ダビデの生涯(1/4)
- 詩78:70-72 -
「僕ダビデを選び、羊のおりから彼を取り/乳を飲ませている羊の後ろから取って/御自分の民 ヤコブを/御自分の嗣業イスラエルを養う者とされた。彼は無垢な心をもって彼らを養い/英知 に満ちた手をもって導いた。」(詩78:70-72)
1.少年時代
⑴ ダビデは,ユダ族でベツレヘムに住むエッサイの息子で,8人兄弟の末弟であった.
⑵ 彼は血色の良い顔で,目が美しく,姿もりっぱだった.(Ⅰサム16:12)
⑶ また琴がじょうずで勇士であり,戦士です.ことばには分別があり,体格も良かった. (Ⅰサム16:12)
⑷ もともと彼は羊飼いであった.(Ⅰサム16:11、 17:28)
① この職業が,後に武将として必要な勇気と決断力を身につけさせたことはダビデ自身の告白により確認できる.(Ⅰサム17:34ー36)
② 羊飼いとしての経験は,彼の神理解を豊かで深いものにしたことであろう.(詩23篇)
③ しかし,ダビデは彼の兄たちからはよく思われていなかったようである.(Ⅰサム17:28)
2.宮廷での時代
- サウルは,サムエルに代って全焼のいけにえをささげたり(Ⅰサム13:8ー9),アマレクとの戦いで聖絶すべきものを聖絶しないでとっておいたりしたため(Ⅰサム15:9),ついに神から見捨てられてしまった.神はサウルを王位から退けると,次期王をエッサイの子の中から選ぶ ことを預言者サムエルに示した.サムエルはベツレヘムに赴き,エッサイの子の中から8番目の子ダビデが王となることを示された。(Ⅰサム16:1ー12)-
⑴ サムエルははダビデに油を注ぎ,イスラエルの2代目の王となることを宣言した(Ⅰサム16:13)
⑵ 油注がれたダビデは,まず立琴の奏者として宮廷に召された。(Ⅰサム16:14ー20)
⑶ サウル王は,ダビデの演奏によって大きな慰めを得た.
⑷ 宮廷でしだいにその才能を発揮し,ついに側近の兵士「道具持ち」に登用された。 (Ⅰサム16:21)
⑸ その後,ダビデの名を一躍国中にとどろかせる出來事が起った.
① ペリシテの巨人ゴリヤテを,石投げの石1つをもって見事に倒したのである。(Ⅰサム17章)
② 以來,ダビデは戦いのたびに名をあげ,サウル軍の最高位の地位にまで登りつめた。(Ⅰサム18:5)
ダビデの生涯(2/4)
- 詩23:1-4 -
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。」(詩23:1-4)
3.荒野での逃亡生活
- サウルはすでに神から見捨てられ,悪霊に悩まされていた.サウルは若いダビデに助けられることを感謝し,彼を重んじていた.しかしダビデの名声が高くなるにつれ,心中穏やかでなくなってきた.そんな時,「サウルは千を打ち,ダビデは万を打った」(Ⅰサム18:7ー8)と,女たちが歌うのを聞いた.この歌はサウルとダビデの間に決定的な亀裂をもたらした.それまでサウルの中にあったダビデに対するねたみと恐れが一気に噴出した.サウルは,ダビデが謀反を起し王位を奪うのではないかと心配し始めたのである。(Ⅰサム18:9)そこでサウルは,ダビデを早く片付けてしまおうと考えた.-
⑴ まずサウルは宮廷で琴を弾くダビデを殺害しようと槍を投げたが,ダビデは身をかわして難を逃れた。(Ⅰサム18:10ー11)
⑵ 次は,ペリシテ人の手によってダビデを抹殺しようとはかったが,これも失敗した。(Ⅰサム18:17ー29)
⑶ その後,サウルとダビデの間はサウルの息子ヨナタンのとりなしにより一時的に和解が成立するが(Ⅰサム19:1ー7),それも長続きしなかった.
