト教の高慢な排他性は変わらず、日本社会の拒絶も変わりません。

6.現代日本人のキリスト教観


 現代の日本人の多くは、キリスト教は偉大だと言い、聖書も素晴らしいと言います(たぶん旧約聖書は読んでいないのでしょう)。しかしキリスト教は嫌いだと言い、教会も嫌だと言います。クリスチャンについても、個人的には受け入れ尊敬しているとさえ言いますが、社会的に見ると鼻持ちならなくなり、自分がクリスチャンになることは社会的に不可能で考えられないのです。

 個人的には、西欧個人主義の影響もあって、キリスト教によい感情を持っている人は非常に多いのですが、社会の和の面からキリスト教は受け入れられないのです。西欧個人主義の衣を着たキリスト教は、和を重んじる日本の共同体社会にとって、和を破壊しかねない脅威なのです。共同体の中で、個人個人が自分の権利を主張して、勝手なことをしだしたらどうなるか、誰にでもわかることです。和の共同体社会の日本で許される個人主義は、やはり日本的な個人主義であり、芸能や芸術、趣味の世界、つまり共同体の和にあまり影響のない分野に限られた個人主義です。

 最近の欧米化、都市化、産業分化により、日本においても欧米に似た個人主義が強くなってきました。地域共同体意識、血族共同体感覚の薄い地域、例えば新興団地では、伝道が比較的やさしいのは誰もが認めるところです。そこで、ある種のクリスチャンたちは、日本の伝道には日本文化の欧米化が必要だと考え、日本文化を非難し、排斥し、欧米文化を持ち込もうと懸命に努力している始末です。しかし日本全体としては、まだまだ共同体意識が根強く残っています。核家族という言葉が当てはまる環境に生きている日本人は、以前の共同体に変わる新しい種類の共同体を求めてさえいます。長い間、極端な個人主義を主張してきたアメリカでも、ここ2,30年の間に、新しい共同体を求めて模索する学者や思想家が増え続けているのも興味深い傾向です。
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