阿弥陀仏とキリスト
人々が「阿弥陀仏」の名のもとに求めて
きた救い主の実体はキリストにある
阿弥陀仏
日本の村々を歩くと、「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)の六字を刻んだ石碑の見あたらない地方は、ほとんどないと言ってよいでしょう。念仏宗の寺はもとより、路傍にも、樹陰にも、幾つもの碑をよく見かけます。
南無阿弥陀仏の六字は、長い間、日本人の心に浸透してきました。現代ではそれを唱える者が少なくなったとはいえ、その「称名念仏」の心が日本人の精神の多くの部分に影響を与えてきた、と言って過言ではありません。
「阿弥陀仏」また「南無阿弥陀仏」とは何なのでしょうか。他宗教を知ることは、自己の信じるキリストの教えを、より深く、客観的に知る契機ともなります。そこで、キリストへの信仰との対比から、阿弥陀仏信仰について考えてみましょう。
他力仏教は自力仏教に対する
深い失望感を背景に生まれた
「南無」とは、「私は帰依(きえ)します」の意味で、「南無阿弥陀仏」は、「私は阿弥陀仏に帰依します」「私は阿弥陀仏を信仰します」の意味です。
これを「念仏」、あるいは「称名(しょうみょう)念仏」といい、こうして常に心に"仏の名を念ずる"ことにより死後は極楽浄土に生まれることができる、と説くのが念仏宗です。
念仏宗には、浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、時宗(一遍)、融通念仏宗(良忍)があります。これらを「浄土門」とか「他力門」ということもあります。
仏教は、本来の形では・・つまり教祖シャカの唱えたものは、自力仏教でした。日本にもはじめ自力仏教が入ってきたのですが、鎌倉時代の頃になって、念仏宗、すなわち他力仏教が盛んになりました。
他力仏教が盛んになった背景には、自力仏教に対する深い失望感があります。
自力仏教というのは、「出家」(しゅっけ)して家庭や家族を捨て、すべての財産を捨て、経済活動や商売もやめ、一切の欲望を断って修行に専心するということですから、「凡夫」(ぼんぷ)と呼ばれる通常の人々にはなかなかできるものではありません。
それに自力仏教の僧侶の中には、ひどく堕落している者がいて、隠れて愛人や財産をつくり、私腹を肥やしている者も少なくない状態でした。
こうした自力仏教に対する深い失望感を背景に、凡夫であっても、すべての人はただ「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで「極楽浄土」に往生できるという、他力仏教が広まりました。
「浄土」というのは、キリスト教でいえば天国に似ています。しかし、キリスト教では天国がただ一つなのに対し、仏教の「浄土」は幾つもあります。
仏教では、仏ごとに浄土があるのです。たとえば宇宙のはるか東方には、薬師仏の住む「浄瑠璃浄土」があり、宇宙のはるか西方には阿弥陀仏の住む「極楽浄土」があるとされています。釈迦は「霊山浄土」に住んでいます。
仏は、無数にいるとされていますから、仏の住む浄土も無数にあるとされているのです。しかしその中でも、阿弥陀仏の住む極楽浄土が最も有名です。
極楽浄土は、「西方十万億土」(さいほうじゅうまんおくど)にあるとされています。「十万億土」とは、娑婆世界(人間界、地球)からその極楽浄土までの間に存在する、仏の浄土の数を示しているのです。つまり「西方十万億土」とは、極楽浄土が、気の遠くなるほど遠くの西のかなたにある、という意味です。
これは、キリスト教の「天国」とちょっと違う点です。キリスト教では、天国は霊の世界で物質界とは次元が違い、見えないものの、きわめて身近にあるとされているのです。
たとえば、預言者エリシャは自分の従者の霊的な目を開いて、自分たちのまわりを取り囲む天国をかいま見せたことがあります(二列王六・一七)。
また天国の人々は、ちょうど競技場を観客席から見守る観客のように、地上の私たち信仰者を取りまいて、見守ってくれている、と述べられています(ヘブ一二・一)。
このようにキリスト教では、天国は、見えないものの、遠くにあるのではなく、きわめて近くを取り囲んでいるとされています。さらには、天国は私たちの「ただ中にある」とさえ言われています(ルカ一七・二一)。これは、はるかかなたにあるとされる極楽浄土とは、対照的です。
阿弥陀仏は六四八億年前に一人の人間だった
つぎに、阿弥陀仏とはどういう存在なのでしょうか。
彼はもとは、ひとりの人間でした。『大無量寿経』によると、彼は「一五劫(こう)」の昔に、ある国の国王でした。
