信 仰 の 証 し
神様と共に生きる幸せ

 

 http://www.makuya.or.jp/yp/yp-aks1.htm

 

■山口県萩市の長屋君は、一昨年に発病した腫瘍との闘いの中でキリストに出会い、神様と共に在る日々を感謝しながら生き抜いて、2月27日に天に召されました。16歳でした。この一文は亡くなる3カ月前に証ししたものです。(編集室)

 

 当たり前の生活がどれだけ幸せなことなのか、どれだけありがたいことなのか。
 毎日、歩いて学校に行ける。家族と一緒に生活できる。毎日、勉強ができる。今まで当たり前に思っていたことが、この病気を通して、それがほんとうに幸せなことなんだ、ということがわかりました。
 ぼくはおととしの11月に突然、病気になりました。最初に変だなと気がついたのは、部活でテニスの練習をしているときでした。相手とラリーをしていて、ボールの速さに目がついていけない。目が疲れているんだろうと思って、目を休ませていたんです。
 ところが翌日になっても治らない。しだいに頭も痛いし吐き気がひどくなって体がだるい。自分の体に今、何が起こっているのかまったくわかりませんでした。
 眼科で診てもらったら、これは脳に原因があると言われました。脳外科に行ったら、脳に4、5センチの腫瘍がある、でも手術は難しい、今は放射線と薬で治療する以外にない、と絶望的なことを言われました。

苦しみの中で

 次の日、意識不明のまま救急車で病院に運ばれました。助けてくれる人もいない、ひとり孤独な中で苦しくて、苦しくて、自分は悪いことをしていないのに、なんでこんな苦しい思いをしなくちゃいけないんだ、と思っていたんです。
 そのとき、膝から足を両手でなでてくださる感覚がして、びっくりしました。誰もいないのに、誰かが膝をなでてくださっている。ぼくはそれで、
「神様ですか」って聞いたら、
「わたしはここにいるよ」という声が聞こえました。
「神様なんですか」と言って、意識がないのにぼくの右手が上がったんです。そうしたら神様がその右手をぐーっと握ってくださいました。ぼくは意識はないけれど、「ありがとうございます、ありがとうございます」という感謝の言葉を言っていました。
 そのときの、キリストの神様と出会った感じや雰囲気だけは、はっきり覚えています。
 そのあとぼくの祖父がお見舞いに来てくれました。祖父は信仰をもっているので、なんでぼくはこんな苦しい思いをしなくちゃいけないのか、と聞いたら、
「何を悲しんでいるんだ。君は神様から選ばれて、この病気を与えられたんだ。神様は乗り越える者を選んでくださったんだ」と言ってくれました。
 まだ朦朧(もうろう)としているぼくの体の中に、その言葉がストーンと入ってきて、それから「神様、病気を与えてくださってありがとうございます。どうか乗り越えさせてください」と、自分一人で祈るようになりました。

3人の兄弟と
3人の弟たちと

魂は神様を慕っている

 それから放射線と薬の治療を3回受けました。1回目、腫瘍は少し小さくなったのですが、2回目、3回目のときは腫瘍が全然縮まらなかったんです。お医者さんからは治療だけでは限界がある、と言われました。
 そのとき、自分の感情の中では相当、苦しみました。あんなに苦しんだのに、がんばったのに、どうして腫瘍が小さくならないんですかって、どこにもぶつけようがない感情を、神様にぶつけて怒っていたんです。けれども、深いところで魂は神様につながっていて、「神様、助けてください、ぼくを救ってください」という祈りが湧いてならなかったです。
 そんなとき、考えられないことでしたが、世界的に有名な福島孝徳先生がぼくを診察してくださって、
「私にも難しい手術だがやってみよう。腫瘍が大きいし、場所が悪いので成功の可能性は100パーセントではない。後遺症が残るかもしれない」と言われました。
 手術を受ける前の夜、怖くて祈りました。
「神様、まだ死にたくありません。やりたいことがいっぱいあります。テニスがやりたい。走りたい。学校にも行きたい。家族と食事もしたい。神様、救ってください」と祈っていたら、ああ、大丈夫だ、神様が共におられる、という確信が湧いてきました。

死の陰の谷を歩むとも

 手術室に入るとき、笑顔で「行ってきます」と言うことができました。手術は、朝の8時から夕方の5時までかかりました。腫瘍が全部取れて、後遺症もありませんでした。まだ目は二重に見えますが、腫瘍がないということがうれしくて、体も軽やかなんです。
「主は私の魂を生き返らせ、御名のために私を正しい道に導かれる」(詩篇23篇)
という聖句があります。神様は、死を前にしたぼくを生き返らせてくださいました。それまで遠くに感じていた神様がぼくのそば近くにおられて、魂を正しい道に導いてくださる。病気を通して詩篇23篇そのままを体験しているとわかってうれしくなりました。
 ぼくは原始福音の信仰によって、死から救われたんです。病気を通して、コンバージョン(回心)しました。そして、多くの方がぼくのために祈ってくださるのを感じて、感謝の涙が出てたまらない、そういう自分に変わったんです。
 今の日本は、毎日、殺人は起きるし、いじめや自殺する人が多い中で、ぼくは信じられないですね。自分で命を絶つなんて考えられない。この病気を通してよくわかったのは、自分で生きているんでなくて、神様に生かされている命なんだ、ということです。ぼくは今後、どんな職業についても、キリストだけに頼って生きる者になりたいです。