神と人と闘って勝った力
- 創32:28-29, ホセア12:3-4 -
「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は 言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前 は神と人と闘って勝ったからだ。」(創32:28-29)
「ヤコブは母の胎にいたときから、兄のかかとをつかみ、力を尽くして神と争っ た。神の使いと争って勝ち、泣いて恵みを乞うた。…」(ホセア12:3-4)
ヤコブは寂しい人間であった。そして虫けらのような者であった(イザヤ41:14)が、神と人と闘って勝った。ヤコブが神と人と闘って勝ったこの不思議な力につ いて考えて見ましょう。
1. こんな力はどこから生じるのか?
⑴ その力は主の恩寵から生じる。
- 主は私たちの悲しみと弱さを放って置かれない。(詩34:9, 23:7)
「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。」(詩34:9)
⑵ その力は神の約束から出る。
- 主は信じ頼る者に約束された通りの全てを成し遂げてくださる。(고후1:20)
「神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。」(Ⅱコリン1:20)
⑶ その力は恵みの関係から生じる。
- 父なる神は本当にご自分の子どもの声を聞いておられる。(マタイ7:11, Ⅱコリン6:18)
「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。(マタイ7:11)
⑷ その力は主の選びによって与えられる。
- 主がご自分の民を選ばれるのは、彼らを祝福するためである。(ヨハネ15:16, 使22:14)
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。… わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、…」(ヨハネ15:16)
2. こんな力はどうしたら得ることが出來るか?
⑴ 自分自身の弱さを深く悟れなければならない。(Ⅱコリン12:10, 創32:7)
「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(Ⅱコリン12:10)
⑵ 神を信じる純粋な信仰を持たなければならない。(ヨハネ14:12, 創32:26)
「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」(ヨハネ14:12)
⑶ 神の御心に従って信実に従順しなければならない。(ヨハネ9:31, 使10:2, 31)
「神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。」(ヨハネ9:31)
⑷ 我らの心が神の御旨に適わなければならない。(詩51:18、ホセア12:4)
「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。」(詩51:18)
3. こんな力はどこに使うのか?
⑴ 我々のために
① ヤコブ(意味; かかとをつかんでいた): (創25:26) 「その後で弟が出てきたが、そ の手がエサウのかかとをつかんでいたので、ヤコブと名付けた。…」
② イスラエル(意味; 神が戦って下さる): (創32:28) 「 … 」
③ パウロの証し: (ピリピ4:13) 「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはす べてが可能です。」
⑵ 他の人々のために
① ヤコブの家族はその力によって保護された。(創33:5)
② エサウの心がその力によって変わった。(創33:11)
ヤコブは危機に直面した時に落望しないで、独りで、激しい叫び声をあげ、主に、 祈りと願いとをささげた。その故に主から不思議な力が与えられた。また、我らの主 イエス様もそのようになさつた(ヘブラ5:7)。我々もそのようにするのが当然であろう。
「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しなが、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。」(ヘブラ5:7)