神様は本当にいるのでしょうか?

神とは?

① 霊である。
 朽ちることがなく、永遠である。自然は(太陽や月などの天体も)変化し、有限である。

② 全ての人類が対象となる。
 いつの時代の人間も、どこの国の人間も平等にあてはまる。

③ 空間、時間を超越している。
 限定された場所、特定の時にのみ存在するものではない。

④ 唯一である。
 複数あって優劣をつけるものではなく当然唯一である。

⑤ 関係性においては対個人(パーソナル)であり、人格的な存在である。


神様は本当にいるのでしょうか?神様は存在しているのでしょうか?このような質問は多くの人が抱き、またそれに本当に答えられるのか、ということにも疑問を持つでしょう。
人間は誰でも、体と心と魂を持っています。ただ意味もなくこの地球に生まれたのではなく、どの人も心の奥に神を求める本質を持っているようです。ではもし本当に神がいるのだとしたら、人間とどのような関わりがあるのでしょうか?神は人間を愛しているのか?それとも神は人間に罰や試練を一方的に与えるだけなのか?更に、もし神がいるなら人間は、神とどのように関係を持つことができるのか・・・。
これらの問題はすでに、聖書が全て取り扱っています。そして聖書は神がいることを私たちに教えてくれます。しかしどのようにして聖書が真実であることがわかるでしょうか?またどのようにして聖書に書かれてあることを信用できるでしょうか?聖書の神が本当の宇宙全体の神で、他の宗教の神と何が違うのかということを、聖書に何と書いてあるのか見ていきましょう。申命記18:21-22「 「 あなたは心の内に、『われわれは、その言葉が主の言われたものでないと、どうして知り得ようか』と言うであろう。もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起こらない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない。

聖書は本当の神が誰であるかを明確に示しており、神が言ったことは全て実現しているという事実を通して、私たちはそれを知ることができます。それは毎回確実に正確であることを意味しています。これは他のどの本にも見られないことで、聖書だけがこれを示すことができます。それは聖書が神の言葉であるからです。

本当の神がいること、そしてその神が全てを創造されたことを、聖書は多くの箇所で示しています。聖書の冒頭で「初めに神が天地を創造された。」とあります。聖書は神がいることを明確に表しており、ローマ1:20でも神がこの全宇宙をお一人で創造されたことが記されています。

人間は自分たちのイメージや知っている物(動物やそれに似た者)を通して神を作り上げますが、聖書のメッセージはそれとは正反対です。私たちは神によって、神に似せて造られたと聖書は記しています。聖書は本当の神が唯一であること、そして聖書に書かれていることは本当の神からの言葉であることを教えています。聖書は数人の手によって書物になりましたが、神ご自身が聖書の著者です。多くの箇所(300箇所以上)で聖書は「神は言われた」という表現を使っています。聖書は神について多く説明しており、神が実際に存在することを明らかに示しています。

聖書の神は、三位一体です。三位一体とは3つの異なった位格を持つ1つの神のことで、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)聖霊なる神です。これらは別々の神ではなく、3つの性質から成り立つ1つの神です。イエスはご自分で神であると主張したので、人々は彼を十字架につけて殺したかったのです。イエスが殺される前に、イエスは自分が殺されることと死んでから3日後に復活されることをあらかじめ預言していました。彼はその言葉通りに復活しました。誰も死後からの復活はできませんが、イエスだけは復活する力を持っていました。復活後イエスは40日間地上で生活をし、それを実際に目撃した証人は多くいます。復活は、イエス・キリストが本当の神であることの1つめの理由です。他のいかなる宗教にも、今生きている救い主はいません。イエス・キリストだけが復活し、今も生きています。ブッダも死に、モハメッドも死にました。聖書の神のような方は他に誰もいないのです。

実際、誰も未来を知ることはできません。それでも聖書は未来について多くのことを語っており、これまでに書かれた預言は全て正確に実現しています。聖書に書かれていて、まだ実現されていない預言もあるので、それらも今までと同じように正確に実現するでしょう。聖書はイエスが神であり、歴史を通して正確であることを証明しています。それなのでイエス・キリストが神であると述べている聖書が正しいことを、私たちは知ることができます。全てがイエス・キリストによって創造されたと聖書は述べています(ヨハネ1:1-3)。

イエスはヨハネ3:12で天上のことと地上のことについて語っています。「わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか」。私たちはイエスが話された地上のことから信仰を持ち、それを天上についてのことまで持っていかなければなりません。地上のことは自分たちで確認できますが、天上のことは確認できません。しかし地上のことについて聖書の内容が全て真実であるなら、同様に天上のことについても真実であると言うことができるでしょう。

聖書は神について、神は完全であり他のどの生き物より優れていると述べています。私たちのいる4次元の世界をはるかに超えたところで神は存在しています。他の宗教で神と呼ばれるものは皆、私たちと同じ4次元の世界のままです。彼らは私たちより優れた行動を取ることはできるかもしれませんが、人々と同じ4次元に留まっており、その力にも時間にも空間にも、限りがあります。聖書の言う神は、人間が存在するところをずっとずっと超えて存在しているのです。