⑷ ペリシテとの戦いでダビデが再び名をあげると,サウルはまたもダビデ殺害を試みる.その時,妻ミカルの助言により窓から脱出し,かろうじて逃げ延びた。(Ⅰサム19:8ー17)
⑸ 宮廷を去ったダビデは,ラマのナヨテに住む預言者サムエルを訪ねた。(Ⅰサム19:18ー24)
⑹ ノブの祭司アヒメレクのところに立ち寄り,次にガテの王アキシュを尋ねたが受け入れられず,アドラムの洞穴に避難した。(Ⅰサム21:1ー22:1)
⑺ 続いて,モアブのミツパ,ハレテの森などを放浪する。(Ⅰサム22:3、 5)
⑻ 住民がサウルに密告したため,サウル自身が軍を率いてダビデを追ってきた.その時,ペリシテ軍によるイスラエル侵略という報が伝えられたため,またも難を逃れることができた。 (Ⅰサム23:19ー29)
⑼ それ以降も,サウルの迫害は激しくなるばかりで,最後は敵国ペリシテの地に1年4か月も滞在せざるを得なくなった。(Ⅰサム27:7)
- このような荒野放浪中も,-
⑴ ダビデの非凡な才能は遺憾なく発揮され,彼のもとにしだいに兵士たちが集まってきた.(Ⅰサム25:13,27:2,30:9)
⑵ ダビデはアヒノアムとアビガイルの2人と結婚した。(Ⅰサム25:39ー43)
⑶ また,モアブのミツパに滞在した時には,両親を呼び寄せた。(Ⅰサム22:3ー4)
⑷ 荒野放浪時代は,ダビデにとって神の訓練を受ける時であった.たとい荒野であっても神はダビデと共におられ,ダビデを祝福した。(Ⅰサム23:2、 14、 30:6)
⑸ 特に,自分のいのちを執拗にねらい続けるサウル王に対して,「主が油注がれた者」として敬意を払い続けた。(Ⅰサム24:6,26:9ー10,16,23,Ⅱサム1:14)
⑹ サウルの子ヨナタンはダビデに協力し,数度にわたってダビデを助けた.(Ⅱサム1:2526)
ダビデの生涯(3/4)
- 代上29:26-28 -
「エッサイの子ダビデは全イスラエルの王となった。彼がイスラエルの王であった期間は四十年に及んだ。ヘブロンで七年、エルサレムで三十三年間王位にあった。彼は高齢に達し、富と栄光に恵まれた人生に満足して死に、彼に代わって息子のソロモンが王となった。」(代上29:26-28)
4.ユダの王として
- ギルボア山上でサウルやヨナタンがペリシテに破れ(Ⅰサム31章),彼らの戦死の報がダビデに届けられた.
⑴ ダビデは神の御旨を求め,彼自身が属するユダの地ヘブロンに戻った.ユダ族の人々はこのヘブロンで彼を王として立てた。(Ⅱサム2:1-4)
- しかし,北方の諸部族は,サウル軍の将アブネルを中心にして,サウルの子イシュ․
ボシェテを擁立し,マハナイムで王に即位させた。(Ⅱサム2:8ー9)
⑵ サウル家とダビデ家の間には激しい争いがおよそ2年にわたって続けられた。(Ⅱサム2:10)
- しかし間もなく,将軍アブネルとイシュ․ボシェテの間に争いが生じ,
⑶ アブネルはダビデの側に寝返った.
- しかしダビデ軍の将ヨアブは,アブネルの挙動に疑いを抱き,アブネルを殺害した。(Ⅱサム36ー30)一方,イシュ․ボシェテも部下によって暗殺されてしまった。(Ⅱサム4:5ー12)
⑷ サウル家は壊滅状態に陥り,ダビデに対する組織立った反抗は不可能になった.
- このような状況の中で,北方のイスラエルの指導者たちもまた,ダビデこそ王位を継承
する者だと悟り,ヘブロンにいるダビデを訪ねた。(Ⅱサム5:3)
⑸ ダビデは全イスラエル王国の2代目の王に即位した.そしてダビデはそれまでの期間と合せると合計7年半,ヘブロンで統治した.
