私の喜び
- 詩116:1-19 -
「わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。生 涯、わたしは主を呼ぼう。」(詩116:1-2)
苦しい試練を乗り越えたことのある信仰者は、この詩編作者の喜びを理解することが できるだろう。彼は希望がないと思われるくらいに苦しい状況に置かれた。しかし、彼 は落込んだりあきらめたりせず、神に祈った。そして、神の恵みと愛の内にいた。この ように神を信じて神に助けを求める者は、真の喜びを味わう。
1. 主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。(詩116:1)
- 生涯、わたしは主を呼ぼう。(詩116:1-2)
⑴ 詩人は艱難や悲しみに合った時、神に祈り助けを求めた。
「死の綱がわたしにからみつき、陰府の脅威にさらされ、苦しみと嘆きを前にして主 の御名をわたしは呼ぶ。どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」(詩116:3-4)
<参照; 詩116:10-11>
⑵ 試練は予告なくやってくる。そのとき私たちはどうすればいいのか?
① 恨んだり落込んだりせず、むしろ神様に助けを求めよう。
「それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって、お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」(詩50:15)
「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためであ る。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世 に勝っている。」(ヨハネ16:33)
② 神様は私たちを決して忘れないということを覚えていよう。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないで あろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決して ない。」(イザヤ49:15)
③ その実例
「渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして來て、 彼らは水をかぶり、危なくなった。弟子たちは近寄ってイエスを起こし、先生、先 生、おぼれそうですと言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになる と、静まって凪になった。」(ルカ8:23-24)
⑶ この時間、自分と家族と隣人のために、神様に祈りたいことを書いてみよう。
<参照; エレミヤ8:6>
2. 主は憐れみ深く、正義を行われる。(詩116:5)
- 救いの杯を上げて主の御名を呼び、満願の献げ物を主にささげよう。(詩116:13-14)
⑴ 神は憐れみ深く、正義を行われる。
① 神は私を救ってくださった。(詩116:6)
② 神は私に報いてくださる。(詩116:7, 15)
③ 神は私を助け出してくださった。(시116:8, 16)
⑵ 私は神の恵みに心から感謝します。
① 神の御前に歩もう。(詩116:9)
「命あるものの地にある限り、わたしは主の御前に歩み続けよう。」(詩116:9)
② 神の恵みに答えよう。 (詩116:12-14, 17-19)
「救いの杯を上げて主の御名を呼び、満願の献げ物を主にささげよう、主の民すべての見守る前で。」(詩116:13-14)
③ その実例:
* 「私はあなたの腕に抱かれる前は本当の幸せを知りませんでした。」と言ったア ウグスティヌスは、ある日神に祈って答えれられ感激し、「おお、神様、私はあ まりにも遅くあなたを愛するようになりました。主よ、明日一日、主の御顔を見 ることができるなら、どんな苦しみにも耐えることが出來ます。」と祈った。
* 大人になったら愛に報いることができるように、成長したキリスト者になれば、 神の愛に答えるようになる。
だれでも苦しみや試練を、神の助けによって解決された経験があるだろう。神の御手 の業を経験したことがある人は、自ら神をたたえるようになるだろう。また、その生涯 を神に委ねて祈るようになる。そして、救いの喜びの中で生きる平安の人になる。