「劫」というのは、途方もない長い年月を表すもので、四三億二〇〇〇万年とされています。四・三・二と、続き数字だから覚えやすいでしょう。または「劫」は、
「四〇里立方(一辺が約一六〇キロメートルの立方体)の巨大な岩があって、これを三年ごとにたった一回だけ天人の羽衣でなすり、ついにその岩が摩滅し尽くすまでの歳月を、一劫という」
と仏典に説明されています。それはたいへんに長い年月をいうのです。
もし一劫を四三・二億年として計算すると、「一五劫の昔」は、六四八億年前ということになります。仏教では、そんな大昔に地球が存在し、人間が存在し、国王がいたというのです。
今日では、長い年月を好む進化論者でさえ、一五〇億年前に宇宙が始まったとしています。また創造論者の考えを待つまでもなく、いずれにしても六四八億年前に現在と同じように地球や人間が存在したという仏典の記述は、非常識なものに思えるでしょう。
しかし、古代のインド人は、そうした太古の昔にも今と同じ様な人間の生活が存在し続けていたと考えることを、当然のように受け入れていたのです。
さて、「一五劫の昔」・・六四八億年前に一国の国王だった彼は、世自在王仏という仏の説法を聞き、翻然と省みるところがあって、王位を捨て、国土を去り、出家して名を「法蔵」と改めました。
このため、阿弥陀仏の前世であるこの頃の彼は、「法蔵菩薩」と呼ばれています。「菩薩」とは、仏になる一歩手前の人のことをいいます。
彼は、志しを立てて修行を積み、仏を讃え、悟りを願い、生死の苦の根を断とうと求めました。彼は輪廻転生しながらも、「五劫」という長い間修行を積み、思索し、徳行に励み、ついにもろもろの「誓願」を起こすに至りました。
その誓願とは、民衆を救い、浄土に導こうとする願いでした。そしてこの願いが満たされないなら、自分は成仏をせぬ、とまで誓ったのです。いわゆる「正覚を取らじ」、つまり悟りをなして仏にはなるまい、との決意です。
その誓願は四八か条に及んだといいます。その第一八願が最も有名で、
「民衆が心から信心を起こして浄土に行きたいと願い、わずか十声でも私の名を唱えた場合、もしそれらの人々が浄土に生まれるように出来ないのなら、私は仏にはなるまい」
というものでした。つまり人々が「南無阿弥陀仏」と唱えて浄土に生まれることができるようにならないなら、自分は仏になるまい、と言ったのです。
これらの願をすべて言い終わると、大地は震え、天は妙華を雨ふらし、空中は妙音に満ちたといいます。経典は、彼の言った誓願は結局果たされ、実現したと言っています。こう記されています。
「法蔵菩薩は、今はすでに成仏して、現に西方におられる。ここを去ること十万億刹(十万億土)である。その仏の世界を名づけて、安楽界(極楽浄土)という」。
このように法蔵菩薩の誓願は果たされ、彼はすでに仏になった。彼は輪廻から脱却し、今は極楽浄土に住んでいる。だから彼の誓願にあったように「南無阿弥陀仏」と唱えるならば、誰でも死後は浄土に生まれることができる・・というのが、念仏宗の教えなのです。
阿弥陀経にこう記されています。
「ここから西方十万億の仏土を過ぎると、極楽という世界がある。そこには阿弥陀仏という仏がおられる。今もおられて説法しておられる」。
「彼の仏土をなぜ極楽というのか。その国の民には、苦しみがなく、ただもろもろの楽しみを受けているからである。それゆえに極楽というのである」。
このように、法蔵菩薩は今から一五劫の昔に修行をはじめ、一〇劫の昔に成仏し、「阿弥陀仏」となって今も極楽浄土で説法している、とされています。彼は永遠的存在者となり、民衆の「救い主」となった、というのです。
阿弥陀仏は648億年前には、一人の人間だったという
仏教においては、信仰の対象が
歴史的事実であるかは重要視されない
こうした仏典の教えを、私たちはどう考えるべきなのでしょうか。
理性的な人なら、これを「おとぎ話」と思う人が多いに違いありません。こうした批判に対して、念仏信者はどう答えているでしょうか。
念仏信者として著名な柳宗悦氏は、その著『南無阿弥陀仏』(岩波文庫)の中で、こう書いています。
「ここで、よく問いを受ける。法蔵菩薩とは架空の人物ではないのかと。そういう菩薩を描いて、何を意味しようとするのかと。・・・・
大乗のもろもろの仏典は、仏滅後(釈迦の死後)、長い期間に徐々に現われたものであるから、直下の仏説からは時が遠い。『是のごとく我れ聞きにき』と冒頭の句はいつも始まるが、それは決して仏の説法をじかに書きとったものではあるまい。・・・・
