愛と赦し
- ルカ23:32-34 -
ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。 「されこうべ」と呼ばれている所に來ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯 罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々は くじを引いて、イエスの服を分け合った。(ルカ23:32-34)
私たちがどうすれば愛され赦されることができるのかを学ぶために十字架につけられたイエス様を見上げよう。また、どのすれば赦し、愛することができるかを学ぼう。
1. 十字架の死を耐え忍ぶイエス様の愛
⑴ 敵対者たちの邪悪な行動に対して - 「十字架につけた。」
「「されこうべ」と呼ばれている所に來ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。」(ルカ23:33)
⑵ 十字架の苦痛に対して - 「十字架の死に至るまで従順でした。」
「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(ピリピ2:8)
「わたしは水となって注ぎ出され/骨はことごとくはずれ/心は胸の中で蝋のように溶ける。口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のよ うにわたしの手足を砕く。骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め/わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。」(詩22:15-19)
⑶ 十字架の苦痛を耐え忍びに対して - 「十字架の死を耐え忍び」
「...このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」(ヘブラ12:2)
2. 十字架の上で行ったイエス様の赦し
⑴ 十字架の上で対敵者たちのために祈られた。
- その罪悪は彼らの無知だとし、それをとがめない祈りであった。
「〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。(ルカ23:34)
⑵ 十字架の上で悔い改める罪人を赦された。
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に樂園にいる」と言われた。(ルカ23:42-43)
* イエス様は弟子たちに愛と赦しについて教えられた。
「立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」(マルコ11:25)
「ペトロがイエスのところに來て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」(マタイ18:21-22)
「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに來るなら、赦してやりなさい。」(ルカ17:4)
* ステファノ執事の愛と赦し - 殉教死する瞬間まで対敵者たちのために祈られた。
「人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせ ないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。(使7:59-60)
3. イエス様の十字架の教訓
⑴ 自分を捨て、主に従いなさい。と言われた。
「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコ8:34)
⑵ 二度と私たちが罪の奴隷にならないように祈られた。
「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。」(ローマ6:6)
⑶ 十字架の血によって万物をご自分と和解させられた。
「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。(コロサ1:20)