母親の愛と神の愛


     
(イザヤ書49:15、詩篇27:10)

  この話は、もう何十年も前に、スコットランドで実際に起こった出来事です。その古風な高地にある村は、木の生えない切り立ったスコットランドの山と山の間にありました。そして村の人たちは山間(やまあい)の畑で作物を作って生活していました。仕事の間、幼い子供たちはそばで遊び、赤ん坊はバスケットの中で眠っていました。

 ある朝、ものすごく大きな鷲が大空を舞っていましたが、すごい早さで急下降し、畑の方に飛んで来たかと思うと、バスケットの中で眠っていた赤ん坊を素早くわし掴みにして、空中高く舞い上がりました。村人たちは、すぐ追いかけましたが、鷲は高く舞い上がり、高い山の上の岩の上に、その赤ん坊を置いて飛んで行ってしまったのです。そして、もうその赤ん坊は助からないとだれもが考えました。 

 その時、勇敢な船乗りが、この急な山の斜面を登ろうとしましたが、あまりにも急で危険なため、諦めざるを得ませんでした。さらに、いかにも体のがっちりしたベテランの山男がこの急斜面に挑みましたが、やはり、途中で諦めて山を下る以外になかったのです。
ところが、なんと、更に、一人の貧相な農民の女の人がこの危険な斜面に挑んだのです。屈強な体格のいい男が無理だったのだから、これはあまりにも無謀な話です。

 ところが、彼女は意を決したように、命を賭けて溶岩をよじ登り始め、一歩一歩、上へ上へと登って行きました。そして、なんと、彼女はついにあの絶壁の頂上へと達したのであります。下の方では、村人たちが緊張して息を殺すようにして、張り詰めた雰囲気の中で、ハラハラしながら彼女を見ていました。彼女は、今度は一歩一歩、赤ん坊を背負ったまま、下り始めたのです。そして、村人たちの喜びと驚嘆の叫び声の中で、山のふもとに辿りついたのです。これは、なんと驚くべき光景でしょうか。

 一体、がっしりとした体格の良い船乗りや山男に出来なかったことが、どうして、この婦人にできたのでしょうか。これは、本当に不思議なことです。その答えは、ただ一つです!。その農夫の婦人は、その赤ん坊の「母親」であったのです。当然、その母親はわが子を強く愛していました。「愛は不可能を可能にならしめる不思議な力を持っている」のであります。「愛」はみなすばらしいものですが、とりわけ母親の愛は崇高なものではないでしょうか。母親の美しい愛は、たとえ全世界を敵(相手)に回しても、自分がお腹を痛めて産んだわが子を愛するものです。

 しかし、母親の愛よりも、何百倍(いや、幾万倍)も崇高な愛があります。それは、ご自身のひとり子イエス・キリストを賜ったほどの「神の愛」です。

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。

●「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたし(神)はあなたを忘れない。 」 (イザヤ書49:15)。
  

 この世で最も美しく、崇高であるはずの「母親の愛」も、最近は、どうも怪しくなって来ました。自分のお腹を痛めて産んだわが子を、泣き止まないからとか、言うことを聞かないからとか、そんな簡単な理由で、虐待して殴り殺したり、食べ物も与えずに放置して死なせたり、昔は考えられないような目に余る悲しいできごとが多くなって来ました。「たとい、女たちが忘れても、このわたし(神)はあなたを忘れない。」との聖句は、そのような愛の冷えた時代が来ることを、神様は2,700年も前に予知していたかのようなみことばにも思われます。母親があなたのことを忘れることがあっても、神はあなたを忘れることはないのです。

●「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。」(詩篇27:10)。 

●「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」(ローマ人への手紙5:5~8)。 

●「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 私はこう確信しています。死も、いのちも、‥‥今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。 」(ローマ人への手紙5:5~8)。
 

●「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(Ⅰヨハネの手紙4:8)。
   


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