阿弥陀如来の物語とても、同じく創作で、歴史的な事実ではなく、かかる空想を元に宗教を立てることに、懐疑を抱く人も出よう。・・・・(しかし)たとえ外面的な歴史としては架空と言われても、内面的な法の歴史としては、これより真実な説話はないともいえよう。・・・・
法蔵菩薩の説話は、歴史的な人物より、もっと真実なものを示そうとするにある・・・・」(七三~七五ページ)。
これは何を言おうとしているのかというと、法蔵菩薩が歴史的に実在したかどうかというのは、重要ではない。重要なのは、法蔵菩薩の説話に示された"内容"であり、そこに示された"仏法"なのだ、ということなのです。
ここに、仏教の体質、あるいは仏教の本質的な事柄が見えています。
仏教では、よく「信心」といいます。「信仰」というよりは「信心」といい、一方キリスト教では、「信心」と言わず「信仰」といいます。
「信心」は「信じる心」と書き、"心"が重要視されています。信じる"対象"よりは、むしろ信じる"心"の方に重きが置かれているのです。
一方、キリスト教の「信仰」は、「信じて仰ぐ」と書き、心もさることながら、信じて仰ぐ"対象"が重要視されています。
仏教者の間では、阿弥陀仏の説話に限らず、それが歴史的事実であるか否かということは、あまり重要視されません。そうした信仰の"対象"よりは、信じる"心"のほうが、より重要視されるのです。
これは、キリスト教との大きな違いです。キリスト教では、信じる心も重視されますが、信仰の対象の確実性が、非常に重視されます。キリストの使徒パウロはこう書きました。
「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです」(一コリ一五・一六)。
これは、キリストの復活がもし歴史的事実でないなら、キリストへの信仰はむなしく、意味のないものであると述べているのです。言い換えれば、それが歴史的事実でないなら、たとえその物語がいかに立派なものであっても、私たちがそれを自分たちの救いの基盤として信じる必要はないのです。
しかし、キリストの復活は歴史的事実であり、私たちの信仰はそれを土台にしているのだ、とパウロは言っています。
このようにキリスト教には、信仰の対象の歴史的真実性を不問にふす、という考え方はありません。たとえそこに示された思想がどんなにりっぱであっても、もし事実でないなら、信じる必要はないのです。
キリスト教は、歴史的事実の上に構築された信仰です。
私たちは阿弥陀仏を、歴史上に実在した人物と考えたり、現在もいる実在者と考えることは到底できません。しかしキリストの歴史的実在、その十字架や復活の事実に関しては、それを信じることができます。それらの歴史性は、多くの証拠によって確証されていることだからです。
クリスチャンは、たとえ信じる心がりっぱでも、その対象が確実でないなら、その信心はむなしいと考えます。あるいは、示された思想がりっぱでも、それが事実に基づいていないなら、信じるに値しない、と考えます。
キリスト教には、「いわしの頭も信心から」という考えはありません。信仰の対象は、確実で、私たちの人生のすべてを賭けるに値するものである必要があるのです。
人間の信じる心というものは、不確かなものです。それはしばしば揺れ動くもので、信と不信との間を行き来しやすいものです。
しかし、信じる対象さえしっかりしていれば、信じる心も、やがて確かなものとなっていくでしょう。ですから信仰の対象の確実性というものは、ときに、信じる心以上に重要なのです。
キリスト教における信仰の対象は、事実に基づいたもので、確実です。私たちの信仰は、そうした確実な信仰対象に引っぱられるかのようにして、信じる心が成長していくものなのです。
愚に還って信じきる
とはいえ、これは念仏宗における「信心」に、私たちが全く学ぶところがない、ということではありません。
念仏宗では、信じる"心"を非常に重要視した結果、そこには信心に関して多くの深い哲学が生まれました。
その一つは、「愚に還って信じきる」ということです。これは、背伸びをせず、愚かな自分のありのままを認めて、信仰する、ということです。浄土宗をおこした法然は、こう言いました。
「私が習い集めた数々の知恵や知識は、往生のために何の役にも立つものではない」。
また法然は、自分を「一文不知の愚純の身」と呼んでいます。
自分が知者だと誇っても、何の益にもなりません。大切なのは、自分の無知や、弱さや、愚かさを認めて、ひたすら信じることなのです。
