満ち満ちた喜び
- Ⅱコリン8:1-7 -
「兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。」(Ⅱコリン8:1-2)
使徒パウロはコリント教会の聖徒たちに手紙を送って、自分が滞在中であるマケトニアの教会(ピリピ、テサロニケ、ベレヤ)の模範的な献身を紹介している。
我々も初代教会のキリスト者たちの満ち満ちた喜びと献身がどのようにして出來たかを深く考えましょう。
1. 信仰によって受けた救いのゆえに
⑴ すべての罪と過ちを赦された喜び (詩51:12, Ⅲヨハネ1:4, Ⅱコリン8:2, イザヤ35:10)
-「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。」(詩51:12)
-「自分の子供たちが真理に歩んでいると聞くほど、うれしいことはありません。」(Ⅲヨハネ1:4)
-「主に贖われた人々は帰って來る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰りく。喜びと樂しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。」(イザヤ35:10)
⑵ イエス․キリストの恵みと知識において、成長して行く者の喜び (Ⅱペトロ3:18)
-「わたしたちの主、救い主イエス․キリストの恵みと知識において、成長しない。このイエス․キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、」(Ⅱペトロ3:18)
⑶ 病気にかからず、元気に暮らしている者の喜び (マルコ5:25-34, 使8:4-8)
-「さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。…イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」(マルコ:25, 34)
-「実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。」(使8:7-8)
2. イエス・キリストの中にある希望のゆえに
⑴ 魂を救われる伝道者(主の弟子)の喜び (使16:14-15)
-「彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に來てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。」(使16:15)
⑵ 新たな力を得、イエス・キリストの証人になる喜び (イザヤ40:31, 使1:8)
-「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)
-「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使1:8)
⑶ 一つの霊によって、共に恵みを体験する喜び (Ⅰコリン12:12-27)
-「一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。」(Ⅰコリン12:13)
⑷ 激しい試練を受けていたのに、満ち満ちた喜びを体験する喜び (Ⅱコリン8:2, ヨハネ14:27)
-「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」(ヨハネ14:27)
3, 神の愛に感謝する献身のゆえに
⑴ 極度の貧しさの中で献身する喜び (Ⅱコリン8:2, ルカ21:4)
-「あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」(ルカ21:4)
⑵ 神の御心を行い、その業を成し遂げる喜び (ヨハネ12:3, ルカ7:37-38, 使4:34-37)
-「マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って來て、イエスの足に 塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。… イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日 のために、それを取って置いたのだから。」(ヨハネ12:3, 7)