悩みの原因を突き止めよう

アメリカの整形外科医であったM.マルツは、自身の診療経験から人間の心理的側面の重要性に気付いて人間の心の重要性を説きました。彼は次のように著書の中で語ってます。

「習慣や人格を変えるのは、とても難しいように思われる。その理由の一つは、変えようとする努力を自分の内部ではなく、外部の問題に向けるからだと考えられる。」

私たちはさまざまな失敗をします。そしてそれに苦しみ、それから解放される事を願いながらも叶えられずに苦しみ続けます。そのような時、私たちは得てして、自分を苦しめている原因を外に見出そうとしてしまいます。もちろん原因の大半が外にある場合もあるでしょうが、起こった問題を私たちがどのように受け取ったかによって、同じ経験が私たちを苦しめもすればそうでない場合もあるのです。ようは自分が問題をどう受け取るか、つまり私たちの内部で起こる情動が肯定的であるか否定的であるかで大きな違いが出てくるというわけです。

イエスは次のようお語りになりました。

「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ伝5:44)

なぜイエスはこのように語られたのでしょうか。罪に定められる方は神であるから、人間が勝手に復讐心を持ったりするのは神に対する反逆になるというキリスト教会で説かれている教義的な側面もあるでしょうが、それ以上に敵を心の内で作り出してしまうと、四六時中その敵のことばかり考えるようになり、他の事に手が付かなくなり、結果として自分が心の内で作り出した敵が自分自身を支配する存在へとなっていく事を警戒しているのです。常にちらつく敵の姿に苛々して、遂には精神科にお世話にならないといけなくなる事すらあります。

ここで一つあなたに質問します。あなたを苛々させたり苦しめたりする人は、あなたの貴重な生活を奪う事が出来るほど大した人間なのでしょうか。決してそんな事はないでしょう。ですからイエスはそんなつまらん奴の事で、しょぼくれたり、いじけたりしないで、さっさと心のけりを付けるために、赦しちゃいなさいと勧めているのです。そうしないと私たちの心は自由を得る事ができないのです。自由なき心で、いかに神を求め、神の御言を黙想し、それに従う事が出来るというのですか。

最後に使徒ヨハネの言葉を紹介したいと思います。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」(第一ヨハネ4:20-21)

キリスト者であるなら心にズシンと来る御言であると思います。私たちの心を神以外に支配させてはいけません。もし今、あなたの心を鷲掴みにしている嫌な奴がいたら、今すぐ彼の祝福を祈ってあげなさい。祝福は相手よりも権威あるものでなければできません。祝福できないということは、自分が相手よりも劣っていると認めている証拠です。だから心を支配されるのです。祝福し、赦し、そして忘れなさい。そしてあなたは自由を得て、キリストと共に軛(くびき)を共にして平安の内を歩めばいいのです。

主の恵みがあなたと共にありますように

アーメン