さて、これら全てのことはあなたとどんな関わりがあるのでしょうか?聖書が正しくて、実際に神がいたとしても、それがあなたと直接関係があるのでしょうか?聖書が明確な答えをくれます。これは非常に重要なテーマです。

聖書には、人間はみな魂を伴って創られ、その魂は永遠に生きると教えています。そして聖書は人間が肉体的に死ぬと必ず、2つの場所のどちらかに行くと示しています。それは天国か地獄かのどちらかです。人間が死ぬときにその人が行くところ(天国か地獄)は決して変わることがなく、永遠にそこに留まることになります。神ご自身がそこにいるほど、天国はすばらしい場所です。それとは反対に地獄は、火と暗黒に包まれた恐ろしい場所です。天国に行くためには、神と同じく完全な義となる必要があります。天国に行くためには、神の義を得なければならないのです。反対に、何をすれば地獄に行くのかというと、答えは何も、です。人は皆、罪の本質を持っています。それなので人が人生で何もしなかったとしたら、その人はその持っている罪のゆえに、死んだ後で地獄に行ってしまいます。聖書は私たちが誰一人として、神の義を持っていないこと、そして天国は完全であることを教えています。私たちが神の義を持っていないので、天国に入ることができないのです。しかし神は私たちを愛しており、私たちが皆、天国に入ることを望んでいます。それなので神は、その愛のゆえに私たちの罪をすべてゆるし、罪の代価?神ご自身が支払って、神の義を与え、天国に入れるようにすることを決められました。それがイエス・キリストです。私たちが神の義を受けるための唯一の道は、イエス・キリストの十字架上での犠牲であると、神は聖書を通して語られています。イエスの血によってのみ、私たちはゆるしを得ることができます。

イエスの血を通してのみ、罪のゆるしを得ることができます。信じない者は罪のゆるしを得ることができません。聖書は私たちが、神の恵みによる罪のゆるしを得ることが必要であると教えています。

この贈り物は、全ての人に受け取るチャンスが与えられています。しかしそれを受け取るのは、1つの方法しかありません。それはイエス・キリストへの信仰です。神の義は、イエス・キリストへの信仰を通して初めて、自分のものとなるのです。聖書によれば、イエス・キリストを信じることによってのみ人は救われます。ヨハネ3:18に、誰でも彼を信じる者には救いが与えられると、明確に書かれています。

どうしてイエス・キリストのみが人を救えて、他の道には救いが無いのでしょうか?それはイエス・キリストだけが、本当の神であるからです。その他はありません。あなたの罪のために、犠牲となって十字架で死に、彼を信じるだけで永遠の命を与えてくださる方は、イエス・キリストたったお一人です。本当の神のみが、自らの命のコントロール(復活)できる力を持っています。イエス・キリストには罪がなく、完全でした。誰も彼のように完全であることはできません。

イエス・キリストは十字架で死んだとき、全人類の罪の代価を自ら支払った、ただ一人の人です。2コリント5:21でこのことが語られています。イエス・キリストを信じるかどうかによって、あなたの死後の運命、つまり天国に行くか地獄に行くかということに、大いに影響します。

聖書にある全ての神の約束により、イエス・キリストを自分の救い主として信じた人は、肉体が死んだ後天国に行くということを確信を持って知っていることができます。そして私たちが天国に行くことができるのは、私たちがどう生きたか、何をしたかによるのでは無く、イエス・キリストの犠牲のみによる、ということも確信を持って言えることができます。それなので、誰でもイエス・キリストを自分の救い主として信じてお任せするなら、神から義とされ、永遠の命をプレゼントとして受けることができるのです。

本当に神がいること、そしてその神は唯一であるということは、これらの聖書箇所が明らかにしています。

申命記4:35 あなたにこのことを示したのは、主こそ神であって、ほかに神のないことを知らせるためであった。

列王記上8:60 そうすれば、地のすべての民は主が神であることと、他に神のないことを知るに至るであろう。

歴代志上16:26 もろもろの民のすべての神はむなしい。しかし主は天を造られた。

詩篇30:5 神の言葉はみな真実である。神は彼により頼む者の盾である。

イザヤ45:5 わたしは主である。わたしのほかに神はない。ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。

イザヤ45:21 あなたがたの言い分を持ってきて述べよ。また共に相談せよ。この事をだれがいにしえから示したか。だれが昔から告げたか。わたし、すなわち主ではなかったか。わたしの他に神はない。わたしは義なる神、救主であって、わたしのほかに神はない。

イザヤ45:22 地の果なるもろもろの人よ。わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。

ローマ1:20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。

ルカ7:16 人々はみな恐れをいだき、「大預言者がわたしたちの間に現れた」、また、「神はその民を顧みてくださった」と言って、神をほめたたえた。

ヨハネによる福音書1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。ヨハネによる福音書1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちは、その栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまことに満ちていた。

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