ホンモノ教会でホンモノの信仰を

いくら精巧にできていてもニセモノはやっぱりニセモノ。しかし、メッキがハゲるのに時間がかかるホンモノそっくりなニセモノがあるのも事実。真贋の区別をつけ、ホンモノをゲットしたいものです

信仰も同じ。かなりホンモノに近いニセモノがあります。ただどうやらニセモノには、ちらちらと胡散臭いものが見え隠れするようです。パウロは親切にも、胡散臭さ一覧表のようなものをテモテに書き送っています。

「そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」(第二テモテ 3:... 2 - 5)

キリスト者でなくても上記のような人とは交際したくありませんが、キリスト者の中にこのような変節漢が現れることを語りながら、そのような者を避けるようにパウロは勧めているのです。

まず、自分自身が上記の一覧表にひっかかっていないか点検して見ましょう。自分がニセモノであっては本も子ないではありませんか

次に、周りのキリスト者の友人の中で、露骨に上記の一覧表に抵触するような人がいたら気をつける必要があるでしょう。特に教会の牧師がそうであるならば、そのような教会は危険である可能性が高いでしょう。

教会は本来、ホンモノしか存在しません。似ていてもニセモノであれば教会ではありません。ですからそこに聖書で約束された救いはありません。

ホンモノ教会でホンモノの信仰を持とうではありませんか。