浄土真宗を起こした親鸞も、人は自分自身が罪悪のかたまりであり、迷える凡夫であると認めることが大切なのだと、言っています。信心はそこからスタートするのです。
キリスト教においても、このことは全く同様に重要です。私たちは、背伸びをせず、ありのままの愚かな自分を認めなければなりません。使徒パウロは言いました。
「『キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた』という言葉は、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは・・・・」(一テモ一・一五~一六)。
パウロは自分を「罪人のかしら」と呼びました。これは、自分が罪悪のかたまりであることを認めた表現です。
使徒パウロは自分を「罪人のかしら」と呼んだ
彼は自分の愚かさを、まったく正直に告白しました。パウロはまた、自分の学歴や、知識や、家なみなどを誇ることをやめ、それらをキリストのゆえに「ふん土」のように思っている、とも述べました(ピリ三・八)。
自分はとるに足りない者であり、自分を生かしているのはただキリストである、との自覚に立ったのです。使徒ペテロも、あるときキリストに向かってこう言いました。
「主よ。私のようなものから離れてください。私は罪深い人間ですから」(ルカ五・八)。
このように、自分は知者だとか、優れた者だとか思うことをやめ、戻って、ありのままの愚かな自分を認めること、その上でキリストを信じきることが大切なのです。「愚に還り信じきること」なのです。
こうしたことを思うと、親鸞の、
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」(善人が極楽往生を遂げるなら、ましてや悪人が往生できないはずはない)
という言葉に対しても、共感がわいてきます。聖書も、
「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」(ロマ五・二〇)
と述べています。私たちは、罪人であり、愚かな凡人であるからこそ救われるのです。
自力・他力の別を越える
また、「自力・他力の別を越えて信心する」ということも、重要な事柄です。
念仏は、一般に「他力仏教」とされています。しかし、じつはそれをきわめていくと、単なる他力でも、また自力でもない念仏というものが、見えてくるのです。
念仏は本来、阿弥陀仏の他力によって救われる、というところからスタートしました。法然は、この阿弥陀仏の他力にたよって、できるだけ数多く「南無阿弥陀仏」と唱えれば往生できると説きました。
しかし、よく考えてみると人間側が"できるだけ数多く念仏を唱える"ということには、まだ自力的要素が残っています。努力して、数多く念仏を唱えなければならないのです。
これが親鸞になると、念仏を唱え信心をすることも、じつは自分の行ではなく、阿弥陀仏からたまわったものである、という考えになってきます。自分の意志で念仏を唱え信心しているようだが、じつはそれは阿弥陀仏がそう仕向けてくださったものなのだ、という考えです。
そこにはもはや、「自分」というものが消滅しています。そのため親鸞の宗教は、よく「絶対他力」と言われています。すべてを阿弥陀仏の働きと解するのです。
しかし、「自分」が完全に消滅してしまい、自分の意志さえもなくなることが、本当の姿なのでしょうか。
この問題は、のちに一遍上人において解消され、より高度な形で説かれるようになります。彼は、人が仏に念仏するのではなく、また仏が人に念仏させるのでもなく、仏と人が"不二"となって、念仏が自ら念仏すると説いたのです。
仏と人は、二つでありながら、もはや二つではなくなり、相通じて一つの念仏となるのです。彼はそれを次の歌に表しました。
「称ふれば 仏も吾もなかりけり
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
南無阿弥陀仏と唱えるところには、「仏」も「私」もなくなり、自他は二つながらにして二つでなくなるというのです。自力は単なる自力ではなくなり、他力は単なる他力ではなくなり、自力と他力が相通じて、一つの力、一つの念仏となるのです。
『南無阿弥陀仏』の著者・柳宗悦氏は、これは念仏における究極の姿だと述べています。一遍はこうも言いました。
「自力他力は初門のことである。自他の位を打ち捨てて、唯一念仏になるべきである」。
「自力他力を絶し、機法(機は人の信心、法は阿弥陀仏の救いのこと)を絶する所を、南無阿弥陀仏というのである」。
キリスト教は自力か他力か