5.イスラエルの王として
- ダビデは,首都はヘブロンよりエルサレムの方がふさわしいことをよく知っていた.何よりもエルサレムは,強固な天然の要塞都市であったからである.加えて南方のユダ族と北方の諸部族の境界線上にあり,両者に目が届き,公平な統治ができた.それまでエルサレムはエブス人によって強固な要塞が築かれていた.しかしダビデは彼らを打ち破ってエルサレムを「ダビデの町」と呼び,イスラエル王国統治の足場にした。(Ⅱサム5:6ー10)
⑴ 王国の基礎をつくったダビデは,ペリシテ人(Ⅱサム5:25),モアブ人(Ⅱサム8:2),エドム
人(Ⅱサム8:14)など周辺の近隣諸部族を次々に征服し,王国の勢力を拡張していった.
⑵ 王国が繁栄を誇り,ダビデの全盛時代とも言うべき時に,バテ․シェバ事件が起こった.
- 部下が戦いに出ている間,ダビデは安逸をむさぼり,ヘテ人ウリヤの妻バテ․シェバと
姦淫の罪を犯した.そのうえ,その罪を覆い隠すため,夫ウリヤを戦いの最前線に送り込
み,戦死させてしまったのである(Ⅱサム11章, 詩51篇)
⑶ ダビデのもう一つの弱点は,子供の養育にあった.
- 長子アムノンが異母妹のタマルを辱める事件や(Ⅱサム13章),三男アブシャロムが父ダビデに反逆して王位をねらう事件などである。(Ⅱサム14ー18章)死の直前,王位継承を巡って,ソロモンとアドニヤが激しく争うが(Ⅰ列1章),これも,彼が子供の養育に失敗した証拠であろう.
⑷ 晩年ダビデが行った人口調査は神の怒りを招き,国民の上に神のさばきをもたらした.
- すなわち3日間疫病が猛威を振い,合計7万人が死ぬという事件が起きた。(Ⅱサム24:1ー17)
⑸ ダビデは高齢に達し、富と栄光に恵まれた人生に満足して死に、彼に代わって息子のソロモンが王となった.(代上29:28)
ダビデの生涯(4/4)
- 王上3:6 -
「ソロモンは答えた。あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。」(王上3:6)
6.ダビデの功績
⑴ 確かに,ダビデは偉大な軍事的指導者で,諸部族を征服し,平和国家を築いた.
⑵ そして,王宮を建て直し,通商路を回復し,街道を設けるなどして諸外国との通商交易を活発にし,王国に未曾有の物質的繁栄をもたらした.
⑶ しかし,イスラエル史にとってダビデの最大の功績はこのような外面的出來事にあるのではなく,むしろ彼の偉大な信仰にあった.
7. ダビデの信仰
⑴ 少年時代巨人ゴリヤテを打ち破った時から確かなものであった.
⑵ サウルの宮廷時代においても,荒野逃亡から,全イスラエルの王に即位して後も一貫した.
⑶ 神がダビデの信仰にこたえられたという側面を無視してはならない.-「こうして主は,ダビデの行く先々で,彼に勝利を与えられた」(Ⅱサム8:6、14)と述べているからである.
⑷ ダビデの信仰が完全無欠であったというわけではない.- 多くの弱さと罪を露呈させながらも,絶えず砕かれた心を持って悔い改め,神の赦しと恵みを味わい続けたのである.
⑸ ダビデの信仰は神の箱の取扱いに端的に現れている.キルヤテ․エアリムに約70年もの間置かれていた神の箱をただちにエルサレムに運ばせた。(Ⅱサム6:1ー19)
⑹ ダビデは神の箱を安置する所として,神殿建設を切望した.しかし神はそれを許されなかった。(Ⅱサム7:1ー7)
⑺ ダビデは息子ソロモンが神殿を建てられるよう資材の準備をした。(Ⅰ歴22:1ー19、28:2)
⑻ さらに,神殿聖歌隊を初め,礼拝に必要なさまざまな組織作りをして,後代の人々のために備えたのである。(Ⅰ歴23ー27章)
⑼ ダビデは若い頃から立琴を弾き,多くの敍情詩を作った.そのあるものは聖書に書きとめられ,長くユダヤ人の間で,否,世界のキリスト者の間で今日に至るまで至高の歌として歌われ,学び続けられている.