奇蹟と信仰
マタイ11:26 -
「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(マタイ11:5-6)
1. 奇蹟
⑴ 奇蹟は?
① 人間の救いの御計画をもってこの世界とかかわられる神のみわざである.
⑵ キリストにおける奇蹟は?
① メシヤ預言の成就を証言するものとなっている.(マタイ11:26,ルカ4:1821)
② 救い主のメシヤ性を現すものである.(マルコ2:10,ヨハネ5:36,6:14,使13:33)
「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。」(マルコ2:10)
⑶ 奇蹟に現された,自然界,病苦,死,悪霊に対する主の権威と力は?
① 罪の悲惨と滅びとからの解放と終末論的希望に結び付くものである.
2. 奇跡と信仰とのかかわり
⑴ 奇蹟が行われたにもかかわらず悔い改めなかった町々をイエスは責められた.(マタイ11:20ー24)
⑵ ナザレでは,その不信仰のゆえに多くの奇蹟をなさらなかった.(マタイ13:58)
「人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。」(マタイ13:58)
⑶ 信仰にとってはモーセと預言者の教えで十分であるとされた.(ルカ16:29ー31)。
⑷ トマスへの,「見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:29)とのイエスのことばは,信仰にとっての奇蹟の位置付けを明確に教えるものである.
3. 使徒たちの福音宣教において奇跡
⑴ 御自身のみことばの真実性と権威とを,「しるしと不思議とさまざまの力あるわざ」 (ヘブラ2:4)によりあかしされた。(使14:3)
「二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。」(使14:3)
⑵「神は今日,奇蹟を行うことはできない」とする立場は,神をこの世界から締め出す誤った考えに通じるものである.
⑶ 同時に奇蹟を求め,奇蹟がなければ神を賛美することができないとしたら,それは摂理における神の栄光を軽んじることになる.
4. 歴史において奇蹟
⑴ 常に一様に見られたわけではなく,奇蹟の頻繁な時期とそうでない時期が歴然としている.
⑵ 神は特定の時期により多くの奇蹟を行われた.
① 出エジプトの時代
② 偶像礼拝との戦いの激しいエリヤ,エリシャの時代
③ バビロン捕因の時代
④ イエスと使徒時代
⑤ 信徒と教会時代
終末に,キリストの再臨に関連して起る様々な奇蹟,超自然的現象を聖書には預言している.