こうした自力他力を超越した境地というものは、キリスト教においてもまた、最高の境地と言えるでしょう。使徒パウロは言いました。
「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きておられるのではなく、キリストが私の内に生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラ二・二〇)。
パウロは、「キリストが私の内に生きておられる」と言っています。ではパウロ自身は生きていないのかというと、そうではなく、「いま私がこの世に生きているのは・・・・」と言っています。パウロ自身も、生きているのです。
しかし生きているのは、もはやパウロの「古き人」ではありません。「古き人」は、キリストと共に十字架にかけられて死んだのです。
今生きているのは「新しい人」です。それは、キリストが生きておられるのであり、また同時に、真の自分が生きているのでもあるのです。
この「新しい人」において、"私が生きることは(自分の内で)キリストが生きることであり、またキリストが生きることは私が生きることである"という状況が実現しています。
「私」も生き、キリストも生きておられるのです。私の内側でキリストが生きておられ、キリストの内側で私が生きているのです。
ここでは、自力は他力となり、他力は自力となっています。自他両力は不二となり、相通じて渾然一体となっているのです。
これはある意味では、次のような状況に似ています。左手の指に輪ゴムをかけ、それを右手の指で上に引っ張って、伸ばしたとしましょう。
このとき、輪ゴムを張ったのは右手の力です。では右手の力だけが輪ゴムを張っているのかというと、そうではありません。輪ゴムは、左手と右手の両方から引っ張られているのです。
右手の力は左手の力を引き出し、左手の力は、右手の力を有効にしています。そこではもはや左手の力、右手の力という別はなく、両者はただ一つの力となっているのです。
信仰も同様です。私たちは神の愛の力に引っ張られて、信仰の"輪ゴム"を張りました。しかしその信仰の輪ゴムを張っているのは、神の力だけによるのでも、人の力だけによるのでもありません。
自他両力が一つとなり、渾然一体となっているのです。そうした状況に目覚めるところに、信仰の極致があります。
私たちはキリストを救い主として信じると、はじめは、とかく自分の力で、一生懸命に信仰に励み、努力しようとします。自分の力に頼むのです。
しかし、やがて信仰というものは、じつは自分の力でしているものではなく、キリストが自分にたまわったもので、信仰できるように働きかけてくださっているのだ、ということがわかってきます。
すべてはキリストの恵みであり、お働きなのだ、ということがわかってきます。自分の力に頼むのではなく、キリストのお働きに身をゆだねることこそ大切なのだ、と思うようになるのです。
こうして絶対他力の恵みに目覚めるのですが、ではそのように他力に身をゆだねた自分は、完全に消滅してしまい、自分の意志さえもなくなってしまうのかというと、じつはそうではないことに、やがて気づくようになります。
キリストの他力に自分をゆだねると、そこに"新しい自分"を発見するようになるのです。古い自分は過ぎ去り、かわりにキリストの内で新しい自分が生き、また自分の内でキリストが生きておられると、実感するようになります。
他力は自力となり、自力は他力となるのです。自他両力が渾然一体となった信仰に、目覚めるようになります。そこにこそ、信仰の究極の境地があります。
信仰は、「卒(実際の漢字は口へんに卒)啄同時 」(そったくどうじ) ということでもあります。卵の中からヒナが殻を破って生まれ出ようとする瞬間、内側からヒナが殻をつつくのが「そつ」、外から親鳥がつつくのを「啄」といいます。 内側からヒナが殻をつつくのと同時に、外から親鳥がまた殻をつついてくれる。このタイミングが合わないとヒナは死んでしまいますが、それが同時になっているから、ヒナは殻を破って外へ出られます。
私たちも、信仰の心をもって自分の殻を破って出ようとするとき、外から神様がその殻を破ってくださる。それが同時に働くわけです。そこにはもはや自力も他力もありません。自他両力は一つとなっています。
こうしたことに目覚めるとき、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっている」という信仰の境地がわかってきます。
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